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レナ殿下の秘めたる話

 話はこれで終わりかと思えば、そうではなかった。

 レナ殿下は急に懐から魔法巻物スクロールを取りだし、ビリビリと音を立てて破る。すると、地面に魔法陣が浮かび上がり、私達の周囲に薄い膜のようなものが張り巡らされた。


 一瞬浮かんだ魔法陣に守護や遮断といった呪文を読み取った。


「これは、結界魔法?」

「そうだ。これから先に話すことは、誰にも聞かれたくないことだからな」


 いったい何を話そうとしているのか。ここまでするということは、国家秘密レベルのことなのだろう。

 レナ殿下はまったく想定外のことを口にした。


「ミシャ、ヴィルには気をつけたほうがいい」

「――え?」


 気をつける、というのはいったいどういう意味なのか。今の時点ではまったく理解できない。


「実を言えば、ヴィルは隣国と繋がった密偵だという疑惑があるんだ」

「なっ!?」


 どくん、どくんと胸が嫌な感じに脈打つ。

 信じがたい話であるが、王太子であるレナ殿下が嘘を言うわけがない。


「ヴァイザー魔法学校に入学する前に、ミシャが私を助けてくれただろう?」

「え、ええ」

「誘拐されかけていたのだが、指示をだしたのはヴィルだったらしい」

「どうしてそんなことを?」

「王太子である私を隣国に引き渡し、なんらかの交渉を持ちかけるつもりだったのだろう」

「そんな!」


 ヴィルが裏で悪事に手を染めていただなんて……。

 なんでも彼が、レナ殿下が女性であるという情報を隣国へ流した可能性があるようだ。


「でも、隣国といえば、その、王妃殿下の祖国なのでは?」

「ああ、そうだ」

「だったらなぜ、双方の国の関係にヒビが入りそうな行為を働くのかしら?」

「それは――」


 レナ殿下は目を伏せ、苦しげな表情を浮かべる。

 そして、唸るような低い声で私の疑問に答えた。


「ヴィルは王家の転覆を狙っている可能性がある」

「王家の、転覆ですって!?」


 耳にした瞬間、ゾッと鳥肌が立つ。


「ヴィルは王家の血筋であれど、王位継承権からはほど遠い」


 現在の王位継承権の第一位はレナ殿下、第二位は神職に就いている王弟であり、聖教会の枢機卿であるアルベルト様、第三位は宰相を努める国王陛下の大叔父、ジオン様――などと、王家の血筋がずらりと並ぶ。

 ヴァイザー魔法学校の理事であり、王弟でもあるリンデンブルク大公は第七位、ヴィルはそのさらに下位となる十五位となっているようだ。


「ヴィルは自分よりも高い王位継承権を持つ者すべての弱みを握り、次々と失脚させるよう、目論んでいるらしい」


 王位継承権を持つ者達を地位から陥れ、自分は這い上がる。

 その結果、得られるものは玉座だと言いたいのだろうか。


「ヴィルは隣国の者達と手を組み、謀叛を企てているんだ」


 それらの情報は、小舞踏会の事件のあとに国王陛下に近しい側近から直接聞いたようだ。


「小舞踏会の事件は、父親であるリンデンブルク大公を理事から引きずり落とすための計画だったらしい」


 けれどもそれは、私やホイップ先生の活躍によって失敗したのだという。


「今日の朝、ヴィルに注意するよう、ミシャに忠告するつもりだったんだ。けれども彼がミシャと一緒にいるところを目撃して、ゾッとした」


 レナ殿下の行動はすべてヴィルに読まれているのではないか、と思ったらしい。

 顔が盛大に引きつっていたのは、そんな理由があったようだ。


 レナ殿下は悲痛な表情を浮かべつつ、私の手をぎゅっと握った。


「ミシャ、お願いだから、今後はヴィルを信用せず、近寄らないでほしい……」


 きっと私に接近し、当番生にしたのも何か理由があるはずだ、とレナ殿下は言う。


「長年、ヴィルは誰も他人を傍に置かなかった。誰も信用せず、弱みを見せず、ただただ孤独に過ごしていた。そんな彼がミシャに接近する理由は一つしか思いつかない」


 ヴィルは私をなんらかの目的で傍に置き、いつか利用するつもりでいる?

 みぞおち辺りがスーッと冷え込むような、嫌な感覚に襲われる。

 額にも、ぶわっと汗が浮かんでいた。


「まだ、私も半信半疑なんだ。彼は長年、尊敬すべき従兄殿だったから……」


 これまでのヴィルとの思い出が、走馬灯のように蘇る。

 優しい笑顔も、私を心配するような表情も、勉強熱心な様子も、すべて私を利用するためだった?

 今日の朝、魔力の制御ができるようになったと無邪気に喜んでくれたのも、演技だったというのか。

 信じたくない。


「国王陛下と王妃殿下は、ヴィルの暗躍を信じず、庇っているらしい。けれどもそれを無視し、ヴィルの命を狙って闇へ葬ろうとする一派もあるようだ」

「だから彼は、命を狙われていたのね」

「ああ」


 ヴィル以外にも、注意すべき存在がいるらしい。


「騎士だ。彼らはヴィルの息がかかっている可能性がある」


 なんでも名義人不明の多額の寄付金が毎年のように届けられるようだが、その正体がヴィルではないのか、という噂話があるらしい。


「私の誘拐事件も、あまり大事にはならなかった。おそらく上層部にもみ消すよう、働きかけたのだろう」

「ひ、酷いわ」


 一刻も早く、距離を取ったほうがいい、とレナ殿下は勧める。


「ただ、すぐには難しいと思うの。私はヴィル先輩の当番生に指名されているし」

「それについては心配いらない」


 当番生についても、レナ殿下が校長に頼んで、解除させることも可能らしい。


「その場合、私の傍仕えとして登録させてもらうが、名目上のものなので、気にしないでほしい」


 そこまでしないと、監督生長の当番生は解除できないのだろう。


「答えはすぐにでも、と言いたいところだが、このような話を聞かされて、すぐに判断できるものではないだろう」

「え、ええ……」


 一晩考えて、答えを聞かせてほしい、とレナ殿下は言う。


「ヴィルがミシャのところにこないよう、適当に仕事を命じておくから、よく考えてほしい」

「わかったわ」


 レナ殿下がお皿の上で魔法巻物を焼くと、結界は消えてなくなった。 

 

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