とんでもない大事件
王都の街は十二月から始まった社交期が八月で終わり、少し閑散とした印象を受ける。 私はヴァイザー魔法学校の最終試験を受けに、母と王都へやってきたわけだ。
相変わらず、母は社交で忙しくしていた。
知人や友人に会うだけでなく、ラウライフの特産品である白樺シロップを商人に紹介したり、魔法学校に合格したときの保護者を探したり、私が魔法学校に受かったときのことを考え、いろいろしてくれていたようだ。
ホテルに一人残された私は、これまで試験勉強に勤しんでいた。
けれども次は面接だけである。受け答えで聞かれるような内容の答えは丸暗記しているし、今回は勉強道具を持ってきていない。
ごろごろするのにも飽きてしまい、暇を持て余してしまった。
そういえば、王都で魔法薬を納品している薬局を訪問したことがなかった。
ちらりと見に行く程度ならば、問題ないだろう。
こういうとき、侍女やメイドがいれば咎められるのだろうが、私は母と二人でやってきた。お付きの者などいないので自由に出入りできる。
そんなわけで、私はあっさりホテルを抜け出すことができたのだった。
薬局は貴族が出入りする中央街に面する通りにある。
王室御用達の看板が吊り下げられていて、風が吹く度に揺れていた。
店内は広くなく、商品はすべてガラスケースの中に収められていた。
私が以前、新しく納品を始めた治療効果のある飴も、まるで宝石を並べるように優雅な雰囲気で陳列されていた。
魔法薬はつい先日、王都への到着分を納品したはずだったのに、すでに売り切れだった。 じっと眺めているのに店主が気付いたのか、話しかけてくる。
「お嬢さん、その魔法薬は辺境の雪国産でね、入荷までにしばらくかかるよ」
同じ効果がある、別の魔法薬を店主は紹介する。
「こっちのほうが安価で、効きがいい」
「ありがとうございます」
薬を買いにきたわけではなかった、と正直に告げると、店主は「おや」と不思議そうな表情を浮かべた。
「私、この雪国産の魔法薬の生産者なんです。お店でどんなふうに販売されているのか気になり、見に来ていただけで……その、ごめんなさい」
「なっ! 君があの、ミシャ・フォン・リチュオルだと言うのか?」
「ええ」
なんでも店主は、私のことを熟達した老齢の薬師だと思っていたらしい。
「まさか、こんなに年若いお嬢さんだったとは」
ラウライフの地に出入りしている商人を通しての取り引きだったので、私についてまったく把握していなかったのだろう。
「本当に驚いたな。ここへは社交界デビューの準備でやってきたのかい?」
「いいえ、魔法学校を受験しにやってきたんです」
魔法学校に合格したら、しばらくは魔法薬を納品できないと言うと、店主は焦ったような表情を浮かべた。
「そ、それは困る! 君が作る魔法薬しか効果がない、と言っている上得意がいるんだ!」
その人物には心当たりがあった。
とてつもない美貌の持ち主で、童話の姫君みたいにリスに囲まれていた青年――。
身に着けている服など高価そうに見えたので、いい家柄のお坊ちゃんなのだろう。
「うーーん」
一度、ヴァイザー魔法学校の校則に目を通したことがあるのだが、アルバイトは許可すればできるようだが、奨学金を使って入学した生徒は全面禁止となっていた。学業に専念させるために、そのような決まりがあるらしい。
まだ魔法学校に合格していないのでなんとも言えないものの、もしも受かったら、魔法薬を納品し続けることはできなくなるだろう。
「そもそも、私が作った魔法薬しか効果がない、というのもおかしな話だと思うのですが」
「それについては一度、詳しく調べてもらったらしい。なんでも単純に、魔法薬に含まれる魔力と相性がいいのだろう、という答えが返ってきたようだ」
「薬の効果ではなく、魔力でしたか」
魔法の力で作る薬なので、薬師によって効果は微妙に異なる。魔力の波長が合わなければ、薬の効果が半減する、なんてこともあるようだ。
魔法薬の効果は絶大であるものの、その辺が唯一のネックなのだろう。
その上得意と顔見知りである以上、知らない振りはできない。
かといって、校則を破ることはできないのだが――。
「まあ、なんと言いますか、難しい問題かと思うのですが、ひとまず合格してから考えます」
私は問題を先送りにすることしかできなかった。
半笑いのまま、薬局をあとにする。
それにしても、思っていた以上に、青年との魔法薬問題は深刻だった。
念のため、薬局の店主に私については喋らないでくれ、と口止めしている。
その辺はきちんとしているようで、これまでも聞かれたことがあったようだが、答えていないらしい。
もしも合格したときは、どうすればいいのか。
なんて考え事をしながらトボトボ歩いていたら、下町のほうに行き着いていたのでギョッとした。
ドレスを着てこんなところにいたら、犯罪に巻き込まれてしまう。
踵を返そうとしたそのとき、不穏な声が聞こえてきた。
「こいつ、本当に王太子殿下なのかよ?」
「金の髪にこの身なり、間違いない」
何やら路地裏で怪しい会話をしているのを聞いてしまった。
こっそり覗き込むと、中年男性が二名と、青年とも少年とも言い難い年齢の男性が、ぐったりした様子で壁に寄りかかり座っているのを目撃する。
私以外に人通りはなく、回転草が西部劇のようにころころ転がるばかりであった。
明らかな誘拐だ。さらに、王太子殿下がどうこうとも聞いてしまった。
このまま見捨てるわけにはいかない。
かと言って、騎士がいる中央街まで走っても、十分ほどかかる。その間に王太子殿下に危険が迫ってしまったら――!?
どうやら私自身がどうにかしなければならないようだ。
ただ、大人の成人男性相手に太刀打ちできる腕力なんてない。
魔法も攻撃に使えそうなものは今のところなかった。
どうしようか。
ひとまず、男性二人について観察してみる。
一人は四十代前後で、ガリガリに痩せていて、お酒を飲んでいるのか顔が赤く、少しふらついているように見えた。
この男一人だったらなんとかなりそうだが……。
もう一人は背が高く、身なりは少し整っている。貴族や富裕層ではないが、それなりにいい暮らしをしている者だろう。
おそらくこの男がお金を払って、下町の者を雇ったに違いない。
顔立ちは――と確認した瞬間、ギョッとする。
あろうことか、その男はラウライフの地を捨てて出て行った叔父だったから。
数年経っているものの、顔立ちは変わっていないので、すぐにわかった。
いったいなぜ、叔父が王太子を誘拐したというのか。
もしもバレたら、叔父の首どころか、一族まとめて処分されるかもしれない。
ここで絶対に未遂で終わらさなければならないだろう。
意を決し、私は叔父へ声をかけた。
「まあ、叔父様、お久しぶり!」
「は?」
「なん――お、お前は!?」
「あなたのかわいい姪っこ、ミシャよ」
叔父は瞬く間に顔面蒼白となる。
ちらりと仲間の男の顔を見たのは、処分しようかと考えているのか。
そんなことなどさせるものか。
「叔父様、もしかして、こちらの男性を介抱しようとしていたのかしら?」
「あ、ああ、そうなんだ。このあと病院に連れていくから、あとは任せてくれないか?」
「叔父様もお忙しいでしょう? お父様もいるから、知り合いの病院に運んでもらうわ」
息を吸い込んで、大声で叫ぶ。
「お父様、お父様~~~~!!」
父はラウライフにいるのだが、すぐ近くにいるように思わせるため、思いっきり声を張り上げた。
すると、叔父は明らかに焦った様子で言った。
「わ、わかった。彼のことは頼む! お、おい、行くぞ!」
「なんでだよ」
「いいから来るんだ!」
叔父は一目散にこの場を去る。
どうにか上手くいったようで、ホッと胸をなで下ろした。
ただ、これから彼を騎士がいる場所まで運ばないといけない。見たところ、彼は同じ十七歳くらいだと思うが、私よりはるかに背が高いだろう。
王太子だと言っていたが、なぜ、誘拐されるような状況に陥ってしまったのか。
とにかく、早く移動しよう。
そう思って彼を起こそうと肩を揺さぶった。
「ううん……!」
眉間に皺を寄せ、何やら苦しげな様子でいる。
きつく結んであるタイを解き、ボタンを開いた。それでも楽になったようには見えない。
まるで、矯正下着を身に着けた社交界デビューの少女のようだ、と思って服の中を覗き込むと、胸に包帯が雑に巻かれていた。
ケガでもしているのか。傷の具合によっては、魔法薬を飲ませたほうがいいだろう。
そう思って包帯を解いたら、思いがけないものを見てしまう。
それは――男性にあるはずのない、女性の胸だった。