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事件のあとに

 小舞踏会で提供された軽食による体調不良を訴えた生徒は百名ほどだった。頭痛や腹痛、激しい胃のむかつきの他に、意識を失う者や嘔吐を繰り返す者もいたようだ。

 百名全員、私が作った解毒作用を付与した紅茶やジュースを飲んだあと、快方に向かっているという。

 原因究明のため、ホイップ先生に軽食が託され、調査することとなったようだ。

 結果がわかったのは一週間後だった。

 軽食のゼリーとマルチパンが、皮膚菌――前世で言うところの黄色ブドウ球菌に汚染されていたらしい。

 この菌は人の皮膚や鼻腔内、髪の毛などに潜伏していて、飛沫や接触によって感染するようだ。

 調理に関わった者の誰かが黄色ブドウ球菌の保菌者ではないか、という疑惑が浮上した。

 前世では検便などをしてから調理の仕事に就くが、この世界はそのようなシステムはない。そのため、自分自身が保菌者だと気づかずに調理に参加していたのだろう。

 その後、ホイップ先生は料理人全員に保菌者がいないか調査したようだが、菌は見つからなかったという。

 追加で給仕係をしていた一学年の実行委員も検査をしたが、保菌者はいなかった。

 菌が付着したのは調理よりも前だろう、と推測することしかできなかったようだ。

 皮膚菌の恐ろしいところは、皮膚菌自体は熱に弱いようだが、皮膚菌自体が生み出した毒素は熱に非常に強く、加熱しても毒素は消滅しないらしい。

 調理前に食材が汚染されているとなれば、防ぎようがない事件だったのだ。

 今回の事件は食品の仕入れ先がよくなかった、と結論づけ、別の商会に変えたらしい。

 また、食品自体が汚染されていないか調べる魔道具を購入し、検査するようになったようだ。


 事件後、一学年の実行委員達はときおり集まって、反省会をしていた。

 私達のせいではないし、食中毒は仕方がない話だったが、軽食について企画しなければ起きなかった事件ではないのか、と気にしていたようだ。

 特にリーダーであり、企画の発案者でもあったアルビーナは、自分のせいだと思い込んでいる。

 皆で励ましているものの、かなり落ち込んでいるようだった。


「アルビーナ、私達のせいだって思っている人はいないわ」

「そうかもしれませんが……はあ」


 アルビーナだけでなく、ユルゲンやフェーベもかなり気落ちした様子を見せている。

 一方で、繊細な子だと思っていたリアは、私と一緒に励ましてくれた。

 彼女の存在が、かなり心強かった。


 皆、回復したからいいではないか、なんて能天気なことは言うつもりはない。

 けれども症状が私の解毒作用の効果があるレベルでよかったとは思っている。

 強力な毒素であるボツリヌス菌やベロ毒素とかだったら、私の解毒作用なんて効かなかっただろう。

 この世界の衛生観念は前世の日本並みとは言わないが、水や食品はお腹を壊さない程度には浄化されている。

 けれども地方によっては井戸水や川の水が生活水になっていたり、人の糞尿を直接ばら撒く農業が行われていたりするという。

 食中毒の原因はあちらこちらに転がっているのだろう。


「私が、ベネフィットがほしいと望まなければ、今回の事件は起きなかったと思うのですが……」

「そんなこと、考えたって仕方がないわ。アルビーナの挑戦する心はきっと、この先誰かが認めてくれるはずだから、気にしたらだめ」

「そうですよ!」


 今は何を言っても、アルビーナの心には響かない。

 この件についてはきっと時間が解決してくれるのだろう。

 そう思っていたが――私達のもとに、二学年の監督生がやってくる。


「君達、探したぞ。こんなところにいたのか」


 アルビーナの顔色がこれまで以上に悪くなる。


「あ、あの、なんでしょうか?」

「リンデンブルク監督生長がお呼びだ。ついてこい」

「は、はい」


 アルビーナは今にも泣きそうな声で返事をした。

 これは俗に言う、呼びだしというものなのだろうか。

 皆、ビクビクしながら監督生のあとに続く。


 監督生専用の部屋で、ヴィルは私達を待ち構えていた。

 すぐにでも回れ右をしたくなるほど気まずい。

 重苦しい雰囲気の中、ヴィルが声をかける。


「全員揃っているな。さて、どうして貴殿らが呼ばれたのか、わかっているだろうか?」


 皆、顔を伏せ、悲痛な空気を漂わせている。

 事件について、改めて反省の言葉を聞きたい、ということなのだろうか?

 アルビーナが言えないのならば私が――そう思った瞬間、ヴィルは懐から封筒の束を取りだした。


「一人一人取りにくるように。まずは、一学年の代表を務めていたアルビーナ・フォン・ノイドハイト」

「は、はい!?」


 アルビーナは目を見開き、驚いた様子で前にでる。

 そんな彼女に、ヴィルは封筒を差しだした。


「これは学校からの恩恵だ。受け取るといい」

「お、恩恵、ですか?」

「ああ、そうだ」


 恩恵――すなわちベネフィットのことだろう。

 ヴィルは一学年の実行委員、全員に封筒を配った。


「小舞踏会で起きた事件のさいに、貴殿らは体調不良を訴える生徒達を介抱し、魔法薬作りに奔走したと聞いている。校長や理事はその行動を大きく評価し、恩恵を与えるにふさわしい働きだったと話していた。おかげで被害はそこまで大きくなく、皆、今も元気だ。心から感謝している」


 それを聞いた瞬間、アルビーナは大粒の涙をポロリと零した。

 実行委員としてやった行動の数々が、認められたのだ。

 もう二度と、自分を責めることなどしないだろう。


「封筒の中をしっかり確認してから、教室に戻るように」


 ヴィルはそう言って、部屋から去っていった。

 残された私達はしばし呆然としていた。

 けれども、ユルゲンの「うわ!」という言葉で我に返る。


「すげえ、校舎の最上階にあるレストランにいける、転移の魔法巻物が入っているぞ」


 皆も確認し、驚いたり、興奮したりしていた。

 アルビーナも封筒を開いて、頬を真っ赤に染めて喜んでいる。


「ほ、本当によかったです」


 涙を流しながら安堵の表情を見せるアルビーナを、リアと一緒に抱きしめたのだった。


 最後に、私も封筒の中を確認してみる。

 すでに最上階にあるレストランへ繋がる転移の魔法巻物は持っているのだが。


「――あ!」


 私の封筒には一枚のカードが入っていた。

 それは、購買部で好きな飛行道具と引き換えられる商品券のようだった。

 どうやら私には、別のベネフィットが与えられたようである。

 ぼんやり眺めていたら、ユルゲンから覗き込まれてしまった。


「あー、リチュオルだけ飛行道具の引換券になってる!」


 羨ましい、とユルゲンから言われてしまったものの、アルビーナが指摘する。


「ミシャさんはホイップ先生の指示を受けて魔法薬を作っていたでしょう? 私達とは仕事量が違いますよ」

「まあ、そうだけどよー」


 あのとき作っていた魔法薬については、誰も疑っていないようで、ホッと胸をなで下ろす。


 何はともあれ、私達は当初の目標通り、ベネフィットを手に入れることができたのだった。

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