ミシャの悩み
食事を終えたあと、ヴィルは私に勉強を教えてくれた。
ありがたい、という気持ちと、私のために時間を使わせてもいいものか、という気持ちがせめぎ合う。
久しぶりに、ガーデン・プラントでの勉強会であった。
今日もジェムが変化した、暖房機能付きのテーブルに魔法書を広げる。
相変わらず、ヴィルの授業は非常にわかりやすい。
もっともっと習いたいと思う一方で、申し訳なさが押し寄せてくる。
「ミシャ、ぜんぜん集中していないな」
指摘され、ドキッとしてしまった。
「この私が勉強を教えてやっているというのに、いったい何を考えていたんだ?」
「いえ、その、なんと言いますか……ヴィル先輩の貴重なお時間を、私なんぞが奪っていいものなのか、と思ってしまいまして」
「どうしてそのように思う?」
「私とこうして過ごすよりも、お友達と一緒にいるほうがいいのではないか、と考えていたからです。魔法学校を卒業してしまったら、お友達とのんびり談笑したり、遊んだりする暇なんてないでしょうから」
「なるほど、そういうわけだったのか」
ヴィルは腕組みし、遠い目をする。
そして、衝撃的な言葉を口にした。
「せっかくの心遣いだが、残念なことに私には友と呼べる存在はいない」
「は、はい?」
「ああ、魔法生物の友ならばたくさんいるな。彼らとは一学年のときから長きに渡り、さまざまな場面で交流を深めた」
シーーーーンと静まり返る。
これは深掘りしてもいい話題なのか。
私が触れてしまった話である。ここで聞かなかった振りなどできないだろう。
勇気を振り絞って聞いてみた。
「その、どうして魔法生物以外のお友達がいないのですか?」
「むしろ私のほうが聞きたい。どうやって友達というものは作るのかと」
「いや、それを聞かれるととても難しいのですが」
なんでも入学当初は、クラスメイト達と気さくに接し、友達を作ろうと人並みに努力したらしい。
「しかしながら、クラスメイトは私に対して常に敬語で、へりくだるような態度しか見せなかった。このような者達と、どうやって対等に接することができようか」
リンデンブルグ大公の息子であり、未来のリンデンブルグ大公でもある、王家の血が流れるお方ともなれば、クラスメイト達も気軽に話せるような相手ではないのかもしれない。
「誰一人、私をただのクラスメイトとして見てくれなかった。全員が全員、私でなく、私が生まれながらに持つ、将来リンデンブルグ大公の爵位を手にする者としてしか見てくれなかったのだ」
教室にはクラスメイト達がいるのに、ヴィルは常に孤独だったようだ。
「ただそれは今に始まった話ではなく、これまでもそうだったのだろう。幼い頃から傍にいた同じ年頃の子どもは、すべて父の臣下の子だった」
物心がつく前から傍にいたので、クラスメイト達よりも気さくに接してくれるようだが、それでもよくよく観察すると、一定の距離を取っているのだと気付いてしまったらしい。
「この先一生、誰も本当の私を見てくれないとわかったその日から、他人に対して心を閉ざしてしまった」
ヴィル自身が良い人であっても、悪い人であっても、周囲からの評価は変わらない。
ならば、好かれようと努力するだけ無駄だと思ったという。
「人付き合いを徹底的に避けて、勉強にだけ集中していたら、いつの間にか一学年で監督生に指名され、二学年から監督生長に任命された」
それも未来のリンデンブルグ大公に対し、媚びているだけなのだろうと思って、素直に喜べなかったらしい。
「このまま誰とも深い関係を築くことなく、ヴァイザー魔法学校を卒業するものだと思っていたのに、私の小さな世界にミシャが飛び込んできた」
「その節はとんでもない勘違いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、私にとっては都合がよかった。ミシャは私をリンデンブルグ大公の息子だと知らない状態で、私自身を見てくれたから……。それが、どれだけありがたかったか」
私の思い違いが、ヴィルの心にいい効果をもたらしていたなんて、思いもしなかった。
ずっと申し訳ない気持ちを抱いていたものの、少しだけ罪悪感が和らいだような気がする。
「私がリンデンブルグ大公の息子であると知ったら、ミシャは他の者と同じように距離を取るかもしれない。恐ろしかったが、真実を知っても尚、ミシャは変わらなかった。心から感謝している」
十分、恐れ多いお方だと自覚し、敬意を示した態度でいるよう私なりに努めているのだが、ヴィルから見たら以前と変わらないようだ。
これに関しては、よかったと言えばいいものなのか。
「ただ、ミシャ以外の生徒には、親の爵位の力で何もかも手にする私は、周囲の者から見たら、とてつもなく滑稽に見えるのだろうな」
「そんなことありません! 下級生はヴィル先輩を深く尊敬しています。今日だって、そんな話を皆がしていました」
きっとヴィルが近寄りがたい雰囲気をびしばし発しているので、下級生の好意的な気持ちが本人に届いていないのだろう。
「皆、ヴィル先輩を尊敬し、ヴィル先輩のようになりたいと憧れているようです」
ヴィルは目を丸くし、心から驚いているように見えた。
「そうか、そうだったのか」
ヴィルが自覚するよりも、他の生徒達はリンデンブルグ大公の息子だと思って見ていない。ヴィル自身を見て、自分もそうなりたいと望んでいるのだろう。
だから安心して、自信を持って、皆の前に立ってほしい。
そう、心から思ったのだった。