ノアの事情
終礼が終わると、あっという間にクラスメイト達は教室からいなくなる。
私は壁に張り付いていたジェムをペリペリ剥がしていると、背後より声がかかった。
「ミシャ・フォン・リチュオル」
「はい?」
愛らしい声なのに、どこかとげとげしい。
そんな呼びかけに反応し、振り返ると、そこには腰に手を当てて佇むノアの姿があった。
ぶりっこはいいのか、と思ったものの、教室に私以外の生徒はいなかった。
「今日一日、私のことについて、誰にも喋っていないよね?」
「もちろんよ。没落したくないもの」
信じてくれと訴えても聞き入れてくれないだろうから、時間をかけて喋らないことを証明し続けるしかないのだろう。
「そのペラペラなの、お前の使い魔?」
「ええ、そうよ。かわいいでしょう?」
くるくると筒状に巻いていたジェムを見せると、ノアから「変な使い魔」と言われてしまった。
今はこんなにペラペラだけれど、膨らんだら立派な宝石スライムとなる。
ジェムは他人に興味がないのか、真なる姿を見せる気はないようだ。
「ノア、あなたの使い魔は?」
「これから召喚するの」
「そう」
ホイップ先生の研究室に呼び出されているようで、そこで使い魔を召喚するようだ。
「だったら、急いで行かなければいけないの?」
「いや、一時間後くらいでいいって言われた」
なぜ私に話しかけてきたのか、と思ったのだが、どうやら時間潰しのためだったようだ。
「それはそうと、あなた、どうして今転入してきたの? もともと魔法学校に通うつもりだったの?」
「いいや、違う。先日、お兄様が魔法学校に通ったらどうだって、言ってくれたから、すぐに花嫁学校から転入してきたんだ」
花嫁学校はまだ一年あったようだが、魔法学校に転入するよう、ヴィルがノアに勧めたらしい。
「花嫁学校よりも、魔法学校に通うほうが、身につくものもあるだろうからって。お父様はあまり賛成しなかったけれど、花嫁学校の校長がレイド伯爵だったこともあって、認めてくれたんだ」
「そうだったのね」
ヴァイザー魔法学校の理事になりたいと熱望していたレイド伯爵が、まさか歴史ある花嫁学校の校長だったなんて。
もちろんすぐに解任されたようだが、事件を受けて退学する生徒も少なくなかったらしい。
それにしても、男の身でありながら、女として花嫁学校に通っていたなんて。
この先彼はずっと、男であることを偽ったままなのだろうか?
「ノア、あなたは――」
それでいいの? という言葉は口から出る寸前でごくんと呑み込んだ。
王族や貴族に生まれたら、自分の意志なんてあってないようなものなのだろう。
人生について問いかけるのは愚問としか言いようがない。
「いいえ、なんでもないわ」
「言いかけて止めるなんて、気持ちが悪い」
「ええ、その通りだけれど、ごめんなさい」
謝罪を受けたノアは呆れたように肩を竦め、そのまま踵を返す。
「ノア、また明日」
なんてことのないその言葉に、ノアは驚いた顔をして振り返った。
「え?」
「さようなら、また明日――って、言っただけだけど」
ここまで言っても不思議そうな顔をしていたので、クラスメイトに言う挨拶だと説明した。
「ああ、そういう意味だったの」
「私、おかしなことを言ったかしら?」
「いや、これまで私にそういう言葉をかけてくる人はいなかったから」
使用人だけでなく、クラスメイト達もノアを王族の一員と認識し、へりくだるような態度ばかり見てきたらしい。
「普通の人達は、そうやって声をかけあっているの?」
「ええ、そうよ」
「ふうん」
対等に接してくるなんて厚かましい、なんて怒られると思いきや、ノアは想定外の態度に出た。
「じゃあ、また明日」
そう言って、すぐに私に背中を向ける。
適当に手を振っていたら、再度ノアは振り返った。
「明日から、お兄様は復学するから」
「そうだったのね。よかった」
教えてくれてありがとう、と言うと、ノアはふん! と尊大な態度を返してくれる。
そのまま走っていなくなった。
◇◇◇
翌日――レナ殿下がやってきた時間に私は登校する。
「今日、実行委員会の顔合わせなの。朝食は準備しているから食べて」
「ああ、ありがとう」
鍵もレナ殿下へ手渡しておく。
「これ、鍵をかけたら、あっちにある植木鉢の下に置いておいて」
「不用心だから、教室で渡そう」
「ああ、そうだったわね」
ついつい前世で同棲していた婚約者に頼んでいたことを、そのままレナ殿下にもお願いしていたようだ。
「じゃあ、あとはお願い」
「わかった」
レナ殿下と別れ、私はジェムと一緒に登校する。
まだ早朝とも言える時間帯だからか、登校している生徒はいない。
その代わりに、校庭で自主練習をする騎士見習いの生徒をちらほら見かけた。
実行委員会の会場となるのは、職員室の隣にある監督生のために用意された部屋である。
そこには二学年、三学年の先輩方がいて、少し緊張してしまった。
扉のすぐ傍にいた眼鏡をかけた女性の先輩が、優しく声をかけてくれる。
「あなた、一学年?」
「はい」
「そう。私は三学年なの。こっちに座りなさいな」
「ありがとうございます」
早めに出てきたつもりだったが、私が最後だったようだ。
戦々恐々とする中、校長先生から実行委員長に指名された生徒が登場する。
「全員揃っているようだな」
聞き慣れた声に、ギョッとする。
顔を上げると、ヴァイザー魔法学校の監督生長であり、リンデンブルグ大公のご子息であるお方――ヴィルと目が合った。