混乱の中で
レナ殿下は性別を隠したまま、王太子であり続けられるのだろうか、とずっと疑問だった。
その問題には、すでに解決策が打たれていたらしい。
性別を逆転させた者をもう一人用意したら、結婚が成り立つというわけだ。
この国に生まれた王族のほとんどは、他国の王子や王女と結婚するという。けれどもレナ殿下に関しては、事情を知る国内の貴族と結婚させるしかなかったのだろう。
大公家であれば、身内である。秘密はしっかり守られるわけだ。
皆が王太子殿下とノアの婚約を祝福し、拍手をする中、ヴィルが私に耳打ちする。
「犯人は大広間のどこかにいる」
その情報を耳にした瞬間、ゾッと肌が粟立つ。
かすかな魔力の痕跡を追いかけた結果、ここに戻ってくることになったようだ。
あとはカツラを被っている人を捜すだけのようだが、この人混みである。
カツラの色はどこにでもいるような茶色だ。この国の人達がもっとも多く持つ髪色でもある。パッと見て、わかるものではない。
髪が浮いているとか、髪型に違和感があるとか、そういうレベルで見分けるしかないようだ。
キョロキョロと辺りを見回していたら、レナ殿下とノアが寄り添い、皆に手を振った。
参加者達は興奮し、皆が皆、近くで見ようと前に押し寄せる。
「え、きゃあ!」
「ミシャ!」
人の波に押しつぶされそうになったが、ヴィルが抱き止め、守ってくれた。
ぎゅうぎゅうに押され、会場は瞬く間に混乱状態となる。
騎士達が制止するも、これまで隠されていた王太子のお披露目と立太子の儀式、さらに婚約発表を聞いて、気持ちが昂ぶっているのだろう。誰も、騎士の言うことなんて聞かない。
その場に立ち続けているのでさえ難しいという中、私の視界の端で、何かがキラリと輝く。
ダイヤモンドの首飾りか、と思ったが違った。
それはとても鋭利なもので――眼鏡をかけ、髭を蓄えた男が、レナ殿下やノアを一瞥もせずに、低い姿勢を保ちながらこちらへ向かってきている。
進行を妨げるように進む男が邪魔だったのか、前に進んでいた大柄な男性が、男の頭を引っ張る。すると、髪の毛がずれた。
あれは、カツラだ。
「なっ――!?」
男は人の波をものともせずにやってきて、手にしていたナイフをヴィルへと突き出す。
危ないと叫んでも、この人混みでは回避できない。
私は咄嗟に命じた。
「ジェム、ヴィルを助けて!!」
首飾りになっていたジェムは即座に動き、ヴィルの腹部へと伸びていたナイフを防ぐ盾を作りだした。
ガキン! と金属を弾くような音が鳴る。ジェムは間に合ったようだ。
ジェムはヴィルを凶刃から守るだけでなく、ロープ状に伸びてナイフを持つ手と腕、足に絡みつく。
動けないよう床に張り付き、男の体を固定した。
次の瞬間、私は思いっきり叫んだ。
「きゃあ!! 人殺しよ!!」
自分でもびっくりするくらいの大きな声が出た。
その声を聞いて、周囲の人々もナイフを握って襲いかかろうとしていた男に気付く。
悲鳴を上げ、私達を一気に遠巻きにした。
ヴィルは目を見開き、ひたすら驚いているようだ。
「ヴィル、大丈夫? ケガはありませんか?」
「ああ、なんともない」
「よかった」
ジェムは男の頭上に触手を伸ばし、ツッコミをするようにぺいん! と叩いた。
すると、カツラが吹っ飛んでいく。
一緒に眼鏡も取れ、髭も付け髭だったらしくぺろりと剥げた。
どうやら変装をしていたようだ。
そして、カツラと眼鏡、髭の三点セットがなくなった姿に見覚えがあった。
「あなた、レイド伯爵!?」
「ち、違う!!」
周囲からも「レイド伯爵だ」という声が口々に上がった。
「あなたが、ヴィルを殺そうとしていたのね」
「そ、そ、そ、そんなわけあるか!」
ヴィルにナイフを刺そうとしていた体勢のままで、よく否定できるものだと思った。
「ヴァイザー魔法学校で私の命を狙っていたのも、貴殿だったのか?」
「ど、毒なんぞ、知らん!」
「毒とは一言も言っていないのだが」
もう、言い逃れようがないだろう。
レナ殿下の命令で、レイド伯爵は騎士達に拘束され、連行された。
捕まったあとも、レイド伯爵は冤罪だ、と叫んでいた。
レナ殿下が駆けつけ、声をかけてくれた。
「ヴィル、大丈夫か?」
「ああ。刺される寸前で、ミシャが助けてくれた」
「そうか」
ヴィルはまったく気付いていなかったというが、先ほどの人混みの中では無理もないだろう。
「レイド伯爵は姿勢を低くしてやってきていたの。それがちょうど私の視界に入ってきたから、偶然気付けたのよ」
「ミシャ、心から感謝する」
これから詳しい話を聞くらしい。ヴィルは先にレナ殿下や騎士達と共に別室へと移動した。
残された私のドレスを、控え目に引く者が現れる。
振り返った先にいたのは、ノアだった。
「あら、どうかしたの?」
「ありがとう」
「え?」
「お兄様を守ってくれて、ありがとう」
「え、ええ」
いきなり殊勝な態度に出たので、驚いてしまう。
よくよく見たら、ドレスを掴む手がぶるぶると震えていた。
「私達も事情聴取ですって。行きましょう」
すっかり元気がなくなったノアの手を握り、別の部屋へ向かったのだった。
◇◇◇
あっという間に社交界デビューの夜会から数日が経った。
レイド伯爵は逮捕され、裁判にかけられるという。
なんでも彼は、理事になりたいあまり、犯行に出たという。
いったいどういうことなのか、と疑問でしかなかったが、動機を聞いて呆れてしまう。
なんでもリンデンブルグ大公が理事になれたのは、一学年から監督生に選ばれるほど優秀な息子、ヴィルのおかげだと思っていたらしい。
その息子を殺したら、理事に選ばれる理由もなくなる。
そんな単純な動機で、ヴィルの命を狙っていたようだ。
何度もヴィルの命を狙った罪は重たいということで、死刑は逃れられないだろう、とレナ殿下は話していた。
以降、ヴィルは魔法学校を休んでいるらしく、一度も会えていない。
ノアとの出会いにより、ヴィルがどこの誰だかはっきりわかったわけだが、そもそも彼はヴァイザー魔法学校の生徒であり、個人指導教師ではなかった。
その正体はリンデンブルグ大公の嫡男であり、未来の大公であり、また監督生長でもある。
私が勝手に個人指導教師だと勘違いし、それをなぜかヴィルが受け入れ、教師の振りを続けてくれたのだ。
次に会ったときには、そうしてくれた理由を聞かなければならないだろう。
とんでもない騒動に巻き込まれ、悩みが山積みになる中でも、授業は待ってくれない。
いつものようにレナ殿下と共に登校し、アリーセやエアと朝の挨拶を交わす。
ホームルームが始まり、ホイップ先生がやってきた。
「今日はあ、転入生を紹介するわ」
新学期が始まってから一ヶ月以上経ったというのに、今さら入学してくるなんて。
教室の扉がガラリと開いてやってきたのは、金髪に緑色の瞳を持つ絶世の美少女。
「はじめまして、ノア・フォン・リンデンブルグです」
にっこり微笑んだだけで、男女問わず、心を鷲づかみにする。
彼女の顔を見て、「あーーーー!!」と叫ばなかったことを褒めてほしい。
ノアは私に気付いたようで、口をパクパクさせて声に出さずに「見つけた」なんて嬉しそうに言っていた。
まさか、ノアが魔法学校の生徒になるなんて。
なぜ、このような状況になってしまったのか。
どうやら私の魔法学校に平穏というものはないようだ。
思わず頭を抱えてしまった。