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ミシャのたった一つの願い

 なんというか、驚いた。

 おっとりしている父のことだから、ルドルフの要望を受けて、願いを聞き入れるものだと思っていたから。

 クレアも同じことを思っていたようだ。


「お父様、とても素敵でした」


 クレアの言葉に、私もこくこくと頷く。


「てっきりルドルフとリジーを許して、これまで通りこの家で暮らすようにと言うのかと思っていましたら、あのようにはっきりと拒絶されるなんて」

「遠回しに言っても、彼らには伝わらないと思っていたからね。それに、ミシャを蔑ろにした者達に、寛大な心を持って接することができなかったんだよ」


 父の言葉に、瞼が熱くなる。

 お礼を言おうとしたのに、代わりに涙がポロポロ零れた。

 母が私を優しく抱きしめ、クレアは背中を撫でてくれた。


「ミシャ、辛い思いをしたわね」

「ミシャお姉様はまったく悪くないので、一刻も早く記憶から消し去ってくださいね!」

「みんな……ありがとう」


 優しくされて、余計に泣いてしまったのは言うまでもない。

落ち着きを取り戻すより先に、ルドルフとの婚約が白紙となった今、改めて父に願いたいことがあった。


「お父様、一つ、お願いがあるの」

「なんでも言ってみなさい」


 これまで私が父に向かって頼み事をしたことがなかったので、このように言えるのだろう。

 願いを口にしたあと、受け入れてくれるものか。

 わからないが、言うだけ言ってみよう。


「実は私、かねてからの夢があって」

「なんだい?」

「魔法学校に通いたいの」


 国中から魔法の適性のある者を集い、一人前の魔法使いとしての教育を施す機関〝ヴァイザー魔法学校〟。

 そこにはひと学年につき五クラス、十七歳から十九歳までひと学年二百人、全部で六百人ほどの生徒が在籍している。

 生徒は幼少期から魔法について学べる環境にある貴族を中心に集められているようだが、庶民出身の子もいるようだ。

 魔法を学べる学校は国内に数あれど、寄宿舎のあるのはヴァイザー魔法学校だけなのだ。


 幼少期から魔法学校に憧れていたものの、私は未来のリチュオル子爵だと決まっているので、ラウライフの地から離れようと思っていなかった。

 けれどもルドルフとの婚約が破棄され、前世の記憶が戻った途端、魔法学校に通いたいという気持ちが爆発した。

 このように強い気持ちを持っているのは、小学生の頃に流行った魔法学校ものの児童書の影響だろう。

 一年に一冊ほど発売し、シリーズとなっただけでなく映画化もされ、長きにわたって愛されている作品であった。

 私はこの児童書と共に大人になった。青春と言っても過言ではない。


 ルドルフとリジーを追い出したので、きっとこの先、悪評がまとわりつくだろう。

 そんな私と結婚したい猛者なんているわけがない。

 ならば王都で魔法を学び、国家魔法師になって、実家を支援したい。

 そう望むようになっていた。


「魔法学校って、ミシャ、本気なのかい?」

「ええ。もちろん、経済的にお父様やお母様を悩ませることはしないわ」


 魔法学校には返済不要の奨学金制度がある。それに受かったら、無償で魔法を学ぶことができるのだ。

 一ヶ月後に試験があるので、今から申し込んだら、受験できるだろう。


「お父様、お願い! ずっと夢だったの!」


 リチュオル子爵はクレアとマリスが継げばいい。

 もしも継ぐ気がないのであれば、魔法学校の卒業後に戻ってくればいいだけの話である。

 両親は顔を見合わせ、なんとも言えない表情でいた。


「ミシャ、申し訳ないけれど、この場ですぐに答えが出せるものではないよ。クレアやマリスの気持ちだってあるだろうし。少しだけ、考える時間をくれるかな?」

「わかったわ」


 ここで即決しなかったのは、両親が私やクレアを大切に想い、愛している証拠だろう。

 ひとまず感謝し、しばし待つことにした。


 その後、寝室にクレアがやってきて、一緒に寝ようと言う。

 横になったクレアを見て、くすりと笑ってしまった。


「ふふ……クレア、あなたってばよく、怖い夢をみたって、私の布団に潜り込んできていたわね」

「ミシャお姉様、それは幼少期の話でしょう?」

「そうだったかしら?」

「間違いありません!」


 クレアが真剣な様子で訴えるので、余計に笑ってしまった。


「ミシャお姉様だって、寒くて眠れないからって、私の布団に潜り込んできたことがありましたよね?」

「あったわ!」


 私は家族の中でもっとも寒がりだったので、誰かで暖を取ろうとしていたのだ。

 見かねた父が、魔石で作られた湯たんぽみたいなものを購入し、私の布団の中に入れてくれた。それからというもの、クレアの布団に潜り込むことはなかった。


「ミシャお姉様が訪れなくなって、寂しくなったのと同時に、私のぬくもりだけが目的だったのですね、と切なくもなりました」

「酷い話よね」

「本当に」


 こうしてクレアと笑っていると、嫌なことが吹き飛んでしまう。

 そうだ、と思って、クレアに謝罪した。


「クレア、ごめんなさいね。突然、魔法学校に通いたい、なんて言ってしまって」

「いいえ。いつかそうなるのではないか、と思っていました」

「私の野望は、あなたにはバレていたのね」

「ええ」


 クレアは私の手を握り、額と額をこつんと合わせる。


「魔法学校がある王都は、雪などほとんど降らないそうです。だから、秋になっただけでミシャお姉様のおでこや手が、冷たくなることもないと思います。私達のことなんて気にしないで、元気よく、自信を持って受験してください」

「クレア……」


 なんだか泣いてしまいそうになったので、クレアの体を抱きしめて、顔を見られないようにする。


「でも、クレア、あなたは大丈夫なの?」

「大丈夫、というのは?」

「突然、子爵になるかもしれないのよ?」

「ああ、それだったら、マリスと一緒になんとかします。マリスは野心家なので、きっと大喜びするでしょう」


 ここでのことは、何も心配しなくてもいい、とクレアは言ってくれた。


「ミシャお姉様、もしも魔法学校に通うことになったら、お手紙をたくさん書いてくださいね」

「もちろん、約束するわ」


 まだ願書を出せるかわからないような状況なのに、すでに魔法学校に合格したような気持ちになってしまう。

 背中を押してくれたクレアのためにも、なんとしてでも魔法学校に入学したい。

 そのためには、両親の許可が必要だ。

 どうか許してくれますように、とクレアと一緒に祈ったのだった。

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