まさかの登校
授業がある教科の魔法書をベルトにまとめて、さあ、登校だ。
元気よくレナ殿下と外に出たのはいいものの、思うことがあって立ち止まってしまう。
「ミシャ、どうかしたのか?」
「その、私なんかがご一緒したら、取り巻きの方々にもみくちゃにされそうな気がして」
「たしかに、少々危険だな」
黙って出てきたと話していたので、発見したら大勢で押しかけてくるに違いない。
私なんか彼らの視界に入っていないだろうから、押しのけられて転倒し、踏まれるところまで想像できてしまった。
「わかった。ならば――シュヴァル!」
魔法陣が浮かび上がり、そこからユニコーン、レナ殿下の使い魔シュヴァルが登場した。
「これに一緒に乗っていこう」
「乗馬ですか」
ユニコーンは私なんぞを乗せてくれるのだろうか。正直、自信がない。
レナ殿下が大丈夫だと言うので、ゆっくり接近してみる。
どうも……と控え目に挨拶したら、ふん!! とすさまじい鼻息を返された。
「そういえば、鞍がないな。ミシャは裸背馬に乗ったことはあるか?」
裸背馬というのは、鞍を装着していない状態の馬に跨がることらしい。
「ないわ。そもそも雪国には馬を飼育する環境になくて、馬に跨がったことすらないの」
「そうだったのか。では、馬代わりの生き物がいたのか?」
「ええ。エルクっていう、巨大な鹿みたいな生き物がいたわ」
私が住む小屋くらいの大きさだ、と言ったら驚いていた。
「なるほど。そうだったのか」
今日は先に登校してもらおうと思っていたのに、背後にいたジェムが思いがけない行動を取る。
ぽんぽんと数回跳ねて跳び上がり、シュヴァルの背中に着地するのと同時に、鞍の形に変化したのだ。それだけでなく、触手を伸ばし、手綱も作っていた。
「ああ、その手があったか。ミシャの使い魔は天才だな」
「ええ……まあ……」
一緒に登校することを回避できるかと思っていたのに、そう甘くはなかったようだ。
ジェムの活躍もあって、私は初めてユニコーンの背中にレナ殿下と一緒に跨がることとなった。
振り落とされたらどうしよう、なんて思っていたのだが、そんなことはまったくなく。
前世でも普通に日本人をやっていただけなので、乗馬の経験なんてあるわけがなかった。
初乗馬がユニコーンなんて、信じられないような気持ちになる。
私が前に跨がり、レナ殿下はその後ろに腰かける。
レナ殿下は片方の手で手綱を握り、もう片方の手は私の腰に回した。思いのほか安定感があるので、私の体が大きく傾かない限り落馬することはないだろう。
最初はゆっくり歩いていたのだが、だんだん速くなっていく。
小走りくらいの速さで進んでいった。
心地よい風が頬を撫でる。
馬上の人となっているので、視界はいつもより高い。
校舎までまっすぐ繋がる並木道には、イチョウが落葉し、道を黄金色に染めていた。
その様子は馬に跨がって見ると、よりいっそう美しく見える。
紅葉する木々を間近に見ることができて、ほう、と熱いため息が零れた。
登校していた生徒達はレナ殿下に気付いたようだが、シュヴァルに跨がっているため、接近できない。
作戦は成功かと思いきや――私に怪訝な視線が集まる。
「レナ様と一緒にいるあの女、誰?」
「さあ? 新入生にいたかしら?」
いましたとも!! と叫びたいのをぐっと我慢し、顔を俯かせて目立たないように努めた。
下駄箱がある出入り口の前には、取り巻き達が待ち構えていた。
「せっかくシュヴァルに乗ってやってきたというのに、困ったな」
「だったら、中庭から校舎へ入るのはいかが?」
「それはいい考えだ」
耳元で歯を食いしばっておくように言われ、その通りにしていたら、レナ殿下は手綱を大きく引いた。
すると、シュヴァルは『ヒイイン』と鳴き声を上げ、大きく跳躍する。
「なっ!?」
四階まである校舎をひと息で跳び越え、中庭へと着地したのだ。
私がジェットコースター好きじゃなかったら、気を失っていただろう。
なかなかの恐怖だった。
シュヴァルから下りたあとは、膝の力が入らず、ぐにゃぐにゃになってその場に座り込んでしまった。
「ミシャ、大丈夫か?」
「え、ええ……。平気よ。少しびっくりしただけだから」
鞍から球体に戻ったジェムが触手で私の体を支え、立ち上がらせてくれた。
なんとか落ち着きを取り戻したので、渡り廊下のほうへと向かう。今日はジェムも大人しくついてきてくれるのでありがたい。
下駄箱のほうへ向かうと、目論見通り取り巻き達の姿はなかった。
急いで靴を校内履きの革靴に履き替え、教室に向かった。
取り巻き達がいないと、平和なものである。
他の生徒達も、遠巻きに見るばかりだった。
「いつもこうだったらいいのにな」
「本当に」
教室へ入ると、クラスメイト達はレナ殿下のもとへ集まる。
私は隙間から抜け、自分の席へと向かった。ジェムもコロコロ転がってついてくる。
エアはすでに登校していて、片手を挙げて挨拶してくれた。
「よっ、おはよう」
「おはよう」
席に腰を下ろすと、はーーーーと深く長いため息が零れた。
「おい、ミシャ。お前、どうしてレナと一緒に登校してきたんだよ」
「あーーーー、うん。いろいろあってね」
すでに教室内では、レナ殿下と私がユニコーンに跨がって登校してきた、と噂が広がってきているらしい。
レナ殿下のほうを見ると、目が合ってしまった。
パチンとウインクしてきたので、半笑いを浮かべ、手を振って返す。
「いつ、仲良くなったんだ?」
「昨日の放課後に偶然会って」
「ふーん」
エアは深く追求せず、今日食べた朝食の話をし始めた。
寮の食堂はブッフェ形式となっていて、好きな物を好きな量だけ食べることができるらしい。
ただし、監督生が目を光らせていて、食べきれないほど確保したり、ぺちゃくちゃと喋っていたりしたら、怖い顔で注意されるらしい。
エアは目立たないよう、端っこの席でモソモソ食べてきたようだ。
「ミシャは何を食べてきたんだ?」
「マカロニのトマトソース絡めと、ジャガイモのガレットだよ」
「うまそうだな。朝食なんて、そんなもんでいいのに」
下町時代のエアは、パンが一つに水が一杯、なんて内容がほとんどだったようだ。
そのため、濃厚なポタージュや、バターたっぷりのデニッシュなんぞ食べた日には、お腹を壊していたらしい。
「今は慣れたけどよ」
私のささやかな朝食でも、豪華なくらいだと言っていた。
「今度、エアも食べにきなよ」
「行きたいけれど、登校開始を知らせる鐘が鳴る前に寮を抜け出したら、処罰もんだな」
「そっか。そういう決まりがあるんだったね」
レナ殿下は学校内を行き来する魔法巻物を所持しているようだった。
特例で自由な行動が許されているのだろう。
「だったら、今度お弁当を作ってくるわ」
「オベントウ? なんだそれ?」
なんでも下町での食事はだいたい一食か二食で、お昼は何も食べないらしい。そのため、お弁当文化がないようだ。
そういえば前世でも、お弁当を持ち歩くのは日本人くらいで、海外ではあまり浸透していなかったような気がする。
「お弁当というのは、手作りの料理を容器に詰めて、昼食として食べるものなの」
「へーーーー、貴族にはそんな文化があるんだなーーーー」
「いや、貴族の文化ではなくて、えー、その、異世界の文化なの」
前に本で読んで、と適当にはぐらかしていた。
「オベントウか、いいな。購買部のパンの争奪戦は大変だって話を聞いていたし、オベントウがあれば昼休みもゆっくり過ごせる」
食堂は高いし、パンは戦争だし――たしかにお弁当があったら、心穏やかにお昼を迎えられるのかもしれない。
「エア、明日、お弁当を作ってきてあげるわ」
「いいのか? でも、なんか悪い気が……」
「だったらその、予習ノートを見せてくれる?」
エアは感心なことに、朝から勉強をしていたようなのだ。
なんでも寮にいる個人指導教師にいろいろと教わっていたらしい。
「交渉成立だな!」
そう言って、エアはノートを貸してくれたのだった。