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レナ殿下と

 いったいどうして、私はレナ殿下に壁どんをされているのだろうか。

 額に脂汗がぶわっと浮かぶ。

 まさか、知らない間に不敬を働いていたとか?

 いやいや、心当たりなんてない。

 それにもしも不敬行為なんぞしていたら、騎士が私のもとに現れ、即座に連行していくだろう。

 だったらなぜ?

 口を塞がれているので、私に発言権などなかった。


「ミシャ・フォン・リチュオル――少し、話がしたい。いいかな?」


 穏やかな優しい声である。

 きちんと本名も把握している上で、話がしたいと申し込んできた。

 ただ、少々手荒な方法だったが。

 私はこくこく頷く。すると、レナ殿下は安心したように、にっこり微笑んだ。

 なんとも美しい笑みである。

 だが、見とれている場合ではない。

 これから、顔を貸すように、と言われているのだ。


「校舎の最上階に、特別な生徒のみが出入りできるレストランがあるんだ。そこでいいかな?」


 こくこく頷くと、レナ殿下は懐から魔法巻物を取りだす。

 迷いもせずに破ると、目の前の景色がくるりと回転しながら変わった。

 ふわふわの赤絨毯の上に着地した瞬間に、転移魔法だと気付いた。


「こちらへ」


 もう拘束する気はないようで、レナ殿下はスタスタと歩き始めた。

 私はそのあとを、小走りで追いかける。

 行き着いた先は個室だった。

 給仕係が八百円しそうな水をグラスに注ぎ、ぺこりと一礼する。


「夕食はまだかな?」

「はい」

「では、食べてから話をしようか」


 一刻も早く解放されたい、という思いと、王族が口にする高級そうな料理を食べてみたい、という思いが同時にこみ上げてくる。


「都合が悪かっただろうか?」

「い、いいえ!」


 結局、お腹がぐーっと鳴って、食欲のほうが勝ってしまった。

 メニューは存在しないようで、レナ殿下が給仕係に何か注文してくれた。


「ワインは?」

「飲みません」

「そうか。おいしい葡萄ジュースを用意してもらおう」


 この国では十五歳から飲酒が許可されている。けれどもお酒を飲むとすぐに顔が真っ赤になり、眠たくなってしまうため、あまりいただかないようにしているのだ。


 それにしても、レナ殿下はここにやってきてからの振る舞いは実にスマートだ。

 ただ、それだけ私を捕まえたときの、少々手荒な手段はいったいどうして? と疑問に思ってしまうのだが。

 そんな私の考えていたことを見透かすように、レナ殿下は謝罪した。


「すまない。焦っていて、乱暴な手段をとってしまった」

「えー、その、はい」


 二度としてほしくないので、大丈夫とは言わなかった。

 レナ殿下は申し訳なさそうに重ねて謝罪してくれる。


「以前、君と話したかったのに、走っていなくなってしまったから、焦っていて」


 そうだった。私には前科があったんだった。

 真っ正面から接触しようとしたら、私が再度逃げると思ったのだろう。

 この件に関しては、素直に謝っておく。


「あのときは、すみませんでした」


 長い事情聴取を受けたくなかったんです、とは言えなかった。


「いや、君は命の恩人なんだ。謝らないでほしい」

「いえいえ、とんでもない」


 しーーーーん、と静まりかえる。

 なんだか気まずくなって、壁紙の染みでも数えようとしたが、ここは選ばれし者のみが入場できるレストランだ。染みなんてあるわけがない。


「えーーーー、その、魔法学校にこのような場所があるなんて、びっくりしました。みんな、カフェテリアを利用しているとばかり」

「ああ、そうだね。君も出入りできるよう、取り計らおうか?」

「いえいえいえ、私なんぞにはもったいないような空間でございます!」

「そんなことはないよ」


 レナ殿下の優しさが身に染みすぎて、良心がズキズキ痛んでいるように思えてならない。

 今の願いは早くここから解放してほしいの、ただ一つだった。


「それにしても、私の身に何があったのか、君は聞かないんだね」 

「そ、それは――!」


 言葉に詰まったタイミングで、料理が運ばれてくる。

 前菜は鴨のゼリー寄せに、ハムとチーズのスフレ。

 スープはかぼちゃのポタージュ。

 肉料理は仔牛と野菜の巻き物ポーピエット、ニンジングラッセ添え。

 口直しのソルベを挟んだあと、魚料理は二枚貝の詰め物ファルシをいただく。

 パンは焼きたてほかほかで、食事に合わせる葡萄ジュースは美味。

 デザートのオレンジソースがかかったクレープに至るまで、おいしかった。


「いかがだっただろうか?」

「とってもおいしかったです」

「それはよかった」


 食べ終えた食器などはすべて片付けられ、代わりにフルーツの盛り合わせと紅茶が運ばれてくる。

 もう食べられないのだが、ここの紅茶はおいしいだの、今が旬の葡萄は最高だの、口々に勧められる。

 もうそろそろ帰りたい。ガーディアン・プラントに残してきたジェムも心配だし。

 お暇しようとした瞬間、レナ殿下がにっこり微笑みながら話しかけてくる。


「それで、どうして君は、私が女だと気付いているのに、何も聞かないのかな?」


 直球の質問に、ヒュッ! と息を大きく吸い込んでしまった。

 

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