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レヴィアタン侯爵の屋敷にて

「すまない。ずっとここで待っていたら、彼が突然窓から入ってきて――む?」


 レヴィアタン侯爵が振り返ると、彼の姿はなくなっていた。


「話が終わったから、窓から帰ったようだな」


 ここは二階では……? と猛烈に気になったものの、二階から出入りできるほどの運動神経の持ち主なのかもしれない。

 深く考えたら負けだ、と思うことにした。


 椅子を勧められたので、ありがたく腰かける。

 紅茶とお菓子が運ばれてきたが、ごくごく普通の物にしか見えなかった。

 なぜ、庭で黒薔薇の蔓が踊り、マンドレイクが走っていたのか、という疑問についてはあとで聞いてみよう。


 レヴィアタン侯爵の血濡れ候という異名は見た目こそぴったりだと思うものの、中身は朗らかな人物のようだ。


「どうか、私のことは王都の父として接してほしい!」

「こ、光栄です」


 なんでもレヴィアタン侯爵は父からのお願いが嬉しかったようで、私がやってくるのを今か、今かと楽しみにしていたらしい。


「私はこの見た目だから、他人から距離を取られることが多くてな」


 そんな中で父だけが、普通に接してくれたらしい。


「年若い令嬢からも、ひと目見られただけで悲鳴を上げられることが多々あり……。しかしながら、ミシャ嬢は私を怖がらなかった」


 包丁を持ってうろつく執事を見たときは、悲鳴を上げそうになったのだが。

 なんでも執事は、屋敷にいるネズミを駆除しようとしていたらしい。なんて物騒な、と思ってしまう。


「妻との仲も、リチュオル子爵が取り持ってくれたのだ」

「さ、さようで」


 ここで客間の扉がトントンと叩かれる。

 入ってきたのは小柄の美しい女性――レヴィアタン侯爵夫人であった。


「ごきげんよう。わたくしはエマ・フォン・レヴィアタンですわ」

「どうも初めまして。ミシャ・フォン・リチュオルと申します」


 彼女は父の遠い親戚――従姪じゅうてつにあたるらしい。

 リチュオル子爵家の分家で、ラウライフの地から離れて暮らす一族だったようだ。


「我が家はいかがでしたか?」

「えーーーーー、そのーーーー、うーーーーん」

「正直におっしゃって」

「とてつもなく、不気味でございました」

「あら、やっぱりそう思います?」


 レヴィアタン侯爵夫人は嬉しそうに微笑む。

 なんでも彼女はオカルトマニアで、化け物屋敷を作るのが夢だったらしい。


「わたくしの夢を叶えてくださったのが、夫なんですよ」


 レヴィアタン侯爵はでれでれした様子でいた。

 一見して美女と野獣といったご夫婦だが、お似合いの二人だったわけだ。

 レヴィアタン侯爵家の屋敷が不気味だった理由がわかり、ホッと胸をなで下ろす。


「お庭には黒薔薇やマンドレイクがいるから、気をつけてくださいね。何もしなければ、悪さはしないので」

「は、はあ、気をつけます」


 夕食に誘われたので、ご一緒させていただいた。

 魔物の煮付けとか、悪魔の丸焼きとか、そんな食事が出てくるのではないか、と警戒していたものの、料理はどれもおいしそうな品ばかりだった。

 思いのほか、楽しく食事を囲む。

 レヴィアタン侯爵家には二人のご子息がいるようだが、どちらも騎士隊に所属しているらしい。宿舎暮らしをしているようで、戻ってくるのは一か月に一回あるかないか、なのだとか。


「もしもわたくしに娘がいたら、こんな感じでしたのね」

「ふむ。いいな、華やかで」


 たまに遊びに来て、食事を一緒にしようと、ご夫婦は言ってくれた。

 ありがたくて、少し涙してしまったのは秘密である。

 レヴィアタン侯爵夫妻に見送られ、私は屋敷をあとにしたのだった。


 仕事が始まる前に、食べ物の物価についても確認しておく。

 パンは銅貨一枚(日本円にして百円)。野菜は銅貨一枚から二枚ほど。お肉は一切れ大銅貨(日本円にして五百円)くらいから買える。

 レストランで食事をした場合、一食につき三千紙幣(日本円にして三千円)。

 外食はかなり高めである。

 王都の土地代が高いのだろう。

 味を選ばなければ、路地裏の怪しい出店にて銅貨数枚で食べられるが、衛生観念が怪しいので、可能であるならば口にしたくない。


 どうやら自炊したほうが、生活費を節約できそうだ。

 市場を見回り、新鮮な野菜やお肉を売るお店の調査もしておく。

 中には平気で腐りかけを売る人達もいるので、注意が必要なのだ。


 ◇◇◇


 それから一か月もの間、ガーデン・プラントでせっせと働く毎日を送っていた。

 私は満足な働きをしているらしく、ホイップ先生から褒めてもらった。

 小屋の整備は思っていたよりも進んでいないようで、学校が始まるまで使えなかった。


 そしてとうとう、入学式当日を迎える。

 ヴァイザー魔法学校の入学式は秋に行われるようだ。

 日本だと入学シーズンは春だと決まっているので、不思議な感じである。

 紅葉した葉が散る校内を歩いて行った。


 玄関にはクラス分けの紙が貼られていた。

 そういえば、エアは合格したのか。

 自分の名前よりも、先に彼の名を探してしまう。

 生徒は全部で二百名もいるので、見つけられるのか。

 なんて考える私の肩を叩く者が現れた。


「ミシャじゃねえか!」

「エア!」


 どうやら彼も合格していたらしい。嬉しくって、思わず抱きついてしまう。


「エアも合格していたんだ」

「ああ、そうだったんだよ」


 合格発表の場に私の姿がなかったので、落ちたものだと思っていたらしい。


「連絡先を聞いておけばよかった、ってずっと後悔していてさ」

「そうね。私もだわ」


 不合格だったときのことを、お互いにまったく考えていなかったのだ。


「まあ、こうして再会できたからいいけどよ」

「本当に」


 エアの合格は自分のことのように嬉しかった。

 私達は年甲斐もなく、はしゃぎ回る。


「エア、魔法学校の制服、よく似合っているわ!」

「本当か? 実は不安だったんだ。こんないい服を着るのは初めてだからさ」


 下町暮らしのエアは基本的に古着を購入し、着ていたらしい。


「すぐ服は小さくなるからさ、困っていたんだ。でもこれは、魔法で伸び縮みするっていうから、助かるぜ」

「本当に」

「ミシャ、お前も似合っているじゃねえか」

「ふふ、そう?」


 エアの前でくるりと一回転してみる。

 ヴァイザー魔法学校の生徒にしか着用が許されない青いローブは袖を通したときに感動を覚えた。

 それからふりふりのブラウス、ベルベットのリボン、足首まで丈のあるジャケットワンピースには、銀色の糸で校章が刺繍されている。

 優秀な生徒や監督生には独自のローブやリボン、タイが用意されるようで、皆の憧れとなっているようだ。


「俺も監督生を目指してみるかなー」

「エアは声が大きいから、向いていると思うわ」

「声量で選ばれるわけがないだろうが。それはそうと、気になっていたんだが」

「何?」


 どうして合格発表の場にいなかったのか、と聞かれ、誰もいないところまでエアを引っ張っていく。


「実は、特例で合格したのよ」

「特例って?」

「魔法薬学の先生の手伝いをする代わりに、魔法学校に通えることになったの」

「なんだそりゃ! 寮はどこなんだ?」

「管理小屋があって、そこで暮らすの」


 整備は今朝方に終わったらしく、今日から暮らせるらしい。

 必要な品はぜんぜん持ち込めていないので、休みの日に整理しなければならないだろう。


「エアはどこの寮?」

「フレイム寮だ」

「火属性なんだ」

「まあな」


 気ままな独り暮らしが羨ましいという。

 フレイム寮は建物が二つあり、男女にわかれているらしい。夜の行き来は禁止されていて、破ったら同じ学年の者達全員が食事抜きとなるようだ。

 それ以外にも、門限を破ったら反省のレポートを百枚、ケンカをしたらおかしの購入を一年間禁止、シャワーを一日でも浴びなかったら全校生徒の前で歌を唄わなければならないなど、厳しい決まりがあるようだ。


「思っていた以上に寮は厳しいぜ」

「そうなんだ」

「生徒を監視する監督生プリーフェクトって上級生がいるんだが、そいつが怖くて怖くて」


 一つの寮に一名、監督生が配備されているらしい。


「その監督生をまとめる、監督生長ハイ・プリーフェクトって呼ばれる奴がいて、とんでもなく恐ろしいらしい」


 監督生長に目をつけられたら、学校生活は終わったとまで言われているようだ。


「竜を使い魔に連れていて、鷹の目みたいに、校則破りを見逃さないって話だぜ」

「気をつけないといけないわね」


 監督生がいなくてよかった、なんて思っていたものの、監督生長がいるのであれば、必要以上に真面目な生活を送るしかないのだろう。


「それはそうと、エア、クラスは確認した?」

「いいや、まだだ」

「だったら一緒に見に行きましょう」

「おう」


 クラス分けは火、水、風、土、それ以外の元素を持つ者が均等になるよう分けてあるらしい。

 エアと私は同じ二組だった。


「ミシャ、一緒のクラスじゃねえか!」

「本当だわ」


 私達は手を取り合い、無邪気に喜ぶ。


「ミシャ、一年間よろしくな!」

「ええ、こちらこそ」


 がっちり握手をし、クラスメイトになれたことを喜んだのだった。

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