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ミシャの決心

 ……珍しく、寝坊してしまった。

 鳥達は朝からけたたましく鳴いていたようだが、昨晩、考え事をして眠れなかったからか、起きることができなかったようだ。

 最終的に、ウォーターベッドと化したジェムが、私を強制的に起き上がらせ、頬を触手でぺんぺん叩いて起こしてくれた。

 三十分ほど寝過ごしていたようで、大慌てで朝食とお弁当の用意をする。

 お弁当はジャムサンドにリンゴ、それから作り置きしていたピクルスを瓶ごと入れるという、手抜きにもほどがある内容だ。

 朝食は薄切りにしたバゲットに、豚のリエットを塗り、上に庭で摘んだベビーリーフを載せただけのものに、昨日の残り物のスープを添えるだけ。

 なんとか終わったと額の汗を拭っているところに、レナ殿下がやってきた。


「ミシャ、おはよう」

「おはよう」


 それとなく気まずく思いつつ、レナ殿下と一緒に食卓を囲んだ。

 ひとまず食べ終えてから、本題へと移る。


「あの、昨日、聞いた話の件だけれど――」

「ああ、待ってくれ。結界を張るから」


 たしかに、この話題について誰かに聞かれたら大変である。

 結界がしっかり張られたのを確認すると、私は一晩考えてだした答えをレナ殿下へと伝えた。


「ヴィル先輩についてだけれど――私はこれまで通り、彼との付き合いを続けるわ」

「どうして!?」

「理由はいろいろあるけれど、私は自分で見た彼を信じたいの」


 もちろん、今まで通りヴィルに対して無警戒で接するわけではない。

 彼の感情の機微を、傍で監視する目的もある。


「ヴィル先輩は勘が鋭いところがあるから、私が突然離れていったら、不審に思うかもしれないでしょう? その結果、探りを入れられたら、私は秘密を守れなくなると思うの」

「たしかに、それはあるかもしれない」


 警戒をした上での現状維持が、もっとも平和かつ安全だと思っている。


「少しでもヴィル先輩がおかしなことを言いだしたら、すぐに助けを求めるから」


 緊急避難用の転移の魔法巻物を購入しようかと考えているところである、と打ち明けると、レナ殿下は「用意しておこう」と言ってくれた。


「あの、魔法巻物のお値段はいくらくらいなのかしら?」

「転移の魔法巻物は安くても一枚、金貨五枚ほどだ」

「ひっ!」


 金貨五枚は日本円にして五十万円くらいだ。聞いただけで全身に鳥肌が立ってしまう。

 なんでも距離によって、値段が変わるらしい。


「転移先はどこがいいだろうか?」

「そうね……」


 もっとも安全と言えるのは実家だろうが、それだと距離がありすぎてかなり高価になるだろう。

 かと言って、ヴィルの協力者である可能性があるホイップ先生や、他の教師がいる場所というのも安心できない。


「王妃殿下の私室はどうだろうか?」


 なんでも王妃殿下の私室には、強力な結界がかけられているらしい。そのため、たとえヴィルであっても入ることはできないという。


「待って。王妃殿下の部屋に突然避難したら、私のほうが不審者扱いされるわ」

「王妃殿下には伝えておく」

「でも……緊急事態になったとき、行く先が王妃殿下の部屋だと躊躇ってしまいそうで怖いの」

「なるほど。だったらどこがいいのか」


 王都でもっとも安全と言える場所――腕組みして考えた結果、ピンと閃いた。


「レヴィアタン侯爵邸がいいわ」

「ああ、たしかにレヴィアタン侯爵であれば、何があろうとミシャを守ってくれそうだ」

「ええ!」


 さっそく、レナ殿下はレヴィアタン侯爵邸に繋がる転移の魔法巻物を発注してくれるという。


「えーっと、魔法巻物の代金は分割で返済するわ」

「いや、必要ない」

「そういうわけにもいかないわ。お友達だから、借りたものは返さないといけないの」

「友達というのは、そういうものなのか?」

「ええ、そうよ」


 その言葉で納得してくれたようで、ホッと胸をなで下ろした。

 借金を抱えることになるが、身の安全を考えたら安いものだろう。


「レヴィアタン侯爵邸には、何かあったときの避難先にしてあるって話しておくから」

「わかった」


 前もって話しておけば、私が突然転移魔法で現れても、レヴィアタン侯爵家の方々に驚かれずに済むだろう。


 それ以外にも、何か対策があったほうがいい、とレナ殿下は言う。


「この先、心配をかけると思うけれど、私にはジェムがいるから、何かあっても切り抜けることができると思うの」


 ジェムは話を理解しているのかいないのか、小首をかしげていた。


「ヴィルと一緒にいるときは、最大限の警戒をしてほしい」

「ええ、わかっているわ。何か違和感を覚えたら、すぐに報告するから」

「ああ、頼んだぞ」


 一点、気になることがあったので、質問してみた。


「あの、リンデンブルク大公やノアが協力関係にある可能性は?」


 レナ殿下は首を横に振る。


「リンデンブルク大公とノアは、ヴィルの計画には無関係だろう」


 彼らもヴィルと同じように、王家に不満を抱いていてもおかしくない立ち位置にいる。

 リンデンブルク大公は国王の執務から遠ざけられ、現在はヴァイザー魔法学校の理事であるだけだ。他の兄弟や大叔父が聖教会の枢機卿や宰相であることと比べたら、扱いが低い気がする。

 ノアは言わずもがな。

 男装し、性別を隠しているレナ殿下と結婚させるために、女性として育てられた。

 そこに彼の意思はなく、王家の思うがままに振る舞うよう強制されているのだ。

 もしかしたらヴィルよりも、二人のほうが王家に大きな不満を抱いていても不思議ではない。


 けれどもその可能性はないとのことで、そうなのか、と納得するしかなかった。

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