お中世ラブロマンス小説の序盤で死ぬ身代わりヒロインになったので主人公を売り飛ばしましたわ
「詰んだ……」
停止した馬車の中で、外の喧騒に耳を塞ぎたくなりながら私は遠い目をして窓の外の青空を眺めた。
青い空に白い雲。
そして視界に入る広い海。駆け抜けた大橋の向こう側には都市が広がっていると、過去の記憶が引き出されて頭の中にイメージできる。
「お嬢様!けして扉を開けてはなりませんよ!」
必死に私を抱きしめる侍女のメイは震えているが、もし扉が破られて外の盗賊が入って来ようものならその身を挺して私を逃がそうという決意が見て取れた。そして実際に、数分後にはその通りになるのを私は知っている。
護衛騎士が少なすぎたのだ。
王都から遥々故郷の島の領地へと伯爵令嬢が戻るにはあまりにささやかだった。手紙を出した父、ドルツ・アシャ伯爵はしっかり準備を整えてから出発するようにと念を押していたし、王都の伯爵邸の騎士たちも私・アリシア・アシャ伯爵令嬢の護衛につくと何人も名乗り出た。
しかしこの、優しい気持ちだけで生きている伯爵令嬢様は「大丈夫よ」となんの根拠もなしに微笑んで、そんなことより、と王都で流行っている怪事件の解決のために騎士団の皆さんには働いて欲しいと、一人一人の手を握って懇願した。
美しく心優しい聖女アリシアお嬢様。
眩い黄金のような金の髪に、晴れ渡った青空を閉じ込めたような澄んだ瞳。バラ色の頬と、白い肌。華奢な体だが、女性らしいやわらかい線があり……とにもかくにも、誰もが認めるうつくしいお嬢様。
と、私は客観的にそれを語っているが、自分のことである。
正確には憑依したというべきか。それとも転生したのかわからないが……数分前、盗賊たちに襲われ、バッタバッタと護衛騎士たちが倒されていくうちに、馬車の中で震えていたこのアリシアお嬢様。
自分の所為で彼らが死んだと、自責の念で心が砕けた。
そうして浮上したのが私である。
さて私は誰か。簡単だ。私は私である。詳しく言えば、ここではない別の世界、日本という島国で生きていた平凡な会社員の性別レディである。
私がアリシアにとって前世なのか、それとも憑依した魂なのか不明だが、そんなことは重要ではなく、今現在アリシアの体で呼吸をしているのが、日本人の××××だという自覚を持った私であるということだ。
そして私は同時に、このアリシア・アシャ伯爵令嬢を「自分だ」と認識するほかにも知っていることがある。
この出来事。
王都から故郷へ戻る旅の途中の馬車の中で、アリシアを襲う出来事について、私は知っている。なぜかというのは単純だ。
前世で「読んだ」物語の世界にこの世界は酷似している。
とある長編小説だ。分厚いハードカバーで上中下巻の3巻セット。中世ラブロマンス小説の典型で、中世の定義が長すぎていったいジャガイモ料理は出てくるのかと心配になるだろうが安心してほしい。舞台は地中海だ。序盤は古代ローマもびっくりな大橋で繋がる島。闘技場や商業施設もある。地方とは思えないほど栄え、特産品であるガラス細工は他国にも広く知られている。
そういう島で起こるストーリーは簡単だ。
「お嬢様!!」
ついに馬車に賊が入り込んだ。メイが必死に私を庇うが、女の細腕ではまともな抵抗ができるわけもない。物語の序盤の最初。メイは殺される。そして彼女が殺されて、アリシアが馬車から引きずり出され彼らに誘拐されそうになったところに、登場する人物。
を、私は待つ義理はない。
「メイ、伏せて」
ぐいっと私は自分のブローチを引き抜いて細長いピンを賊の眼球に刺した。当然上がる絶叫。そして賊の男が大暴れする。狭い馬車の中で乱暴に体を動かせばあちこちにあたるのは当然だ。私はとにかく刺す。刺す。刺す。手あたり次第賊を刺した。とても痛いと思う。こちらの心まで痛くなってくるが、申し訳ない。それはそれとして刺す。
しかしその些細な抵抗は、言ってしまえば状況を打破できるほどのものではない。男は逆上し、当然のことながらさらなる暴力を振るおうと、痛みと怒りで真っ赤になって襲い掛かる。
「っ、おい!誰か……無事か!?生きてるか!?」
「……思ったより、早い」
私のか弱い抵抗もそう長くは続かず、メイの代わりに殴られるくらいの覚悟はしておいた方が良いと思っていた頃。男を後ろから刺して引きずり出し、馬車に飛び込んでくる青年。
(これが物語の主人公か)
日に焼けた肌に鳶色の瞳。髪は真っ黒で、平民らしい配色と言えばそれまでだ。首と手には枷がついており、はだけた胸から見える刻印は彼が「奴隷」であることを示している。
「お、お嬢様ァアアアア……た、助かったんですか!?」
現れた青年は自分たちを救うものだとメイは信じた。まぁ間違ってはいない。私は泣きじゃくる侍女を慰めながら、物語のワンシーンを思い出した。
中世ラブロマンス小説にありきたりな、危機一髪のヒロインをヒーローが救うシーン。
彼の名はローグ。森の木こりの子供だったが、冬を越せずに両親が病死して、親の葬儀を挙げるために自分の身を奴隷商人に売った。というのは建前で、木こり一家には借金があった。彼がそうして金を得なければ二つ上の姉が娼館に行くしかなく、幼い弟たちを姉に託して彼は奴隷商人の馬車に乗り込んだのだ。その時の回想シーンでは『奴隷は十年働けば自由になれるだろう?』と、姉弟たちに言っていた。娼婦になれば十年も生きられない姉より、生存する可能性は高いと、そんな計算をしなければならない環境だった。
そうして彼はもう三年ほど奴隷をやっているのだが、最初の主人が病死した。家族は奴隷よりも新しい首飾りが欲しいからとローグを手放し、そうして彼は奴隷商人に連れられて大きな町を目指している、とそういう途中。そこで見るからに立派な馬車が賊に襲われている。奴隷商人は「丁度いいところで助けに入れば恩を売れる」と思って、タイミングを見てから奴隷たちを向かわせた。奴隷は労働力というだけではなく、闘技場での剣奴として売る道もあり、どれくらいの実力なのかと知っておきたかったらしい。
(物語だと、この時の命の恩人ローグを、アリシアが買い上げようとするんだけど。奴隷商人がローグの腕を見込んで闘技場で売った方が高値が付くと思って断るのよね)
代わりにアリシアには死んだ侍女の代わりにと女奴隷をすすめる。アリシアは貴族で、そして奴隷を使うことに抵抗がなかったからそれを承知するのだったか。
しかし今回、メイは死んでいない。
ばたばたとあわただしく、事態が収まった。
揉み手をして登場した奴隷商人はアリシアの名を知っており、アシャ伯爵令嬢をお助けできるとは幸運でした、などと色々並べ立てる。
馬車の外は盗賊たちの死体があった。
これをローグが一人で行ったのだという。
ローグの最初の主人は変わり者で、貴族の間で流行っている「剣闘士」を自分が一から育てたいという野望を持っていた。それで見込みのあったローグに剣術を教え、彼を首都の闘技場でデビューさせることを夢見ていたが、お披露目が来る前に死んでしまった。そして彼の家族はそんな男のロマンなど全く知らず、夫の趣味のものなどわからないとばかりに夫人はサクッと、ローグを処分してしまったのだ。
「あんた、怪我は?」
「こ、こら!お前!!お嬢様になんて口を……」
「俺が助けたあんたが怪我をしてたら、俺の値打ちが下がるだろ」
じろじろとローグ青年は私を見る。
物語の中の、この時のアリシアの感想は「なんて野蛮なひと!」だ。
「大丈夫よ。助けてくれてありがとうございます」
「……そうか」
そしてこのローグ青年は、都市ペイマまでアリシアの護衛をすることになり、その道中、アリシアは彼の無骨ながら優しい気遣いに惹かれる。
都市ペイマに無事に帰ってからも、ローグのことが忘れられず、父に強請って彼が活躍しているという闘技場に連れて行ってもらおうとしているところに、「その日の闘技場の勝者たち」の一人としてローグがやってくる。勝者は裕福なご婦人にその晩お仕えするというR指定モノの展開もあるのだが、ローグとアリシアは噴水の前で語らうくらいのささやかなもの。
王都のシティガールが、地方の素朴な青年にひと夏の恋をするようなものなのだが、これは物語のほんの序盤。
この二週間後、この島は海底火山の影響で海に沈む。
それだけならまだいいのだが、混乱の中でアリシアはローグを助けるために死ぬ。
二人は馬車で脱出しようと途中までは良い感じなのだが、ここで悪役が大活躍する。シティガールアリシアには求婚者がいたのだ。それも王族。カイルという第二王子で、王都にいたころそれはもう熱心にアリシアにアプローチをかけていた。アリシアが故郷へ急ぎ戻ったのも、王子からの求婚から逃れたいというのもあったのだと書かれている。
まぁ、それはどうでもいいとして。
とにもかくにも、アリシアとローグが青春の恋をしている間にも、カイル王子がペイマまでやってきて、アシャ伯爵に「娘を妻に」と求める。伯爵は娘を溺愛していたのと、カイル王子の……物語の悪役に恥じない人でなしっぷりに「NO」と言える人格者だったのでなんとかなってはいた。しかし、あまりに断り続けると伯爵の立場も悪くなる。
そんな時に海底火山である。
結論から言うと、この序盤の大イベントで、カイル王子とローグ以外は皆死ぬ。ローグは伯爵に「娘を頼む」と託されてアリシアを連れ出すのだが、カイル王子がそれはもう大活躍して邪魔をする。というかアリシアを攫う。そしてローグが愛するアリシアを助け出そうと沈みゆくシティで始まるカーチェイス……ならぬ、馬車&馬でのイニシャルD。
読みながら多くの読者が「そんなことしてる場合か」と思っただろうが、序盤の見せ場である。
そして結果的に、ローグはアリシアをカイル王子から取り戻すことができるが、すでに時遅し……橋は崩れ、島は沈む。もうどこへも逃げる事ができないとローグは死を覚悟し、アリシアに謝罪する。
……と、そこでアリシアは王都にいたころに神殿で修行していた伏線が復活する。彼女は死の淵に女神に祈り、女神はアリシアの願いを聞き届けた。
気付けば、ローグただ一人が陸の上。
視界には沈んでいく島と、巻き込まれて崩れる船の数々。
女神は敬虔なしもべであったアリシアの願いを聞き届けて、彼女が愛するローグを助けてくれたのだ……と、そういうまさかの展開。
愛する女性を失い、ローグはその原因となったカイルへの憎しみのエネルギーのみで立ち上がり、物語の序盤はそこで終了する。
(そしてまぁ、その後はカイル王子への復讐を誓うローグとその妹の王女が恋をして……ラストは王女様と結婚したローグが王になるという感じなんだけど……)
そこは今はどうでもいいと私は思考をさえぎった。
*
「それじゃああっしはこれで」
剥げた頭をぺちりと叩いて、人の好さそうな老人が私に頭を下げた。
その老人が乗り込む馬車にはローグ青年。自分の身に何が起きているのかわからない顔をしながら、ドナドナと揺られて出発していく。
よし。グッバイ主人公。さらば私のヒーローであり私の死因。
私は父の治める都市に到着するなり、私の無事を喜ぶアシャ伯爵にチクった。とある奴隷商人が道中私が賊に襲われているのを知りながら、一番恩を売れるタイミングで助けに入るのを眺めて待っていた、と。
ローグの主人であった奴隷商人はパクられ、そして彼が都市で売るはずだった多くの奴隷は父が全員買い取って……そして私は「彼は命の恩人なの」とローグの権利を父に強請って入手して、そして使用人の老夫婦に二束三文で売り飛ばした。
老夫婦の事は前世の知識で知っている。物語の中で序盤に幸運にも都市を離れた夫婦だ。元々はアリシアの乳母だった女性と、庭師の夫。二人はアリシアが帰省して顔を見せると、そろそろ高齢だからと故郷の田舎に戻る。
二人には子供がいなかった。前はいたが、事故で亡くなってしまった。
ので、私は二人にローグを売った。奴隷という身分であるので譲渡ではなくちゃんと「売る」という手順を取って、ローグの権利書も法律上何の問題もなく渡している。
二人は善良で、そして奴隷に対しても「家族」という考えをもって他の使用人や奴隷たちに接していた。ローグを奴隷としては扱わず息子のように扱うだろうということは明らかだ。
「これでよし。まぁ、奴隷っていう身分を残しておかないと……原作通りに進まないかもしれないし」
原作小説は「身分違い」も売りにしていた。王女と奴隷。この要素を無くしてしまうのはよくないだろう。
サクッと私はローグ青年を追い払い、これで私が沈む島で市中引き回しのイニシャルDをさせられることはなくなったと安心する。
よし、次。
*
「………………あなたは一体、何なのだ?」
皇帝ユリウスの第二王子であるカイルは目の前で微笑む女性を前に、ただ目を瞬かせることしかできなかった。
王都にいた頃は自分のことを悪魔か何かのように毛嫌いしていたアリシア伯爵令嬢。心優しく誰にでも笑顔を向ける彼女がカイルのことは嫌っていた。彼女だけではない。カイルはおおよそ人に好かれる人種ではないことを自分でもわかっていた。皇帝である父ですらカイルを退ける。理由など明白だ。カイルが幼いころ、第一王子の母親がカイルの顔に熱湯をかけた。母親同士のよくある争いに巻き込まれただけなのだが、それ以来カイルの顔の半分には醜いやけどの跡がある。王族は完璧でなければならないと皇帝は考えており、顔半分が歪んだカイルは「脱落者」だった。
カイルは他の王族たちに陰口を叩かれながら、それでも玉座を夢に見た。王族として生まれたというのに、顔の半分が歪んだくらいで諦めねばならない至高の椅子はより眩しく見えた。
他の王子や側室を毒殺し、暗殺し、謀殺し、残るは第一王子と正妃のみというくらいになって、第一王子より知も武もあるカイルをそれでも皇帝は後継者には選ばなかった。
卑屈で他人が妬ましい性分であるカイルに近づいてくるのは王子という身分を何とか利用して旨味を吸ってやろうと考える者たちばかり。彼らが自分を本心では醜いヒキガエルのように思っていることを知りながら、カイルは彼らにも見放される惨めな自分になりたくはなかったのだ。
「なぜ驚くのですか。求婚してきたのは殿下の方でしょう。妻にする女の素性もわからずに結婚を申し込まれたのですか?そんなことはないでしょう?」
「…………」
そのカイルの目の前に、美しい令嬢がいる。
アリシア・アシャ伯爵令嬢。
王都で、いや、この国で最も美しい令嬢と言われているひとで、社交界では誰もが彼女の瞳に自分が映るのを待ち望む。
カイルはアリシアに熱心に求婚していた。馬車いっぱいの宝石の花を贈った。東の国の美しい絹を山のように贈った。それでもアリシアはカイルを見ては顔を顰め「汚らわしい方!」と拒絶した。カイルが武勇を上げるべく戦場に出て敵を殺しつくした噂や、カイルに子を殺された王妃が襲い掛かって来たのを返りうちにした噂を令嬢は聞いていたのだろう。
カイルは彼女を自分のものにしたかった。醜いヒキガエルと言われる自分の隣に美しい彼女がいれば、少なくとも彼女の眩しさで自分の醜さが目立たなくなるのではないかと思った。そして誰もが羨望する彼女を手に入れることで、自分の不完全さが、いびつさが、僅かでもマシになるような気がしたのだ。
なので彼女が王都から逃げるように故郷に戻ったと聞いて、カイルはそれを追いかけた。地方領主である伯爵のもとに逃げたとて、王族である自分の求婚をいつまでも躱し続けられるわけがないと、そう言ってやろうと思って追いかけた。
しかし、故郷の都市についたカイルをアリシア・アシャは笑顔で迎え入れた。
そしてまるでお伽噺の姫君のように「わたくしと結婚したいとおっしゃるのなら」とカイルに「無理難題」を提示してきた。
『十三日でこの街の住人全員を、殿下の領地に招いてくださいませ』
カイルは王子だが、領地を得ている。
都市ペイマがある島から少し離れた土地にあり、農業の盛んな場所だった。優秀な者が管理をしており、カイルは特別何かしているわけではないが名義上はカイルの土地だった。
そこに『ペイマの住人全てを移動させろ』とは、あまりにも無理難題だった。
カイルはアリシアが条件を出してきたのは、これで諦めろと暗に言ってきているのだろうとわかった。結婚「しない」とは言っていない。にっこりと美しく……眩しいほどに愛らしく微笑んでカイルを試す。これが無理なら帰れと言われていることはわかった。
馬鹿にするなよ、見くびるなよ、と、カイルは思った。
カイルの動きは素早かった。とにもかくにも、権力にも財力にも武力にもものを言わせて、有無を言わさずに住民の権利も人権も蹂躙し、無遠慮にズガズガと図々しく、ペイマの都市中の人間を島から追い出し、自分の領地に向かわせた。それは徒歩であり馬車であり馬であり、様々だったが、十三日目には都市には誰もいなくなった。
そしてカイルが島の見える丘の上で、アリシアに自慢げに「どうだ」と言おうとしたその十四日目。
島が沈んだ。
カイルは一躍英雄だ。
都市の何万人もの人間が、奇跡のように救われた。島が沈むと公言せず、カイル王子のわがままだというように触れ回ったのは混乱を招かないためなのだと誰かが叫び、そうしてそれが事実になった。
気付けばあれよあれよと、周囲が自分を見る目が変わる。
顔の半分は醜くただれたままであるというのに。かつて自分の顔がすべてまともだったころ、ただ顔の半分が爛れただけで周囲の目ががらりと変わったように。
そうして、そして、大聖堂。
白い僧衣を着た聖職者の前で、王太子の正装をしたカイルはアリシア・アシャ伯爵令嬢……王太子妃になるひとを前にしている。
混乱、疑問、困惑があった。
目の前の美しい女は魔女か何かなのだろうか。
かつて王都で見た時とは様子が異なるように感じる。あの頃は聖女のようだと言われていた無邪気で無垢な様子が、カイルに無理難題を告げてきた時には絶望を知った老女のような目になっていた。
「なぜ俺なんだ」
カイルは誓いの口づけをする前に問いかけた。
島が沈むことを彼女が知っていたのなら、英雄に仕立て上げるのは誰でも良かったはずだ。
アシャ伯爵令嬢は美しい瞳を僅かに揺らし、当然のように答える。
「殿下なら私の為になんでもしてくださると知っていました」
「なんでも?」
「えぇ。沈む島を馬車で走り回り私を探し続けるくらいのことは」
例えだろうが、妙な例え話だとカイルは思った。
だが確かに、自分はもし沈む島に居合わせて、そしてその島にアリシア・アシャ伯爵令嬢がいたのなら、彼女を手に入れるために沈む寸前まで走り回っただろうと思う。少しでも完璧になるために、少しでもマシになるために、必死に必死に、求めただろうと、そう思う。
しかし、アシャ伯爵令嬢の言葉はカイルに妙な、落ち着かない気持ちを湧き上がらせた。
彼女はカイルの本心を知らない。ただ熱心にカイルが自分に求婚してきて、そして愛ゆえに、カイルはどんな問題も解決してくれると、そう信じている。
「…………」
アシャ伯爵令嬢はカイルの能力を信じているのだ。
そして彼女の問題を解決できるのはカイルだけだと、カイルの他にいないと考えて、そうしてその結果、今彼女はカイルの目の前に立っている。
「……………そうか」
そうか、とカイルは二度呟いた。
他の誰でもない。他の、顔の半分が爛れていない他の男ではなく、アリシア・アシャ伯爵令嬢は自分がいいと、そう思ってくれているのか。
ぼろっと、カイルの歪んだ目から涙が零れた。
ぼろぼろと、大粒の涙が落ちていく。
真近にいる大司教はそれに気付いて狼狽えたが、目の前のアシャ伯爵令嬢は「あら、まぁ」と自分のベールの端を掴んでカイルの目を拭った。
その光景は王の威厳もなにもあったものではないというのに、人の心に妙に残って、そして、悪逆非道の殺戮王子の名をほしいままにしていたカイルを恐れ、そしてヒキガエルと揶揄する者は、この婚礼の日からいなくなった。
アリシア「序盤で出てくる登場人物で……都市大移動なんて無茶なことを実力行使できる人間……そして、アリシアの為なら何でもする……そんな都合のいいキャラいるわけ…………………いたわ!!」