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(1)前夜騒動

 攻略組隊(クラン)(あかつき)の鞘”には、男女別の立派なお風呂があり、かなりの頻度で利用されている。

 一般的な“風呂焚き”の作業としては、組み上げ式の喞筒(ポンプ)風呂釜(ふろがま)の中に水を入れ、火を焚いて湯を沸かし、温度を調節しながら浴槽の中を満たしていく、というもの。

 だが、水汲みは重労働であり、また王都の地下水源を枯渇させないための利用制限がある。

 ゆえに、集団浴場を備えた施設などでは、“創成水そうせいすい”と呼ばれる水属性の魔法を扱う元冒険者を雇い入れることが多い。

 一方、“|暁の鞘”の場合はというと、こちらはかなり特殊な方法を採用していた。

 まずはマリエーテが“氷海山ひょうかいざん”の魔法で浴槽の中に氷の塊を生み出し、ティアナが“爆裂拳”で砕く。次にマリエーテが“早振子(はやふりこ)”の魔法で、空間内の時間を()()()、氷を溶かす。そしてカトレノアが“火球(かきゅう)”の魔法でお湯にするのだ。ちなみにトワは、最後に湯加減をみるだけ。

 手数はかかるが、費用はかからない。お風呂に対する彼女たちの情熱には並々ならぬものがあり、“風呂焚き”の技術はすぐに上達した。


「ふぇ〜」


 最初の頃は野生の獣のようにお湯に浸かることを嫌がっていたティアナだが、今では完全にお風呂を満喫している。

 壁に背を預け、両肘で体を支えながら、弛緩し切った声を吐き出している姿は、お世辞にも淑女とはいえない。


「ティ」


 みなまで言わず、カトレノアが名を呼ぶ。

 ティアナは自己弁護した。


「いいじゃねぇか。ようやく()()が終わって、いよいよ()()なんだろ? 身も心もしっかり休めるようにって、シェルパの兄ちゃんも言ってたぜ」

「はぁ。いくら言っても、この子は」


 そういうカトレノアも、最初こそ慎み深く入浴着を身につけていたが、今では裸である。


「それに、オレだけじゃねぇし」


 ティアナが指差した先には、トワがいた。

 こちらはさらにひどかった。

 浴槽のふちに顎を乗せ、(よど)みに迷い込んだ流木(りゅうぼく)のようにぷかりと浮かんでいる。


「トワッ。お尻を、お沈めになって!」

「んあ?」


 さすがに看過できないと立ち上がったカトレノアの手を引いたのは、マリエーテである。


「トワは、お兄ちゃんとの()()で疲れてるから。大目に見てあげて」


 このところ、マリエーテの言動は柔和になった。冒険者ギルドなど、他人がいるところでは仮面を被ったような無表情だが、攻略組族(クラン)内では笑顔もよく見せる。


「ティもよく頑張ったし」

「そうだぜ。なにせオレたちは、番付ってやつで“勇者”に選ばれたんだからな。“勇者”ってのは、一番強い冒険者のことだろ? 最近、オレが歩いてるとさ、他のヤツらが避けるんだ。こう、ばばっとな。いやぁ、まいったぜ。そうだよなぁ。強いヤツの前を遮っちゃあいけねぇよなぁ」


 完全に調子に乗っているティアナであったが、カトレノアは大人しく湯船に浸かり直した。


「まあ、マリンさんがそうおっしゃるのなら」

「ふふっ」


 笑顔を浮かべるマリエーテに思わず赤くなりつつ、カトレノアは話題を探した。


「そ、そういえば。楽しみですわね、新しいメンバー」

「ふぁん?」


 ティアナが間の抜けた声を出した。


「なんだよ、それ」


 再び、カトレノアがため息をつく。


「朝のミーティングで言っていたでしょう。“暁の鞘”に、新しいメンバーが入るって」


 マリエーテの目がすっと細まった。


「お兄ちゃんの話、聞いてなかったの?」


 本能的に危険を感じつつも、ティアナは確認した。


「あ、新しいメンバーって、ドクのこととか?」


 以前も同じような話があり、その時の追加のメンバーは、髑髏(どくろ)の仮面を被ったロウ――冒険者名ドクだった。


「違いますわ」


 カトレノアが否定し、自慢げに説明した。


「ひとりは、マジカン先生。わたくしとマリンさんの、冒険者育成学校(アカデミー)時代の、魔法の先生でいらっしゃいますの」


 三種類の属性魔法を使いこなす、賢者”という職種クラスであり、ふたつ名も“賢者”だという。


「過去に三度−―いえ。二代目“宵闇(よいやみ)の剣”を含めれば、四度も“勇者”に番付された、伝説の冒険者ですのよ」

「で、伝説の……」


 真の強さを追い求めているくせに意外と権威に弱いティアナは、あからさまに動揺したが、「まあ、魔法使いなら、一発殴れば」と言う感じで落ち着きを取り戻した。


「もうひとりは、ベリィお姉ちゃん」


 今度はマリエーテが説明する。


「魔法を使える軽戦士で、攻撃手(アタッカー)。ティと同じだから、前衛が厚くなる」

「オレと、同じ……」

「“宵闇の剣”で二回も“勇者”になった、とても優秀な冒険者だよ」

「に、二回……」


 だが不安要素もあり、そのことをカトレノアが指摘する。


「ベリィさんには、ブランクがあるのですわよね。お子様をお産みになられて、五、六年ほど前に一度引退なされたはず」


 冒険者として絶頂の時期――二十代の後半に第一線から外れた影響は大きいはず。


「だいじょうぶ。半年くらい前から、訓練してるって聞いてるし」

「マリンさんが、そうおっしゃるのでしたら」


 ゆらりと、ティアナが立ち上がった。


「……ざ、けんな」


 この赤毛の少女には、精神的に不安定な部分があった。

 特に、所属している組織内での“力の序列”に関しては、過敏すぎるほどで、かつて同僚である三人の少女に“負けた”と自覚した時には、まるで底なし沼に引きずり込まれたかのように落ち込んだこともある。


「ティ?」

「どうしましたの?」


 “暁月の鞘”で仲間たちと過ごす中で、力以外にも大切な要素があることを彼女は学んでいたが、部外者となれば別。

 根源的な恐れを克服するために、ティアナは手っ取り早い怒りの感情を利用した。


「ふざけんな。“暁月の鞘”の攻撃手(アタッカー)は――」


     ◇


 一方、隣の男湯では、精神的にも肉体的にも歳の近い父親と息子が、のんびり湯船に浸かっていた。


「父さま」

「ん? なんだい?」

「もう、お身体はだいじょうぶですか?」

「ああ、しっかりと休ませてもらったからね」


 親子というには丁寧すぎる会話だった。

 父親のロウは十年以上も石化しており、その間、息子のミユリは“神子(みこ)”として特殊な育てられ方をしていた。いわゆる普通の親子関係ではないのだが、それで問題があるとは、双方ともに思っていなかった。


「シズさんやサフラン先生にも、ずいぶん怒られたよ」

「みなさん、心配していらっしゃるんです」

「うん、分かってる」

「僕も、です」


 言葉にならない思いを込めて、父親を見上げる。

 親が子を心配するように、子も親を心配する。何かができるわけではないが、せめて気持ちを伝えたいのだろう。


「ごめん」


 ロウはミユリの黒髪をさらりと撫でた。


「目標を達成することは確かに大切だけど。それで、他の大切なものを台無しにしてしまったら、元も子もない」


 無限迷宮の地下八十階層に囚われた冒険者たちを救出するという “勇者奪還作戦”を実現させるために、ロウは倒れる寸前まで無茶をして、攻略組族(クラン)の仲間たちを心配させてしまった。


「ただ、物事にはタイミングというものがあるからね。大人になったら――一度か二度か。無理をしなくちゃならない時が、必ずある」


 それが今であることを、ミユリも理解していた。


「今までは、自分や家族のことだけを考えていればよかったけれど、今回ばかりは違うんだ。仮に作戦が失敗すれば、身内だけでなく、仲間や他の冒険者たち。いやそれどころか、王都に住む多くの人たちにも迷惑をかけることになるだろう。とてもじゃないけれど、責任なんかとれやしないよ」


 父親が本当の気持ちを話してくれている。ミユリはそう感じ、真剣に話を聞いていた。


「だからせめて。少しでも成功の可能性を高めるために、頑張らないとね。そして作戦が始まったら――」


 父親は言った。


「絶対に迷ったりしない。使えるものは、なんだって使う」


 マリエーテにも通じる強さと厳しさの片鱗を、ミユリは感じとった。


「でも、本当はね」


 しかしすぐに表情を緩め、苦笑する。


「そんな状況に追い込まれないように、普段から慎重に行動するのが一番いいんだよ」


 この父親は、どれほどのことを考えているのだろう。きっと育成学校アカデミーなどでは学べないことをたくさん身につけ、実際に行動に移し、多くの確信を得ているのだ。

 父親のそばでもっと学びたいと、ミユリは思った。

 それは、憧憬(しょうけい)の気持ちに他ならなかった。

 自分が冒険者になり、父親がシェルパで。ともに迷宮に潜行(ダイブ)する。

 疑うことなどありはしない。これほど頼もしい人は、他にいないのだから。

 きっと、姉や、他のメンバーたちも同じ気持ちで……。

 そんなことを考えたミユリは、奇妙な雄叫びに気づいた。


「うぉおおおおおっ!」


 その雄叫びはしだいに大きくなり、やがて浴室の扉が勢いよく開かれた。

 現れたのは赤毛の少女、ティアナだった。

 かなり興奮――というか、激昂(げきこう)している様子だが、タオルで身体を隠すくらいの分別は残っているようだ。


「おい、シェルパの(にい)ちゃん。ふざけんじゃねぇぞ」


 二人が入っている浴槽の前で、ティアナは文句を言った。


「今さら攻撃手(アタッカー)を加えるって、どういうことだよ!」


 攻撃手(アタッカー)の最も重要な役割は、近接戦闘にて魔物と直接戦い、これを倒すこと――ではない。

 魔物たちの注意を引きつけ、後衛の仲間やシェルパを守ことだ。

 これができなければ、組隊(パーティ)はすぐに瓦解(がかい)し、本来の目的である長期間の“狩り”や迷宮探索が不可能となる。

 ゆえに攻撃手(アタッカー)は多ければ多いほどよい。

 これが、冒険者の常識である。

「“暁月の鞘”の攻撃手(アタッカー)は、このオレだっ!」


「えっと、ティアナ」


 そのことを(さと)す前に、ロウは言った。


「ここ、男湯だよ?」

「あん?」


 今さら気づいたかのように、ティアナが不審そうな顔になった。


「男湯に、なんでミユリがいるんだよ」

「僕、男ですから」


 普段からティアナは、ミユリの前で平気で着替えようとする。そのたびにミユリは、()()()()()()()を説明していたのだが……。「ティアナ様は、大切なお話を、何も聞いていません!」というメルモの言葉を、ミユリは完全に理解した。


「――ティ!」


 さらに、カトレノアとマリエーテが浴室内にやってきた。


貴方(あなた)っ! 殿方の前で、なんてはしたない!」


 そういうカトレノアもタオルを巻いただけのあられもない姿なのだが、彼女も必死のようだ。

 入ってきた勢いのまま、ティアナを捕まえようとしたカトレノアは、濡れた陶板(タイル)に足を滑らせた。


「きゃ!」

「うおっ」


 尻にぶつかった衝撃でティアナは均衡(バランス)を崩し、頭から浴槽に突っ込んでしまう。そのまま一回転する形で湯の中に沈み、恐慌状態(パニック)に陥りかけたところで、ロウに腕をつかまれ引き上げられた。


「ぷはっ」

「大丈夫かい?」


 片足が、ロウの肩に乗っている。

 タオルははだけ、お湯の中。


「――ッ。ぎぃやぁあああっ!」


 ティアナは真っ赤になって、浴槽から逃げ出した。陶板(タイル)の上を這うようにして進みながら、身悶える。


「み、見ら――見られ。うぉおお、なんっ、なんなんだ。心が、やるせねぇええっ!」

「きっひっひ」


 いつの間にか、浴室の中にトワがいた。

 面白い場面(シーン)を予想していたかのように、スケッチブックを抱えている。


「羞恥心に身悶える、野生の裸少女(らしょうじょ)。これは、いける」

「描くなっ!」


 たまらずティアナが殴りかかるが、トワは半身になると、


「“道化師踏台(ピエロ・ステップ)”」


 絵を描きながら、鮮やかに回避してみせた。

 移動系の恩恵(ギフト)で、どのような体勢であれ、背面方向に三歩ほど高速移動する。連続行使が可能であり、「“予感”との連華(コンボ)で、近接戦最強になれる」とロウに言わしめた、極めて優秀な恩恵(ギフト)だったが、後衛である弓使いのトワは、ティアナをからかって逃げる時に使っている。


「ちくしょう、ちくしょう!」


 涙目でつかみかかるティアナと、軽やかに身を躱わしながら絵を描き続けるトワ。呆然とした様子で座り込んでいたカトレノアは、はっと我に返って自分の身体を抱き抱える。浴槽のロウとミユリは、背を向けて壁を見つめていた。

 そんな状況にため息をつきつつ、マリエーテが指先で魔法陣を描く。


「……“氷霧(ひょうむ)”」


 目眩しかつ動作阻害効果のある氷の霧が浴室内を満たし、あまりの冷たさに少女たちが悲鳴を上げた。


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