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(2)試験

ギフトや魔法名は、小説基準になっています。

 攻略組族(クラン)“暁の鞘”の敷地内にある中庭。ちょうど見ごろになっていた薔薇園のテーブルで、かつて同じ組隊(パーティー)に所属していた組員(メンバー)が、旧交を温めつつ穏やかにお茶を飲んでいた。


「何年ぶりかの?」

「私が冒険者を引退して、二十七年になる」

「老けたの、ハリス」

「年相応だよ、マジカン」


 庭師兼、御者兼、剣術の指南役という、初老の紳士ハリスマンだが、今は少しだけ口調が若返っている。それはかつての仲間がいるからだろうと、シズは思った。


「そしてシズよ。お主は(けん)が取れて、少しはマシなったの」


 胸の中に残る苦いものを噛み締めながらも、シズは微笑を浮かべた。


「いろいろ、ありましたから」


 少なくとも、伝説の冒険者たちとお茶を飲みながら昔を懐かしめるくらいには、なれたのだろか。


「マジカンさまは、相変わらずお若いままですね」


 現役どころか、歴代最年長の冒険者のはずだが、マジカンの外見は、いまだ三十代にしか見えない。 “老化遅延”と呼ばれる唯一恩恵(ユニークギフト)の効果だ。


「ふっ。最近の、家族三人で買い物に出かけると、“旦那さん”と呼ばれることが多くてな。その時の小娘の嫌そうな顔といったら――」


 そう言ってマジカンは、からからと笑った。

 マジカンの言う家族とは、娘のベリィと孫のカイのことだ。確かに、外見からは三世代の家族とは思われないだろう。

 シズとしては、ユイカのことを想い、絶望を共にした同志でもあるベリィに対し、同情を禁じ得なかった。


「家族で買い物か」


 感慨深そうに、ハリスマンがお茶に口をつける。


「私の知る限り、君はそういったことに興味はなかったはずだが。ずいぶん変わったようだね」

「ふむ。成長なのか退化なのか、微妙なところではある。じーちゃんじーちゃんとまとわりついてくる孫が、どうにも奇妙な生き物に見えてな。観察したり触ったりしているうちに、情らしきものが湧いてきおった」


 マジカンが目を向けた先には、タエとプリエ、そして小さな少年、カイがいた。子供特有の好奇心で、薔薇の花をじっと見つめているようだ。


「ようするに、負けてやったのよ」

「負けたところで、誰も損はしないさ」

「ふん」

「しかし君はともかく。ベリィ嬢はよいのかね? 小さな子供を残して、しかも引退期間(ブランク)がある身で無限迷宮の最深部に潜航(ダイブ)するとは。いささか無茶が過ぎると思うが」

「どのみち、放っておけば駄目になる」


 冒険者として輝かしい実績を残し、引退して、第二の人生を歩む。羨望に値する生き方だと思っていただけに、この言葉にシズは驚いた。


「マジカンさま。それは、どういう意味でしょうか?」

「あやつがまともだったのは、黒姫にまとわりついておった、ほんの数年間だけじゃ」


 と、マジカンは吐き捨てた。

 ベリィは子供の頃から反抗的で、家の金を持ち出しては、貧民街に出かけ、手下を作り、危険(スリル)を楽しむかのように悪さばかりしていた。冒険者となったものの、大成する前に組体(パーティ)は解散した。ベリィの気性の激しさに、仲間たちがついていけなかったのである。


「鬱屈した気持ちを抱え、爆発寸前となっていた時に現れたのが、黒姫じゃ」


 ベリィは変わった。


「まさに、出会うべくして出会ったかとさえ思うほどにの」

「運命の人、か」


 ハリスマンの呟きに、マジカンは嫌そうな顔になった。ロマンチシズムを毛嫌いする性格であることは、想像に難くない。

 しかし黒姫を失ったことで、ベリィは再び変わった。


「最初から持たぬ者よりも、失った者の方が()()が悪い。けっきょくのところ、人は自らは変われぬ、ということであろうな。子供がいる手前、それらしい顔をしておるが、本質的にあやつは獣よ。安穏(あんのん)を許せぬ。平和を享受できぬ。しかし身体は衰えてゆく。いずれは爆発し、楽しい()()()()も終わっていたであろうて」


 衝撃的な独白であったが、ベリィの気持ちがシズは少し分かるような気がした。

 眩しいほどに光り輝く人の行く道の、一助(いちじょ)となる。それは、生きる目的として限りなく熱い。胸の中に溜まった鬱憤など、すべて焼け焦げてしまうほどに。


「まったく、救いようがないの」

「そういう君はどうなのかね?」


 ハリスマンの指摘に、マジカンは高笑いした。


「ひょっひょ。あのシェルパの小僧が立てた作戦じゃろう? ()()()()潜航(ダイブ)になろうはずもない。楽しみなことじゃて」


 ハリスマンが吐息をついた。


「訂正するよ。君は、変わっていないようだ」


 マジカンとベリィがカイを連れてやってきたのは、二人が無限迷宮に潜航(ダイブ)している間、カイを“暁の鞘”に預けるためである。

 シズとしては、いくらユイカを助けるためとはいえ、年端もいかない子供をひとり残すことはないと考えていた。

 ベリィを翻意(ほんい)させることはできなかったが、まだ()()はある。


「わしらに万が一のことがあったとしても、財産は残るからの。できれば、普通の道を歩ませてやってくれ」


 今度はシズが吐息をついた。


「生き方は、自分で決めるものです」


 人の想いは決して止められない。マリエーテも、ミユリも。親や保護者がいなくても、シズが求めていた方向には進んでくれなかった。

 再び苦い後悔を噛み締めつつ、シズは攻略組族(クラン)の代表として発言した。


「それに。ベリィが“暁の鞘”に加入できるとは限りません。取り越し苦労になるかもしれませんよ?」


 今まさに、地下の訓練場ではベリィに対する加入試験(テスト)が行われているところだ。同じ攻撃手(アタッカー)であるティアナの要望で実現したもので、若いとはいえ現役の“勇者”であるティアナと戦い、結果を出さなくてはならない。


「おそらく、問題ないじゃろう」


 娘の実力を信じている、わけではなかった。


「地下八十階層での戦いを経験している現役の冒険者など、ほとんどおらん。引退の早い戦士系となれば、なおさらじゃ。未知の階層では、何よりも経験が優先されるからの。他の組隊(パーティ)の抑え役としても、あの娘は役に立つはず。そんな()()を、あのシェルパの小僧が見逃すと思うか? でなければ、わざわざうちに来て()きつけたりはせんじゃろう」

「そ、そんなこと――」


 否定しようとしたシズだったが、続く言葉が出なかった。時おりロウの笑顔の奥に感じる、得体の知れない恐ろしさのようなものを思い起こしたからだ。


「まあ、あの娘が黒姫に捧げた年月と密度は、並大抵のものではない。実力的にも劣らぬと思うがな」


 なんともいえない表情で押し黙っていると、軽快な足音が聞こえてきた。


「じーちゃん!」


 五歳の少年カイが、テーブルの上に美しい薔薇の花を置いた。


「一番きれいなの、とってきた!」

「ほほっ。これは見事な花じゃのう。色も艶もよい」

「ほんと?」

「本当じゃ。しかし、怪我はせなんだか?」

「うん。花のとこだけ取ってきた」

「さすがじゃの」

「へへ、もっととってくる!」


 ひらひらと手を振って孫を見送ったマジカンが、笑顔のまま硬直した。かつての冒険者仲間である老紳士の方から静かに漏れ出る神気に気づいたのだ。


「――ひょ?」

「なんとも可愛い、お孫さんだね」


 完璧な笑顔を浮かべながら、ハリスマンは一気にお茶を飲み干した。

 シズは、はっとした。

 このお茶は確か、精神の落ち着きを取り戻すというヘグ茶。


「子供を育てるためには、育てる側もまた、成長しなくてはならない。マジカン。潜航(ダイブ)するまでの間、君に園芸の仕事を手伝ってもらおうかな。そうすれば、花を育てる楽しみや、大変さ。そして花に対する愛情についても、学ぶことができるだろう。いいね?」

「……ひょ」


    ◇


 最初から全力の戦いは、さらに激しさを増し、すでに決着がつこうとしていた。


「はー、はー、はー」


 呼吸を乱しながら、ぎらりと目を光らせているベリィ。熟練(ベテラン)冒険者の余裕など、どこにもない。

 対するティアナは、傷だらけになりつつも、それほど息を乱していなかった。


「すげーな、姉ちゃん。ハリス師匠より速いぜ」

「刃がついていたら、首を刎ねて終わってるわ」


 少女相手に憎まれ口を叩きながら、ベリィは視界の片隅に審判役のロウを捉えている。

 対人戦の真剣勝負であれば、決着は一瞬でついていただろう。だが、迷宮内で魔物と戦うことを生業(なりわい)とする冒険者の場合、技術よりも力や持久力がものをいうことが多い。

 模擬戦を行うにあたってロウが決めたルールは三つ。


 一.ベリィは木刀、ティアナは革甲(レザーグローブ)を使う。

 二.攻撃系の恩恵(ギフト)および魔法は禁止。

 三、勝敗とは別に、攻略組族(クラン)“暁の鞘”への加入の是非は、審判である自分が決める。


 ベリィは心の中で毒づいた。

 なんて嫌らしい、的確なルールなのかと。

 ルール一と二のせいで、簡単には決着がつかない。

 引退期間(ブランク)のあるベリィにとって、持久力は最も不安のある基本能力(ステータス)のひとつ。それはとりもなおさず“暁の鞘”側から見た場合の懸念材料でもあるはず。

 ベリィとしては、極力消耗を抑えたいところだったが、


「いくぜ、双刀の姉ちゃん」


 ティアナというこの若すぎる赤毛の冒険者は、人並外れた体力と持久力、自分に匹敵する瞬発力に加え、野生の勘のようなものを兼ね備えていた。

 いい軽戦士だと、ベリィは思った。なかなか決定打をくらわない。


「迷宮内でも、いちいち魔物(あいて)に確認するの? さっさときな!」


 会話で時間稼ぎをすることもできたが、そういった意図を、腹黒いシェルパは見抜く。

 ルール三。

 勝てばよいというわけではない。自分は、自分が使える冒険者であることを証明しなくてならないのだ。


「へへっ、楽しいなー。魔物だけじゃねぇ。王都(ここ)には強ぇー冒険者が、わんさか――」


 みなまで言わせなかった。

 予備動作なしで距離を詰めると、ベリィは双刀を交差させ、同時に振るった。攻防一体の攻撃。意表をつかれたはずのティアナは、上半身をのけぞるようにして躱した。柔軟かつしなやか。驚嘆しつつ、ベリィは足払いをかける。“脚刃”を使いたいところだが攻撃用系の恩恵(ギフト)は禁止だ。

 ティアナは自ら後ろに飛んだ。後方回転(バクテン)し、距離をとる。

 ベリィは距離を詰めようとするが、目の前に光の粉が舞い、本能的に距離をとってしまった。この地下訓練場には、迷宮内に生息する光苔(ひかりごけ)が生えている。魔素が栄養分なので、定期的に小さな魔核を撒いているのだろう。なんとも手間のかかっている擬似迷宮だ。

 ティアナは後方回転(バクテン)しながら光苔をむしり取り、投げつけてきたのだ。

 絶好のチャンスを逃したベリィだったが、これでよいと自分を納得させた。迷宮内では安全確実が大原則。例えば敵が歌舞伎猿(カブキザル)で毒霧などで攻撃してきた場合、致命傷となることもあるのだ。

 光苔の粉中から、ティアナが飛び込んできた。

 距離をとるにしても、足場が悪い。時おり床のレンガがぬけていたり、逆に置いてあったりする。

 どうせこれも、腹黒シェルパのアイディアだろう。迷宮内を想定した擬似訓練空間。正しく的を射ているからこそ、余計にムカツク。

 相手はこちらの弱点を的確についてくる。つまりは、持久力不足だ。無呼吸での行動が続けば、いずれは。

 それでも――

 迎え撃つ!

 ティアナの気合を打ち砕くかのように、ベリィは叫んだ。

 紙一重で拳を躱しつつ、木刀を叩き込む。体重を乗せられないので、攻撃は軽い。それでも、相手を失血死させるつもりで、ベリィは連打を叩き込む。

 超接近戦では双刀よりも拳に分がある。ベリィは肘や膝を使ってティアナの拳を受け、攻撃する。


「はっ――はははっ!」


 興奮したティアナは笑っていた。

 おそらく、痛みなど感じていないのだろう。

 この、戦闘狂がっ。

 こういった頭のネジが外れたような冒険者はたまに見かけるが、ほとんどが早死にする。

 ただし、ごく数名の運よく生き残った者は、記録や記憶に残る――つまり、伝説となる者もいる。

 この娘はどうだろうか。

 間違いなく早死にしそうなタイプだが、あのシェルパが管理している以上、大成する可能性はある。

 だが、まだ早い。

 ベリィは一歩下がりながら、無造作に双刀を手放した。

 苔や石を投げたのであれば、ティアナは無視しただろうが、戦士系の冒険者には、“武器”に対する根源的な認識――恐怖や警戒心がある。

 反射的に、ティアナは両手で顔を防御する。

 その隙を、ベリィは見逃さなかった。

 一気に懐に入り込むと、腰を落として半身になり、拳を鳩尾に叩き込む。


「ぐえっ」


 さらに一歩踏み込み、下から顎を狙う。

 この状況でさらに防御したティアナを褒めるべきだろう。だがベリィは、再びがら空きになった腹部に、後ろ回し蹴りを放つ。ティアナは盛大に吹き飛び、地下室の壁に叩きつけられた。

 手応えが、固い。

 とっさに腹部に力を集中させたのだろう。

 まだ、決着はついていない。

 舞い上がった光苔の粉が、まるで朝霧のよう。その中で、人影(シルエット)が立ち上がった。


「……なんでだ?」


 影は呟いた。


「へろへろなのに。なんで、そんなに強ぇーんだ?」


 腰を落とし、両手の拳を握りしめる。


「教えてくれよ。オレは、もっと強くなりてぇんだ」

 壁際で見学していた少女たちから、息を呑むような気配が伝わってきた。

「“魔花(まか)狂咲(きょうしょう)”」


 光苔の粉を吹き飛ばし、赤毛の少女が飛び込んでくる。

 まるで赤毛牙猪(レッドボア)のような、向こう見ずな突進。だが、スピードが段違いだ。

 迎え撃つ?

 ――無理。

 ベリィは()()を出した。

 指先で魔法陣を描き、放つ。


“帆走(はんそう)”」


 魔法陣に向かって強風を発生させる風魔法。本来は味方の背中にかけ追い風とするのだが、敵の正面に使えば、行動を阻害する向かい風となる。

 ティアナの髪が後方に(なび)き、突進力が弱まった。

 カウンター気味に、ベリィが下段蹴りを放つ。

 ティアナはジャンプして躱そうとしたが、向かい風に煽られた。

 ベリィの追撃の飛び蹴りがまともに入る。

 ティアナは再び吹き飛ばされたが、空中で身体を半回転させて着地した。向かい風を、逆に利用したのだ。

 姿勢を低くしたまま、再び突撃してくる。

 ベリィは戦慄した。

 たった一瞬で、対応してくるなんて。

 孤を描くような動きで距離をとるが、狂戦士と化したティアナは、ありえないほどの瞬発力で方向を変えながら追撃してくる。

 ベリィは()()を利用した。地下室には障害物となる魔物の石像が配置されている。その陰に隠れ、反撃の隙を窺おうとしたのだ。


「“爆裂拳(ばくれつけん)”!」


 十数発の拳が、魔物の石像に叩き込まる。わずかな静寂の後、石像が爆発四散した。


「んあっ!」


 叫んだのは、見学していたトワである。

 ベリィに驚く余裕はなかった。

 相手は瞬発力だけでなく、腕力まで上がっている。冷静さを失っているように見えるのは、恩恵(ギフト)の制約だろうか。

 捕まったら、終わり。

 ベリィはしゃがみ込むと、両手の指で同時に小さな魔法陣を描いた。


「“風舞(ふうぶ)”」


 部分的に瞬発力を向上させる魔法。

 両手両足に、重ねがけ。


「うガァああ!」


 獣のような雄叫びを上げながら、ティアナが突進してくる。

 気押されるな。


「ああああっ!」


 ベリィもまた叫びながら突っ込んだ。

 戦士の戦いは、獣の争いではない。どれだけ頭に血が登っていようとも、本能的に(わざ)が働く。相手の攻撃を絡め取り、受け流し、意識外からの攻撃を行使しようとする。

 ベリィにはその感覚があり、ティアナにはなかった。

 上半身への攻撃を集中させていたベリィは、一瞬の隙をついて足払いを放った。ティアナはバランスを崩した。すかさずベリィは体当たりして、ティアナの身体を浮かす。

 腕を交差して防御しようとするティアナ。その隙を的確に狙って、ベリィは十数発の拳を一気に叩き込む。

 ティアナは受け身も取れずに、床の上に叩きつけられたが、すぐさま跳ね起きた。

 痛みを感じていないのか、歓喜の表情を浮かべながら、再び向かってくる。


「そこまで!」


 その動きを制したのは、ロウだった。ティアナ前に立ちはだかり、突進を受け止める。そのまま腰に片手を回して、ひょいと持ち上げた。


「攻撃系の恩恵(ギフト)は禁止だよ」

「ううっ、うガあああっ」


 ティアナがじたばたと暴れるものの、びくともしない。いつの間にか、ロウは骸骨の仮面を被っていた。ベリィにとって、それは懐かしい魔法品(マジックアイテム)だった。

 確か“剛力”の仮面、だったか。

 頭の切れるシェルパであるロウだが、冒険者としてはまったく逆。持久力と筋力の化け物だ。無駄を悟ったのか、ティアナはおとなしくなって脱力した。


「ベリィの勝ちですね」


 情けないほどの荒い息をつきながら、ベリィはやっとの思いで立っていた。

 “風舞(ふうぶ)”は身体に負担がかかる。持久力も限界。

 問題は、勝ち方だ。

 小細工(はんそう)切り札(ふうぶ)まで使って、相手を圧倒できなかった。


「で、どうなの、ロウ?」


 両手両足の痛みに耐えながら、せめてもの強がりで笑みを浮かべる。

 ロウは懐から小瓶を取り出し、放り投げてきた。


持雫瓶秘薬(キュアポーション)です」


 受け取ったものの、ベリィは飲まなかった。


「ベリィはオレの要求を汲み取った戦い方をしましたね。さすがです」


 すなわち、真っ向勝負で、余裕を持って相手に勝利すること。

 急所を狙わない。関節を決めない。小細工を使わない。一度の戦いで全力を出し切らない。

 対人戦で勝ったとしても意味はない。これは、冒険者としての試験なのだから。

 やはり、見抜いていた。

 話によれば、タイロス迷宮で石化してから十一年もの間、肉体的にも精神的にも年をとっていないとのことだったが、この男は当時からこれだけの洞察力を兼ね備えていたのだ。


「もちろん合格です。ようこそ“暁の鞘”へ。歓迎しますよ、ベリィ」


 心底、ベリィは安堵した。その瞬間ふっと気が緩み、身体がふらついたが、なんとか堪えた。


「まさか。あの状態のティーを、正面から」

「だから言った。心配いらないって」

「この方が、お母さまの……」

「うぎぎっ」


 持雫瓶秘薬(キュアポーション)を飲み干して、壁際まで歩く。

 そこには四人の少女がいた。マリエーテ、カトレノア、トワ……。

 いや、最後のひとりは少女のような少年、ミユリである。

 夜空のように輝く黒髪に、黒曜石のような瞳。似ている。

 捨て去ったはずの感情が込み上げてきたが、この少年にかける言葉を、今のベリィは持たなかった。

 隣で自分を見上げている少女の名を呼ぶ。


「マリン……」


 ベリィの記憶の中のマリエーテは、八歳か九歳の頃。引退を決めた時に、最後に会ったきり。


「あんたは、すごいよ」


 自分の半分も生きていない少女に、ベリィは本気で敬意を表した。


「一度も、姫を。ユイカのことを諦めなかった」

「……」

「虫のいい話だけど、一度だけチャンスをちょうだい。きっと役に立ってみせるから。だから、お願い。私をあなたたちの仲間に――」

「ベリィお姉ちゃん!」


 みなまで言わせず、マリエーテは満身創痍のベリィに抱きついた。


「うん。……うん。いっしょに、がんばろ」

「うえっ、うぉ、オオおっ」


 不意に、くぐもったような奇妙な声が聞こえた。

 奇妙に思ったベリィが後ろを振り返り、硬直した。


「うぉ、オおぅ」

「ほら、泣かない泣かない」


 赤毛の少女がロウの腰に抱きついて、額をぐりぐりと彼の胸に押しつけている。


「次に勝てばいいじゃないか。うんうん、ティアナもよく頑張ったよ」

「うぇ、ビぇ」


 少女が恋人に泣きつき、男が慰めている、ように見える。


「――は?」


 ベリィは“魔花狂咲(まかきょうしょう)”の制約を知らない。筋力と瞬発力が跳ね上がる代わりに、“獣の心”に精神を支配されてしまうことを。その“獣の心”が“骸骨の騎士”であるロウに心酔しており、宿()()()()()に反して、まるで子犬が飼い主にするように、甘えてしまうことを。


「ちょっとロウ。あんた、姫というものがありながら。まさか、そんな若い()と――」

「ち、違うんです。べリィお姉さま」


 駆け寄ってきて服の裾を引っ張ったのは、ミユリだった。

 ユイカによく似た顔で、つぶらな瞳を潤ませながら。

 必死に今の状況を説明するが、ベリィは聞いていなかった。


「お姉、さま……」


 息子(カイ)とは違う。決して手の届かない、いや、むしろ手が届いてはいけないような。意味不明な感情の高まりに、ベリィは狼狽えた。 


「チャンス!」


 突然、灰色の髪のちんちくりんな少女が駆け出した。

 トワである。


「この、赤毛の狼がっ。よくも、ボクの作品を壊してくれたね!」


 抱えていたスケッチブックを取り出すと、ふたりの周囲を素早く移動しながら、ものすごい勢いで筆を走らせる。


「代わりに、この像を玄関広間(エントランス)に飾ってあげるよ。ボクは魔物しか創らないけれど、キミは魔物のようなものだからね。題して“戦いに負けた傷心獣少女、男に泣きつく図”。ふふっ、イケる」

「うぇ、うォ、オお」

「……ティ。また不倫してる」

「ちょっ、マリン。またってなによ?」


 一気に騒がしくなった地下訓練所で、カトレノアが額に手を当ててため息をついた。


「せっかくの感動の場面(シーン)でしたのに。だいなしですわ」


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