異世界の推仕事

作者: アリス法式

「オリヴァ、お前異動しないか」


聖教会の総本山にして、最も尊ばれる聖地マリアージュ。

神殿騎士の詰め所にて、上司に呼び出され、上官の執務室にて発せられた第一声にオリヴィア・ハンスは、啓礼の姿勢のまま固まることとなった。


「左遷でしょうか?」


異動票に書かれた土地名は、『石工の街サンタプルアージュ』聞いたことも無い町だ。

記載された簡易の地図にでも極北砂漠の手前、という簡潔に北辺境という情報しかない。

しかし、聖別された証である『アージュ』を冠しているのだから、辺境であれ聖地であることには違いは無いのであろう。

ならば、神殿騎士であるオリヴァを派遣する理由もわかるのだが。


「いや、どちらかというと療養だな」


「体は健康そのものですが」


「心は?」


息がつまった。

咄嗟に反応が出来なかったことが、その在り方を物語る。


「神殿騎士の法術は、何よりその心の在り方が大切だ。疑念を抱えていては、己の法術によって体を壊すぞ、俺はそんなやつを沢山見て来た」


諦観に満ちた神殿騎士長の瞳に圧されるように、思わず一歩下がった。


「しかし、ならばこそ聖地を離れるわけには……」


「『人が為の聖地』マリアージュ」


「…は?」


「『神が為の聖地』サンタプルアージュ」


「……」


「旅する聖人、ドルト老のお言葉だ」


オリヴァも一度会ったことがある、生きた聖人の思いに、言葉が出なくなる。


「あの地に行って盲を開かれたと、聖人と呼ばれた己の驕りすら洗われた、そう20歳も若返ったようなお顔で、先日、立ち寄られた時にそうおっしゃっていた」


「あの方がですか」


清廉であり、最も神に近いといわれる人が驕りがあったと語る場所。

時に、教皇の言葉すら凌ぐ、彼のお姿は信心深い者たちの憧れであり、指標一つである。


「ああ、あの地に参って、己の驕りを正されたと、もっとも信仰を説くべき辺境と思われていた場所は、今や最も神々と近く、只己の都合よく神々を崇めるのではなく、かの方たちと共に生きることを実践として、日々生活している場所であった、とな」


その言葉に、オリヴァの心は揺らぎ、一の時神が踊るころには、かの地への馬車へと乗り込んでいるのであった。





「…なんだ、ここは?」


サンタプルアージュは、オリヴァが考えていた聖地とは、真逆の様相を呈していた。

まるで、人々が住む家の様に当たり前に立ち並ぶ小神殿。

人々は、気楽に出入りをし、己に一番合った神へと祈りを捧げ仕事へ向かっていく。まるで、神々の見本市の様に小神殿が立ち並び、聖教における三大神すらも同じように小神殿に祀られている。

そして、この街に住むものは、その異常さに誰も疑問を覚えていないようだ。


「すまない。アデリア老師のお住まいはどちらであろうか?」


「…え、老師?アデリアさんかい?」


「ああ、そうだが」


この地には、特別司祭が住んでいるらしく、まずその方を訪ねるようにと言われていたため道行く人に居場所を聞けば、みな不思議そうな顔をする。

特別司祭とは長らく厳しい修行を己にかし、神々から認められた者しか至ることのできない信仰の極致である。

すなわち、老境に差し掛かり、己の欲を昇華しきった者のみが至れる立場なのだが……。

皆が、首を傾げる理由に、彼と出会いようやく納得できた。


「アデリアだ。人によってはマスターメーソンなどと呼ばれているな」


「…ハーフリングの方でしたか」


「ああ、実年齢では多分君の祖父よりも年寄りだ、我らからしたらタリア嬢がせっかちなだけなのだがな」


長命種の種族でもさらに特殊な、時の女神ブリジアに愛された種族。

太古の昔には、ハーフリングは成長の遅い種族でしかなかったとされている。寿命は人種族と変わらず、若いまま死んでいく種族と呼ばれていた。

しかし、そのことを悲しんだ時の一柱が女神の一柱が、彼らの時間の捉え方を変えてしまったのだ。

彼らは、長い年月をゆっくりと生きる、人にとっての一年は彼らのとって一日に相当し、ハーフリングによっては人にとっての半年を眠り半年起きるといったサイクルで生きるハーフリングもいるらしい。

アデリアは、ハーフリングの中でもかなり珍しい、ほとんど睡眠を必要としない生活サイクルらしく、その人生の大半を石を削ることに捧げて来たのだという。

ちなみに、彼のいうタリア嬢も時の女神であり、ハーフリング以外の種族に時の舞を行う聖教の三大神の一柱である。


「では、マスターアデリアとお呼びすれば?」


「好きにすればよい、特に呼ばれ方にこだわりは無い」


子どものような見た目の彼を老師と呼ぶのも違和感を感じて、訪ねれば、彼に特にこだわりは無いようであった。

長命種特有の鷹揚さと、年を重ねてきたもの特有の知見の広さが、見た目の幼さと合わさりとてもチグハグとした不思議な温かみを醸し出している。

包容力と、子供特有の熱を併せ持った、人と話すよりも神々に祈ったときに感じられる安心感に近い心持。


「はい、マスターアデリア、しばらくこの街に御厄介になります」


自然と腰は落ち、祈るような深い礼を彼に捧げていた。


彼の朝は早い。

というか、ほとんど睡眠を必要としない彼は、一回りに一度礼拝の日に人と同じように一晩寝るだけで、日々の生活が出来るんだそうだ。

今日の予定を御付きの少年に尋ねると、火の小神殿にて彫刻を行っているという。

石工を名乗るだけあり、像も彫るのかと納得して向かった先で、オリヴァは目を見開くこととなる。

小気味の良い音を響かせながら、どこまでも澄んだ瞳で彼は、神殿の壁、柱、天井に彫刻を施していたのだ。


「師の最近のお気に入りは、この小神殿に住まうお方でありまして、ランプの灼光、又は種火の女神プリナベール様の小神殿であります」


どこか温かみのある小神殿内部で、気まぐれの様にノミを振るうと背筋に光が走るような情景が浮かび上がる、家々を照らす暖かい光、暖炉に燻る仄かな火種、そして、それを見守る優し気な女性の横顔。

下級神の像など見たことも無いオリヴァにも、その横顔が、プリナベールの顔なのだと察せられるほど、その顔は温かみのある素敵な女性の素顔だった。

時を立つのも忘れ、いつの間にか日が暮れて、天井に吊るされたシャンデリアに自然と火がともる。


「ありがとう、いつも助かる」


そこで、今日初めてアデリアの声を聴いた。

彼の声に答えるように、暖かい風がさっと小神殿を吹き抜けて拝殿の最も大きなかがり火にボッと灯がともる。

人ならざる者の灯。

神々の火が当たり前のように小神殿に灯ったのだ。

しかも、聖地として名高いマリアージュの大神殿よりも煌々と遍くを照らすように暖かな光を伴って。


「…不思議か?」


「え?」


「この地に来た聖職者はいつも、同じような顔をする」


一振り入れるごとに、影は増え、情景は鮮明に、陰影を伴って夜の灯の世界を刻んでいく。


「君の生まれは?」


「田舎の騎士家です」


「神殿を家と思ったことは」


「……ありません」


恐れ多くも、素直な言葉が口から出ていた。

嘘を、虚飾で塗り固めた信仰心を貼り付けようとも思わなかった。


「彼らも同じだ、ゴテゴテと金銀で飾り付けられた広いだけの家よりも、人の手で作り上げられた熱を持つ小さな家の方が居心地が良いらしい」


「……あ、だからこの地に大神殿が無いのですか?」


「そうだ、本来神々には各々の役目があるだけで、序列など無いそうだ。

人が勝手に定めた利便性の位の上に立ち続けるのは、窮屈極まりない、とのことでな」


同意をするように、暖かな風がオリヴァの頬を撫でた。


「彼女は、誠実であり心暖かな者を好む、気に入られたようで何よりだ」


気が付けば、涙が一滴頬を伝っていた。

それが、どのような心の動きから漏れでたものなのかは、わからない。

しかし、オリヴァは今まさに、長年積み重ねてきた己の心が救われたような心持を味わったのだ。

何時しか、それが小川になり、こみ上げた熱がうめき声として喉から漏れた、いつの間にか、とても暖かな誰かに、例えるなら母に抱きしめられているような安心感がオリヴァを包み込んでいた。

それらの光景を、見ていないかのように、いや、彼にとっては当たり前の光景のように、アデリアは変わらず背を向けてノミを振るう。

止まらず響くその音が何時しか子守歌となり、オリヴァの意識を優しく奪っていった。


目を覚ます。


いつの間にか、朝日が昇り、慌てて起き上がるとパサリと軽い毛布が床に落ちた。


「起きましたか?」


すでにノミの音は無く、声をかけてきたのは、昨日案内をしてくれたアデリアの御付きの少年であった。

どうぞと、差し出されたスープを啜り、感じるひどい空腹感から、昨日何も口にしていなかったことに気が付いた。


「すまない」


「いえ、師もいいものを見たと一晩中、ノミを振るっていましたので」


そういえば、今日は拝殿がひどく賑やかなようであった。

昨日来た時は、閑散としており、アデリア一人が作業をしていたが、オリヴァが目を覚ました休憩室らしき質素な部屋の隣からはガヤガヤと多数の人々の声が聞こえる。


「この声は?」


「ああ、この地には、多種多様の職人たちが住まわれているのですが、彼らの楽しみの一つに神々への奉納品を作り上げるというのがありまして、いわば師の昨日の作業もその一環だったのですよ」


「つまり、誰かが、奉納品を治めると、それを見物するために、他の職人たちが集まってくるのか?」


少年は、なぜか、申し訳がなさそうに首を縦に振ると、この街を支える職人たちの話を語ってくれた。


「この街には、師のようなマスターやそれに準ずる技能を持つ職人が結構な数住んでおりまして、彼らは、他者の奉納物から新たな刺激を受けることを楽しみとしています。

特に、この街の在り方を作り上げた師の奉納物は、住人達からも大の人気なので、しばらくこの小神殿は騒がしいでしょうね」


「そうか、昨日、完成品を拝見できなかったからな、私も帰る前に一目見ておこうか」


「あ、まっ……」


まだ、何かを言っていたが、昨夜の衝撃が抜けきっていなかったオリヴァは、興奮したまま休憩室から拝殿へと踏み出してしまった。

天井を、見上げていた人々が、驚いたように皆オリヴァを凝視する。


「種火の乙女だ…」


「あれが」


「新たな乙女か…」


ザワザワと、彼らがオリヴァを見てざわめくのも気にはなるが、まず、完成品を拝見しようと進み出て、彼らと同じように天井を見上げたオリヴァは、その後、悲鳴を上げて小神殿から走り去ることとなる。


「ああ、やっぱり。

師匠、限度を知らないから。

―――でも、やっぱりきれいな人だなぁ」


疲れたようなため息を零しながら、いまだ、ザワザワと上を見上げる野次馬達と共に見上げた天井には、暖かな光の中でとても綺麗な涙を流す少女と、彼女を抱きしめ慈愛の笑みを浮かべた種火の女神の姿が描かれていた。

続きを書くか微妙なので、設定を置いておきます。


アデリア

種族はハーフリング。

転生者のオタク、転生してアニメや漫画が推す対象が無いことに絶望したが、身近に存在を感じられる神々という隣人を見つけ、彼らの推し活を行うことに人生を見出したちょっとおバカな男性。

物わかりの良い老人を気取ってはいるが、体に引っ張られ内心は結構子供っぽい側面も持ち合わせている。

前世から童貞をこじらせており、百合っぽい光景を見ると己のリビドーを抑えきれなくなる。

彼によって仕立て上げられた百合カプが何組か存在し、彼女たちは「女神と乙女」と呼ばれ似た性質の職人たちに尊ばれている。