31 「子離れの時期」
「なん……だと……」
唐突に告げられた言葉に、俺の視界が明滅した。
この感覚には憶えがある。
パンチだ。
エリスにパンチされ、失神しなかった時、こんな感じになる。
なんてパンチだ……って感じだ。
しかし、するってぇと何かい、俺はパンチを食らったのかい?
それも、俺の反応速度を遥かに超える速度の。
いくら予見眼を開いていないからって……エリスのパンチを見慣れているのに……。
「はい。今までは許嫁がいたので、自分を抑え、節度のある付き合いをしてきました。ですが……今この場でハッキリと言いましょう。私はクリスを愛しています。今すぐにとは言いません、クリスと結婚を前提としたお付き合いをする許可をください」
今度はボディブローだ。
ストマックに突き刺さってる。
いきなり胃が痛い。
「ク……クリスは、どう思ってるの?」
助けを求めるようにクリスを見る。
すると彼女は「えー、どうって言われてもなー」と真っ赤な頬に両手を当てて、体をくねくねさせた。
ああ……。
ダメだこれ。
本気で好きな時のポーズだ。
5歳ぐらいの時、俺にやってくれたポーズだ。
でも口で言わないとダメだもん!
「クリスは君の事が嫌いなようだが?」
「パパ! イジワルやめて! 私も好きです!」
くそっ。
やっぱりダメだったか。
こう、ハッキリとクリスにそう言われると、なんかダメージがすごいな。
セコンドから椅子が飛んできたような気分だ。
誰か……誰か俺のセコンドはいないのか。
と見ると、エドの脇で脇役になっている王様がいた。
アリエル、助けてくれ!
「ルーデウス様。もちろん私は、以前から申していた通り、アスラ王家はグレイラット家と繋がりと持つべきだと考えています。これも、いい機会なのではないでしょうか」
あかん、完全に敵側だ。
立ち位置としてはレフェリーに近いが、俺が凶器攻撃をされてるのを見てみぬフリするタイプだ。
今も張り付けたようなポーカーフェイスをしてるが、よく見ると口元がヒクヒクしている。
シルフィは……あ、これは観客だ。面白そうにこっちを見ている。
エリスは……チキンナゲットを美味しそうに食べている。こっちに気付いていない。
ロキシーは……人混みに隠れて見えない。一人だと髪の色であれこれ言われるって言いつつも、どうしてこういつもアグレッシブなんだ。
仲間はいない。
絶体絶命だ。
……いや、ここは俺が一人で戦わないといけないんだ。
そうしないと、ド○エもんが安心して帰れないんだ。
思い出せ。
夢だったじゃないか。
娘と結婚したいって言う奴に、「お前なんぞに娘はやれん!」と言い放つのは。
「……」
とはいえ、実際にこうした場面に直面すると、勇気がいる。
アリエルという同僚の息子を、お前なんぞと言う勇気。
娘の好きな相手を、お前なんぞと言う勇気。
この360度どこから見てもよく出来ている馬の骨にそれを言う勇気、俺にあるか?
無いね。
モヒカンで鼻ピアスを付けて、改造馬車で街道を爆走するような奴ならまだしも。
真面目そうな好青年にそれを言う勇気は……。
「その、パパはこういうやり方、絶対に嫌だって思ったから、ちゃんと段取りをって思ってたんだけど……」
「……いや、それはいいんだ」
わかってる。
要するに、クリスがヴィオラをハメたのは、エドワードと婚約をしている嫉妬から、ってこともあるんだろう。
話を聞く限り、先にハメようとしてきたのはヴィオラの方だし、婚約破棄まで行ったのは予想外だったようだが……。
そのあたりは、だいぶモヤモヤっとする。
だが、いいだろう。
それはいい。
ここはアスラ王国だ。
そういう事もあるだろう。
そういう事が出来ないと、あっという間に落ちぶれて、国外に逃げ出すハメになる。
そうしてウチの社員になった元アスラ王国貴族も、何人かいる。
今後もアスラ王国で活動していくなら、腹黒い部分は必要だ。
だが……。
その辺についての、エドワードの意見も聞きたい。
「エドワード君」
「はい」
「つい先程、君はヴィオラ嬢との婚約を解消したばかりだ。それなのに、この場ですぐにクリスに乗り換えると宣言するのは、いささか軽薄すぎるのではないかね?」
「はい。私もそう思います。ですが、ルーデウス卿も全てを察しておられるようでしたので、ここで半端な嘘をつくよりは、正直に自分の気持ちを答えさせていただいた方が良いと思い、場にそぐわぬと知りつつ、言わせていただきました」
「……俺が何を察していたって?」
「? 私の気持ちを知っているから、どんな関係かと聞かれたのでは?」
そんなん知らないけど!
でも、そうだったね。俺から聞いたんだったね。
まぁ、そうか。
エドワードからすると、そう見えたか。
今日はせめて、俺にいい顔をして好印象を与えておくにとどめておこうとか思っていたら、心を見透かされた気持ちになって……それで彼は嘘をつかずに答えただけってことだ。
案外、男らしいじゃないか。
「それに、私は成人した王族です。婚約を解消したというのなら、すぐにまた私の結婚相手が選出されるでしょう。その前に、できるだけ早く、自分の意思を言っておきたかったのです。母上もいる、この場で」
王族にとって結婚は義務だ。
でも、結婚相手を愛することは義務じゃない。
とはいえ、できれば愛する相手と結婚したい、ということだろう。
アリエルなら、こうなった以上、無理やりにでもエドワードの相手にクリスを選出するだろうが……。
まあ、エドワードにはわからないことだ。
ヴィオラとの結婚に関しても、特に意思を伝えずにいたら、いつの間にか決められていた、という感じだったのかもしれない。
またそうなるよりは、自分の希望をハッキリと言っておいた方がいいと判断したんだろう。
「……」
ああ、辛い。
空気が重くて胃が痛い。
さっきのストマックブローが効いている。
なんで俺はあんなことを聞いてしまったんだろう。
誰か俺にタイムスリップの魔術を教えてくれ。
数分前に戻って俺をぶん殴って止めるから。
……いや、意味ねえか。
時間の問題だ。
今日、こうならなくても、別の日に連れ立って来られただけだ。
その場合、俺はきっと、何も知らずに彼と対面しただろう。
それに比べれば、今の彼と会話を出来るのは、幸運といえよう。
頑張れ、俺。
シルフィも見てるぞ。
「君は、クリスにふさわしい相手だと?」
「そうです! ……と、自信を持って言えるわけではありません。しかしこの三年間。彼女を助け、そして彼女に教えられながら、私自身も多くのことに気付かされました。彼女となら、この先何十年も、助け合い、そして教え合いながら共に生きて行けると、そう思っています」
清々しいぐらい完璧な解答に聞こえる。
二十年前の俺にこんなセリフが吐けただろうか。
「もし、何か私に不満があるというのでしたら、どうぞ、満足の行くまでお試しください」
「ほう、よくぞ言った。なら……」
なら、俺を倒してみろ!
とでも言えればかっこいいんだが。
俺を倒せた所で、別に何かクリスにとってプラスになることがあるわけじゃない。
仮に俺が大人気なく魔導鎧とかでボッコボコにしても、クリスに嫌われるだけだ。
別に俺もクリスの好きな人をボコボコにする趣味はない。
クリスを守る力を示して欲しいだけだ。
クリスを幸せにする覚悟を示してほしいだけだ。
でも、そうじゃない。
と、俺の中のどこかが警鐘を上げている。
クリスは、すでに俺の知っている弱虫で泣き虫な子じゃない、と。
アスラ王国貴族社会の荒波で、立派に舵を切って進んでいける、鉄の女だと。
そして、エドワードもその能力を認め、彼女と助け合いながら生きたいと言った。
アスラ王国で暮らしていくのなら、殴り合いの強さより、もっと別の強さが必要だ。
少なくとも、クリスには、その強さがある。
あると、先程、目の前で証明した。
アリエルもそう保証してくれている。
婚約を解消した場で堂々と言うことでもないとは思うが……しかし聞いたのは俺だ。
彼はそれに応えたのだ。
男らしく、真摯に、堂々と。
「今日は日が悪いからちょっと」とか言ってはぐらかさず、その事について糾弾されて苦しい展開になるとわかっていて。
それでも俺が踏み込んできたと考えて、迎え撃ってくれたのだ。
顔がイケメンなら、行動までイケメンだ。
これで、こいつについ先程まで婚約者がいたという事実さえなければ完璧だったのに。
ちくしょう。
なんなんだ、最近の馬の骨は。
どいつもコイツも、引くぐらい良い顔しやがって。
もっとこう、限界まで煮込んだ軟骨みたいなやつだったら、もっと俺も強気に出れるのに……!
「……」
ふーっ……。
落ち着けルーデウス。
娘が結婚するのは、これが最初じゃないはずだ。
ルーシーの時も、こうして取り乱した。
あの時は、ナナホシに相談して、心の準備ってものができていたから、うまいこと立ち回れた。
今回は心の準備が出来ていなかった。
でも、それだけだ。
基本は一緒だ。
そうだろう?
あの時はなんて言った?
そう、確か「学校を卒業するまでは節度あるお付き合いをしなさい」だ。
そんでこいつは何てった?
「今までは節度のある付き合いをしてきました」だ。
そして本日は卒業式。
たはー。
前回と同じセリフは使えないな!
……よし、落ち着いてきた。
そもそも、こいつはクリスにふさわしいのだろうか?
クリスが困った時に、めんどくさがらず力になってくれるか?
いざという時に、逃げないできちんとクリスと一緒に戦ってくれるのだろうか?
そもそも、こいつは一体……どういう人間なんだ?
そこからだ。
「なら、君のことを、よく教えてくれないか?」
結局、俺はそう聞いた。
「もちろんです」
長い話になりそうだ。
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それから、俺はエドワードと長い時間お話をさせてもらった。
別に剣呑な感じではない。
つまり、いわゆる『お話という名の恫喝』ではない。
ただ、真正面からクリスと付き合いたいと言ったエドワードの人となりや、クリスとの関係を問いただしたのだ。
問いただすというと尋問めいているが、俺に向かって「クリスと結婚する許可をくれ」と……まぁ言葉は違うが、似たようなことを言ったのだから、俺が彼の話を聞くのは、当然だろう。
彼を知らなければ、許可を出すもクソもないのだから。
長い、長い話だった。
パーティの時間、全てを使って彼の話を聞いてしまった。
彼にも、彼と近づきたい他の貴族にも、悪いことをしたと思う。
結果として、俺は彼のことをよく知ることが出来た。
彼とクリスの馴れ初め。
彼がクリスを、ずっと助けてきたこと。
最後の最後だけは力が及ばなかったが、それでも助けようとはしてくれたこと。
彼は極めて高スペックな人間だったが、全てにおいてパーフェクトというわけではなかった。
彼は、興味のある人物には、自分から正面切って近づいていくが、興味のない人物には、必要以上に目を掛けられない、ドライな人間だと、自分でも認めていた。
例えば、ヴィオラという許嫁に対しては、あまり真摯に相手をしてこなかったようだ。
それが今回のような騒動を引き起こしたとも言える。
欠点と言うには、あまりに些細なことのようにも思えるが、今後もそれが原因で、問題を起こすかもしれない。
なにせ彼は王子だからな。目を掛けてもらいたい人も多いはずだ。
でも、実はそのことはクリスも知っていた。
そしてクリスは、その補佐が出来ると、自分では信じていたようだった。
エドワードが目を掛けられない人物のいい所を掘り出して、エドワードの興味を持てるようにしてあげたり、自分が目を掛けてあげることで、緩衝材になったり、と。
お互いが欠点を知っていて、それで助け合えるのであれば、欠点は欠点たりえない。
彼はドライではあるが、俺に対しては、真正面から、堂々ときてくれた。
俺がクリスを溺愛していることも、身内に甘すぎることも、よく知っているのに。
その後の話し合いも逃げることなく、怯えることなく、じっくり付き合ってくれた。
逃げなかった。
少なくとも、この話に関しては、熱意を感じた。
彼は完璧ではない。欠点のある男だ。
婚約者をフッたその日に、別の女と結婚を前提とした付き合いをしますなんて言い出す輩は、俺はそんなに好きじゃない。
もっとも、俺だって完璧な人間ってわけじゃない。
シルフィにさんざん、君一人だけを愛するとか言っておきながら、その後に二人も娶った野郎だ。
他人の軽薄さにあれこれと口を出せるほど、立派じゃない。
娘には完璧な男に、完璧に守られ、完璧に幸せになってほしいと思う。
でも、わかっているんだ。
完璧な人間なんていないって。
完璧に見える人間ってのは、欠点をうまいこと隠しているだけの奴だって。
そして、息子だろうが娘だろうが、そういう奴らと付き合って、自分で努力して自分を守り、自分で幸せになっていかないとダメなんだって。
とりあえず、エドワードとクリスと、二人と話をして、お互いにただ好きなだけじゃないとわかった。
3年間助け合ってきて、お互いを必要をしているんだというのもわかった。
能力的にも、性格的にも補い合えるんだってわかった。
それがわかった時、悪くない、と思った。
この男なら安心して娘を任せられる、太鼓判だ! ってほどじゃない。
でも、それも別に、悪いわけじゃないな、と思った。
だから交際に関しては許可を出した。
ただ、それから先のことは、二人で相談して決めなさいとも言っておいた。
君たちがよく話し合って決めたことなら、俺は反対しない、と。
ただ、あんまりクリスに対して不誠実なことをするようだったらぶっ殺すと、きっちりと釘だけはさしておいた。
……もっとも、多分だけど、そんな事にはならないんじゃないかなと思う。
何にせよ、クリスもまんざらではなかったから、すぐに行く所まで行ってしまうだろう。
若さってそういうことだ。
ためらわないことだ。
次にアスラ王国に行く時は、クリスの結婚式になりそうだ……。
「はー……」
今は、パーティも終わり帰路についている。
アスラ王国においてある別荘ではなく、シャリーアの自宅にだ。
「なんか、凄かったなぁ」
パーティが終わり、ラノアの家に帰り着くまでに、俺は何度もそんな言葉を口にした。
もう十回以上は言っただろう。
最初はうんうんと頷いて、自分の意見を聞かせてくれていた妻たちも、今は苦笑して「そうだね」と頷くだけだ。
ちなみにロキシーは、俺が狼狽するシーンを見逃して、今も悔しそうな顔をしている。
「あのクリスが結婚か……」
クリスはもう少し、時間が掛かるかと思っていたのだが、あっさり、あっという間に、独り立ちしてしまった。
トントン拍子だ。
俺の子どもたちの中でも、あれほど、アスラ王立学校で成長できた子はいない。
大体どの子も、王立学校を卒業してから、ちょっとウジウジとした期間があったりしたものだ。
だというのに、一番アスラ王立学校が合わないと思っていた子が、蓋を開けてみれば一番合っていたのだ。
面白いものだなぁ。
「もう、ルディったら、さっきからそればっかり言ってる」
そうは言われても、今日はクリスに関する色んなことがいっぺんに頭に入ってきて、どうにも思考がおぼつかない。
あれこれ考えても、結局は同じ言葉ばかり出てしまうんだから、しょうがない。
そうだ。
家に帰ったら、お酒をたくさん飲むとしよう。
盛大にお祝いすべきなのか、それともおいおいと泣くべきなのか、やっぱりあんな馬の骨がトランスフォームした超生命体に娘はやれんとダダをこねるべきか。
それを判断するためには、アルコールによる脳の洗浄が必要だ。
「皆、俺は家に帰ったら、飲む。参加する人」
「たまにはいいわね!」
「あ、じゃあさっそく今日もらってきたワインをあけようか」
「私は先日調達してきた甘いお酒がいいです」
全員が参加を表明をした。
よしよし、じゃあ久しぶりに、4人で飲むか。
そう、もう4人だ。
子供たちは、みんな独立してしまった。
いや、まだあと1人。
大学で研究をしつつも、休日は家でゴロついて、日々を芋虫のように生活している、イマイチ独立感のない子もいるか。
それについては、気長にいこう。
何を考えているかイマイチわからないが、ミグルド族の寿命は長い。
そのうち、なんとかなるだろう。
ともあれ、今日はシルフィに晩酌をしてもらい、ロキシーを膝にのせ、エリスのおっぱいをもんでぶん殴られよう。
気絶から目覚めた時には、気持ちいい朝だ。
などと考えつつ、自宅に到着。
門柱に巻き付いているビートにただいまと言いつつ、さぁ、飲むぞと敷地内に一歩足を踏み入れた時、
「ワンワンワン! ワンワンワン! ウゥゥー! ワン!」
家の中から、レオの鳴き声が聞こえてきた。
それも、かなり切羽詰った鳴き声だった。
まるで外にいる俺たちに、はやく着てくれとでも、言っているかのような。
「!」
俺たちは、咄嗟に顔を見合わせ、即座に動いた。
エリスが先頭、俺とシルフィで中衛、ロキシーが後衛へ。
エリスが剣を抜き放ち、俺が予見眼を開眼させる。
俺とエリスが頷くと、シルフィが扉に手を掛け……。
一気に開いた。
「ラアアァァ!」
エリスが真っ先に突入、その背中にピッタリとくっつきながら、シルフィが続く。
俺はやや横にズレながら、回り込み……。
「……なにやってるのよ」
炭酸の抜けたようなエリスの言葉で、静止した。
そこには、レオがいた。
ララもいた。
二人……ないし一人と一匹は、一つのカバンを奪い合うように掴み、引っ張りあった状態で静止していた。
まぁ、別におかしな事ではない。
ララとレオは仲良しだが、時に喧嘩をすることもある。
大抵は、レオが引き下がるのだが。
ただ、一つ不可解な点があった。
ララ・グレイラット。
我が二番目の娘。
ミグルド族の血が色濃く受け継がれた、見た目14歳ぐらいの子。
今しがた、俺が心の中でボロクソに言っていた、不肖な方の娘。
彼女は、何故か大きなカバンを背負っていた。
旅にでも出るかのような大きなカバンだ。
それも自分の背中と、レオの背中と、そしてレオと奪い合っている奴とで、計三つも。
そう、引きこもりの我が娘は、なぜか旅姿だった。
「ララ……なんですか、その格好は」
思わずそう言ったのはロキシーに対して、ララは……。
すっげぇめんどくさそうな顔をした。