《No.03 : PG-s2r5t3m4k3s1》
《No.03 : PG-s2r5t3m4k3s1》
最初見た時、私は身体凍ったように強ばり心臓が不自然に脈打つのを感じた。座っていてもなお強烈な印象を与える力強い姿。服の上からでも分かる実戦を目的とした無駄がなくしなやかで、それでいて無骨さすら感じる筋肉。多くの隊員を見送り、励まし、失い、悲しみ、生き残った者だけに備わっているのであろう強い心と自信に満ちた目元。それが椅子にもたれ足を組む彼女にはある。彼女の名はニール・クリブランド、少し経緯は違うが私と同じ退役軍人だそうだ。
きっと私の過去のトラウマと彼女という存在の繋がりに気づいたのであろうマスターが、優しく、それでいて私の落ち着く声で一声かけてくださる。
「オリヴィアさん!今日はクッキーじゃなくてケーキの気分だな〜ケーキを持ってきて!ニールさんもケーキは好き?」
椅子に座り足を組んだままニールさんは頭を縦に振る。体が強ばりそうなほどの威厳、威圧感が溢れ出ている。そんな人を前に、椅子に座り足をパタパタ嬉しそうに振るマスターは、「妖精さん」どころか戦場の重戦車そのものを彷彿とさせる安定感と安心感があり、二人の対峙するこの工房という空間は世界が歪んで見えて来そうだった。
「ニールさんが欲しいのは新しい義眼?それともそれ以外?」
珍しくマスターが依頼内容の確認をする。かなり異例の展開だが、メモをマスターが取る気配は一切なく、その瞳は私に任せてくれると言っているようだった。きっと、ここから逃げたら私にマスターと共に歩む明るい未来は無いだろう。
過去の戦争で失った全てに怯え、生きる希望を失った私に生きる使命をくださった愛すべきマスター、手の届く全ての人の幸せ願う太陽のようなマスター、そんなマスターに少しでも幸せになって貰うため、私は私の使命をまっとうする。そうだ、私はマスターの助手だ。私はペンを取りその決意を離さないように強く握った。それを見てマスターはいつもよりゆっくり話し始めた。マスターと彼女の会話を簡潔にまとめて行く。マスターの努力と優しさを一滴もこぼさぬように、彼女の希望を私の絶望で暗闇に落とさぬように。そして、話を聞き終わる頃には最初に彼女に私が感じた負の感情がなんと身勝手なものだったかを痛感した。
街の花屋になりたい。それが彼女の幼い頃から心に秘めたささやかな、それでいて叶うことの無い悲しい夢だったそうだ。運命というものは残酷で容赦がない。彼女の名前は「ニール」闘士を意味する男性向けの名前なのだ。彼女の家系は軍人を生業としており、生まれながらにして男性のように育てられ、女性らしさを奪われ続けた。しかし、彼女の中の少女の心は失われることは無く、むしろ膨らみ続け限界を迎え、長い年月をかけ、やっと花開こうとしていたのだ。
「花を愛でられる眼が欲しいのです。軍用の…人を殺めるためのこの義眼ではなく…色彩を、光を愛せる義眼を…」
彼女の義眼は通称「night walker」暗闇に特化した暗視とサーモグラフィーがメインの義眼であり、白黒の世界しか映し出さない。
さらに、技水珠を装着する影響と軍用品ということもあり、彼女の左目から左耳にかけてパーツや配線、歯車が無骨に露出して配置されていた。そこに美しさは無く、戦いにおいての実用性と耐久性しか詰め込まれていない。それが余計に彼女を強くて凛々しい女性、冷たく冷酷な軍人、少女の心など欠片もないように見せている。 そんな彼女がさらに勇気を振り絞った声で恥ずかしげにこう続ける。
「出来れば可愛いものを…」
案の定アイデアの花畑をミツバチと一緒にランデブー飛行していたマスターが、現実に帰って来て、囁くように、そして徐々に声量をあげて今回の義眼のモデルを決定する。
「可愛いね…シロツメクサ…白と緑の花冠…可愛いよね!」
最後に大きな声で自分の考えを肯定し彼の方針は定まる。今回はシロツメクサのようだ。
後日、ニールさんが再び突然尋ねて来た。
「前回のお詫びです。辛い思いをさせて申し訳なかった。」
そう言ってお菓子を差し出す彼女は悲しげに私を見る。多くの隊員を見送って来たからだろう、彼女の目には私が退役軍人であることも、彼女がトリガーとなってトラウマを感じたことも筒抜けだったようだ。彼女はさらに続ける。
「君はあの計画の被害者なのだろう?あの忌々しい計画…人体兵器開発の…」
彼女の言葉が私をトラウマの沼に引きずり込もうとした時、マスターが私の車椅子を優しくほんの少しだけ押した。そしてその後少し強い口調で言葉を選ぶ。
「オリヴィアさんは僕の助手さんなんです!過去も何もかも含めて大事な家族なんで…だから…」
言葉を詰まらせ怒るマスターを見て私は家族の温もりを感じ、質問した彼女は自らの過ちを後悔し、それでいて少し嬉しそうでもあった。
「君は愛されているんだね…」
そう言った遠い目をした後、彼女はパッと表情を引き締め再び自らの発言の謝罪をし、マスターもそれを快く許した。マスターが許すのであれば私も気にすることも無い。
少し気まずい空気が流れ、沈黙が流れた後、いつものマスターが華やかな笑顔でパンパンっと手を叩く。
「今日の茶菓子は何かな〜」
この分かりやすく優しい気遣いに従う以外の選択肢を選ぶ愚か者が居るだろうか。そして私はイタズラっぽくニールさんが持ってきた少し高級なお菓子をマスターにチラッと見せてあげた。嬉しそうにマスターはニコッと笑った。
寒さが去り少し日差しが暑さを感じさせる頃、ニールさんの義眼は完成した。
品番「PG-s2r5t3m4k3s1」
その姿はまるで本物の花冠のようだった。眼の部分は美しいエメラルドグリーンの瞳を採用しており、その周りを白い小さな花のレリーフが埋めつくさんばかりに飾る。濃い緑色の配線と、淡い緑の配線が綺麗に編んであり、左目の目元から左耳の部分まで続いている。その周りにも白い花が散りばめられ、思わず触れたくなるような柔らかさすら感じる。耳には技水珠を格納する半球状のカバーがあり、淡い水色のそれはシャボン玉のように光の加減で虹色の光を振りまく。そのカバーも実際は強化ガラスでできており、涼しげな印象とは裏腹にしっかりと配線を守り義眼の機能を支えている。左耳の後ろからぐるりと頭の後ろを回って眼帯のようになっている補助用の布も、配線と同じように細い布が規則正しく編んであり所々に小さな白い花があしらわれている。
少し照れくさそうにその華やかでいて、少し儚げな義眼をつけるニールさんは、頬を赤らめ小さな声でつぶやく。
「可愛い過ぎないだろうか…?私なんかが付けて良いのか分からぬほど可愛いらしい」
そう言って義眼を外そうとする少女の顔をしたニールさんの手にそっと触れ、私は肉声だけで声をかけた。
「おにあいです」
一度は声を失った私の精一杯の勇気、そして本心だった。マスターに貰った愛、きっとそれは私だけの中で終わるような小さな物では無かったのだ。その愛はホールケーキのように皆で分け合い幸せを共感するための物だったのだ。やっと分かった。そう感じた。だからこそ私の精一杯で、心からの声で彼女に言葉をかけた。それを聞いた彼女はシクシクと泣き出してしまった。少女のような涙、純粋無垢な涙、それは溢れるのではなく彼女の頬を伝い静かに床に落ち、そっと花開いた後少しのシミを残して消えた。
その後、ニールさんは隣町の路地に小洒落た小さな花屋さんを開業し、細々とだが愛され幸せそうに暮らしていた。店名は「クローバー」花冠の義眼を持つ少女の心を秘めた可愛らしい女性の店である。
ニールさんの見送りの言葉はいつだってこうだ。
「ありがとうございました!あなたに幸運な一日を!」