第96話 思い出せぬ夢
夢を見ていた。
自分ではどうしようもないその衝動。
「……う」
──渇く。
喉が渇いて渇いて仕方がない。
痛みすら伴うその抗えない欲求。
私は……その衝動に呑まれ、人を殺した。
私のことを助けてくれた恩人を。
そんな悲しい夢を見ていた。
「…………ここ、は」
覚醒すると共に、段々はっきりとしてくる意識。
瞳を開くと見慣れた洞窟の天井が視界に写った。
そして、その隅にはぱちぱちと可愛らしく瞬きをするリンの姿も。
「リン……ああ、良かった。傷は治ったんだね」
「うん。ルナも」
お互いの生還を喜び合う。
丁度良いポジションに頭があったので、そっと撫でてやるとリンは嬉しそうに目を細めた。
狼……というか犬みたいな仕草だ。
もふもふしてて大変気持ちがいい。
私は存分にその感触を堪能してから立ち上がる。
「さて……朝食の準備でもしますか」
そういえば眠る前に私は何か食べられるものがないか探しに行ったはずなんだけど……結局、どうなったんだっけ?
なんだか記憶があやふやだ。
多分疲れていたせいで、帰った途端にぶっ倒れたんだと思うけど……
「リン、お腹空いてる?」
「ぺこぺこ。ルナは?」
「私は全然」
不思議と空腹感は感じない。
というよりむしろ満腹感のようなものまで感じてしまっている。
夢であれだけ"食事"をした影響かもしれない。
(……ん? そういやどんな夢なんだったっけ)
ふいに思い出した夢の記憶。
だがそれもすぐに靄がかかったかのように記憶の奥底に隠れてしまう。
まあ夢なんて大体そんなもんだし、気にしても仕方がないか。
「それならまずは食事の準備から始めようか。と言っても、食べられそうなものなんてほとんどないんだけど」
「大丈夫。その気になれば何でも食べられる」
「まあね。でも出来れば美味しいもの食べたいじゃない?」
「……うん」
今までならきっと食べられれば関係ない、とか言いそうだったのに。
少しずつリンも素直になってくれている気がする。良きかな良きかな。
「それなら早速探しに行こうか」
「……その前にウィスパーも起こさないと」
「おっと、そうだった。まだアイツがいたんだった」
私とリンの完璧コンビに割って入るお邪魔虫、ウィスパーがまだ残っていた。
別に忘れていた訳じゃないよ? ちょっとその存在を思い出せなかっただけ。
「ウィスパー、リンちゃんが食事をご所望よ。さっさと起きなさい」
少し離れたところでこちらに背を向け横たわるウィスパーに歩み寄りながら声をかける。だが眠りが深いのか、ウィスパーは全く起きる気配がなかった。
「あのね、一番何もしてない奴が一番寝こけてるってどういうこと? 働かざるもの寝るべからず。さっさと起きて働きなさい。眠って良いのはそれからよ」
気持ち良さそうに寝ている人がいると殴りたくなるよね。
女の子だったら隣でずっと眺めているけどさ。
「ほら、さっさと起きて……」
呼びかけた程度では起きる気配のなかったウィスパーの体を揺すって起こす。
だが、その体に触れた次の瞬間、私はその異常に気付いた。
「…………え?」
ごろりと仰向けになるウィスパーの体。
それを見た瞬間に分かった。
この場で恐らく、私だけが気付けたその真実。
「そんな……まさか……っ」
なぜ? どうして?
そんな疑問が頭の中を駆け巡る。
そして……その答えに辿りついた瞬間、背筋に氷水を浴びせられたような悪寒が走った。
「まさか……私のせい?」
信じられない。
信じたくない。
だがそれしか考えられないのも事実。
「ウィスパー……貴方って人は……」
無意識の内に後ずさった私は足元の石に躓き、尻餅をついてしまう。
「ルナ? 大丈夫?」
その様子を心配して、リンがこちらに来ようとしたが……
「だ、大丈夫だから! ちょっとそこで待ってて!」
リンにだけはこの光景を見せたくなかった私は必死に制止する。
何とかリンの目に止まることだけは阻止できたが……目の前にある事実に変わりはない。その悪夢のような現実は。
私はその現実を前に何もすることが出来なかった。
ただただ体を震わせ、耐えることだけしか……出来ないのだった。