99 落ち込むキリアス
キリアスが魔法部の部屋で魔法書を読んでいると、医務室の使用人がポーション用の瓶を返却しにきた。チラリと使用人を見て本に目を戻そうとしたキリアスに、使用人が声をかける。
「キリアス様、王妃様の病状が回復してよろしゅうございましたね」
「二本目を飲んでいただいて正解だったね」
使用人が視線をわざとらしく逸らして返事をしない。王妃が飲んだポーションは、二本ともキリアスが作った新鮮なものだ。それも通常のポーションとは違い、込められるだけの魔力を込めた特別品だった。
「うん? 違うの? 何か知っているなら教えてよ」
「知っていると言いますか、うっかり話を聞いてしまったのです。私から聞いたことは内緒にしていただけますか?」
「もちろん」
キリアスは(うっかり? 王妃の病状を、大きな声で話す人がいるとは思えない。おそらく聞き耳を立てたんだろうな)と思ったが、それは口に出さない。
「掃除をしていましたら、デニス先生がお仲間に話していたんです。陛下のお知り合いの魔法使いが作ったポーションを試したそうですよ。三本目のポーションを使ったら、王妃様の病状がすぐに快方に向かったそうです。それだけじゃありません。毒見役としてそのポーションを飲んだデニス先生もすこぶる快調だそうです」
「そうなんだ? 貴重な情報をありがとう」
(三本目? 僕のポーションが効かなかったってことか? 全力で魔力を込めたのに?)
ポーションの効果は込められている魔力が多いほど効果が高い。この男の言うことが本当なら、キリアスよりも多く魔力を持つ魔法使いがいるということだ。
キリアスは平民用のポーションの話を知らなかった。
魔法部の長を務めるキリアスに向かって「あなたたちのポーションより効果の高いポーションが大量に出回っていますよ」などと言う愚か者はいなかったからだ。
医務室の下働きの男は平民。今までは十七歳のキリアスが三十過ぎの自分に対して尊大な態度を取っても(侯爵家の令息で、国内でも一、二を争う魔法使いだ。仕方ない)と腹も立てなかった。
ところが王妃様にはキリアスのポーションが効かず、他の魔法使いのポーションが効いた。その事実が心の奥底に隠れていた鬱屈を呼び覚ました。下働きの男はざまあみろと思いながらキリアスに話したのだ。
キリアスの方はもう使用人のことは意識にないものの、大きな衝撃を受けていた。
師匠のジュゼル・リーズリーは、かつてはキリアスより魔力が多かった。だが今では逆転しているはず。グリド大師匠は言うに及ばずだ。技術や知識ではキリアスが敵わない部分も多々あるだろうが、魔力量ではグリド氏を圧倒している自信がある。
「他にめぼしい魔法使いといったら……。特級のポーションを作ることができるマイさんか。でも、マイさんが陛下の知り合いなんてことあるだろうか。んんん、ここで考えていても仕方ないな。よし、『隠れ家』に行ってみるか」
外食禁止令はまだ出ているが、持ち帰りなら許されている。魔法部の仲間が「あの店は配達を始めたらしくて、『隠れ家』の名前が入った大きなリュックを背負った配達の人をあちこちで見かける」と言っていた。
城を出たキリアスは思わず早足になる。
到着した『隠れ家』には、持ち帰りランチを買いに来た客が数人いた。
「こんにちは。持ち帰りのランチを買いに来たよ」
「キリアスさん、お久しぶりです。持ち帰り用のメニューはこちらです」
渡されたメニュー表を見ると、ちょっと足が遠のいている間に新しいメニューがいくつも登場していた。
「僕は後回しでいいから、このソーセージパンってのと肉パンを十個ずつお願い」
「後回しでいいんですか?」
「うん。待ってる。ちょっと話したいことがあるんだ」
そう言って店の隅に座った。他の客から距離を置くためだ。
マイは手際よく料理を作って客に渡している。配達専門らしい従業員たちがひっきりなしに出入りしている。
やがて店内の客がいなくなった。
「お待たせしました。持ち帰りのソーセージパン、肉パン十個ずつです」
厨房には若者がいたから、キリアスは声を小さくして話しかけた。
「王妃様にポーションを差し入れてくれてありがとう。助かったよ」
「っ!」
キリアスは思い付きでそう言ってみたが、マイの様子を見て(やっぱりポーションを作ったのはマイさんだ)と確信した。
「特級以上のポーションが作れるなんて、マイさんはすごい魔力量の持ち主だったんだね。驚いたよ」
「ええと……。それ、どなたから聞きました?」
「秘密。それに、マイさんと陛下が知り合いだったことにも驚いたよ」
マイは肯定も否定もしない。困った顔をしているだけだ。
「これ、代金。また来るね」
「ありがとうございました!」
一人になって、マイが「ふうう」と息を吐く。そしてピアスに手を添えて話しかけた。
「ヘンリーさん、あの受け答えでよかった?」
『うん。完璧です。彼はとても頭がいいからね。マイさんの能力の高さにも気づくだろうと思っていましたが、早かった』
「なんだかちょっと後味が悪いです。キリアス君の誇りが傷ついたかも」
『いや。キリアス君のためにはいい経験です。あなたは気にしないで。俺が彼に声をかけておきます』
一方、紙袋を抱えて歩いているキリアスは落ち込んでいた。
「今まで、この国で一番の魔力を持つのは僕だと思ってたのに。マイさんのポーションで王妃様は快方に向かったわけだ。僕のじゃなかったんだ。なんて恥ずかしくてみっともない」
今まで自信満々で高飛車な態度を取っていた自覚はある。自分にはそれが許されるだけの資格があると思っていた。やり場のない羞恥心と自己嫌悪を抱えて城に帰ると声をかけられた。
「キリアス君? どうした、元気がないな」
「あっ、ヘンリーさん」
書類を脇に抱えたヘンリーが自分を見ている。
「ヘンリーさん、マイさんのポーションは素晴らしい効果だったそうだね。僕、王妃様に差し出すポーションは、込められるだけ魔力を込めたんだけど……。ほら、普段はポーションの品質をそろえるために封じ込める魔力の量を抑え気味にしていたからさ。王妃様の容態が良くないと聞いて、二本目には全力を出したんだ」
ヘンリーは過去に見たことがないほどキリアスが落ち込んでいるのを気の毒に思う。頭が良く、人並外れた魔力を持ち、魔法の技術にも秀でていて侯爵家の令息。まだ十七歳だ。鼻が高くならないほうが不思議なのだ。いずれもっと大人になれば、今の高飛車な態度も改めるときが来るだろうと、ヘンリーは見守っていた。
しかし高くなっていたキリアスの鼻をへし折るのがマイだとは思っていなかった。
しかもマイはキリアスと争う気がないどころかライバル視さえしていない。マイはニコニコしながら我が道を進んでいる。それはキリアスにとって余計に堪えるだろう。
「キリアス君のポーションがあったから、王妃様は命を保っていられたんだ。どんなに効果のあるポーションでも、命の炎が燃えていないと使えないだろう? キリアス君のポーションはちゃんと役に立っていたんだよ。だからそんなにしょげるな」
「そうかなあ。役に立っていたかなあ」
萎れていたキリアスの目に少し力が宿る。
「君のポーションは役に立っていた。間違いない。それでキリアス君、王妃様が飲んだポーションをマイさんが作ったという話を、誰から聞いた? それ、結構な秘密だったんだが」
「情報をくれたのは城の使用人だけど、マイさんだと思ったのは僕の推測だよ。洪水のときにマイさんが作って寄付したポーションは特級だった。だからマイさんの可能性が高いと思って、さっき『隠れ家』に行って鎌をかけたんだ」
ヘンリーは(誰かが漏らしたと思っていたが、鎌をかけただけだったのか)とキリアスの誘導の上手さに感心した。
「キリアス君、マイさんはあまり人を疑わない。特に親しい人の言うことは、見ていて心配になるほど信じてしまう。貴族の腹芸に慣れている君とは違うんだ。彼女に貴族の手法を使うのはやめてくれないかな」
「あ、うん。確かにそうだね。ごめんね。マイさんは心がきれいだし、自慢もしないし、威張りもしないよね。すごい量の魔力を持っているのに謙虚だ。はぁぁ。見習わなくちゃね。ええと、僕はこのパンが冷めないうちに仲間に届けるよ。じゃあね」
再び萎れたキリアスが、肩を落として去っていく。
ヘンリーは(少し可哀想だが、そうやって高くした鼻をへし折られながら大人になってくれ。そして立ち直って、また魔法使いとして活躍してくれ)と見送った。