97 追跡
市場の通りは人が多いものの、流行り病の前に比べたら人の数が少ない。
ソフィアちゃんが人間の姿でカリーンさんの匂いを追跡する以上、人は少ない方がいいから助かった。
ヘンリーさんがしゃがんでからソフィアちゃんに話しかけた。
「ソフィアちゃん、ばあばの匂いがわかるかな」
「フィーちゃん、わかる!」
「匂いがわからなくなったら俺の服を引っ張って。俺が靴紐を直すふりをするから、ソフィアちゃんも一緒にしゃがんで匂いを探して」
「わかった!」
二人が前を歩き、私はその後ろを歩く。身長が百九十センチのヘンリーさんと百センチほどのソフィアちゃんが手をつないでいる姿は、親子に見えなくもない。
ソフィアちゃんが下を向いてゆっくり歩く。スンスンスンと匂いを嗅いでいる。ソフィアちゃんはカリーンさんの職場から順当に『隠れ家』の方へ進んでいるところだ。
最初の十字路でソフィアちゃんの足が止まった。ヘンリーさんがかがみ込んで靴紐を直す姿勢になると、ソフィアちゃんもしゃがんだ。しゃがんでスンスンしている。それから立ち上がって右に曲がった。『隠れ家』に向かうなら直進だ。ヘンリーさんが私を振り返る。「ここから変よね」と言うと、ヘンリーさんがうなずいた。
少し進むと庶民向けのアクセサリー店があった。店の前でソフィアちゃんが一度止まり、またヘンリーさんが靴紐を直す。ソフィアちゃんもかがむ。それから店を通り過ぎた。次の交差点を左に曲がり、細い路地に入り、私たちはカリーンさんを見つけた。
カリーンさんは建物と建物のすき間の奥で倒れていた。
「ばあばっ!」
駆けていくソフィアちゃんの後をヘンリーさんが走る。私も走る。ヘンリーさんがカリーンさんに呼びかけた。
「カリーンさんっ! 聞こえますか?」
ヘンリーさんがカリーンさんの首に触れて、私に「生きています」と言う。声に反応してカリーンさんがうっすらと目を開けた。ソフィアちゃんがカリーンさんの身体にしがみついて動かすから、ヘンリーさんが引き離して抱き上げた。ソフィアちゃんがギャンギャン泣くけど、ヘンリーさんはソフィアちゃんを離さない。
「カリーンさん、ポーションを飲んでください」
「マイ、さん」
カリーンさんは頭を少し動かしただけで顔をしかめているが、どうにかポーションを飲んでくれた。
ヘンリーさんと二人で怪我の程度を調べたら、地面に触れている右側頭部に傷が口を開けていて血が出ている。横向きに倒れていたのを仰向けにしたら、顔の右側が酷く腫れている。
ヴィクトルさんに連絡を入れようとして、この場所がどこなのかわからないのに気づいた。
「ヘンリーさん、ここの住所わかる?」
「銀細工町三番通り。ガーディー銀細工店の近くです」
「了解。ソフィアちゃんの泣き声が大きいから少し離れてください。 ヴィクトルさん! ヴィクトルさん! カリーンさんを発見しました。銀細工町三番通り、ガーディー銀細工店の近くの路地で倒れていました」
『倒れて!? カリーンは無事なんですよね?』
「意識はありますが何者かに襲われて怪我をしています。近くの病院に運んだら、また連絡します」
お礼を言うヴィクトルさんに返事をする時間も惜しくて、私は周囲を見た。壊れた椅子が一脚放置されている。変換魔法を放ち、二本の丈夫な棒を作った。担架を作るには布が必要だ。
「ヘンリーさん、上着を貸して」
ヘンリーさんが渡してくれた制服の上着に変換魔法を放つ。二本の棒の間に帯状の布が何本も渡されて即席の担架が完成した。ヘンリーさんがカリーンさんを抱え上げてそっと担架に乗せ、二人で担架を持ち上げた。
「ソフィアちゃん、ついてきて。ばあばをお医者さんに診てもらうから」
「うん」
ギャンギャン泣いていたソフィアちゃんが、しくしく泣きながらついてくる。
「一番近い医者はこっちです。マイさん、しっかり担架を持って」
「了解! ソフィアちゃん、ばあばと行くよ。泣いてもいいから、ついて来て」
黙ってうなずくソフィアちゃん。
大通りに出ると何人もの男性が駆け寄ってきて、「怪我人か? 手伝うよ」「お嬢さん、俺と代わりな!」「医者はこっちだ!」と声をかけてくれる。たどり着いたのは十分ほど歩いた場所にある小さな医院だ。
待合室には七、八人の患者がいたけれど、酷い状態のカリーンさんを見て全員が順番を譲ってくれた。カリーンさんは診察室に運ばれ、ヘンリーさんが状況を説明するために付き添った。ソフィアちゃんは私の手を握ったまま黙り込んでいる。私はトイレに行く振りをしてヴィクトルさんに連絡を取って待った。
しばらく待つと診察室のドアが開いた。中に入り、説明を受ける。
「怪我は頭部裂傷、肋骨二本の骨折、顔面打撲、右足首捻挫。命に別状はないが、今夜は入院してもらうよ」
「わかりました。よろしくお願いします」
「だいぶ落ち着いたから、面会できますよ」
病室に入ると、カリーンさんは目を開けた。
「助けてくれてありがとう。手加減は難しいわね。失敗しちゃった」と言って、襲われた状況を話してくれた。
「ヴィクトルに銀のブローチを買って、店を出たところでバッグごとひったくられたの。そいつらを追いかけたら、仲間が四人待っていて、そこからは五人がかりで殴る蹴るを……」
五人? しかも女一人を狙った? 嫌な予感がする。
「カリーン!」と押し殺した声を出しながら、ヴィクトルさんが病室に入ってきた。
「カリーンさんは命に別状はありません。でも、骨折や打撲で入院です」
「骨折……。マイさん、ヘンリーさん、カリーンを助けてくれてありがとう。本当にありがとう」
それから少し間が空いて、悔しそうな顔で私たちに話す。
「カリーンが変身していれば一般人五人なんて目ではないのです。ですが犬の姿で反撃すれば、獣人の悪評が立ってしまう。きっとカリーンはそれを心配して……」
「カリーンさんは獣人の名誉を守るために、人間の姿のままだったのですね」
ヘンリーさんの言葉にヴィクトルさんが無言でうなずき、カリーンさんを見つめている。その顔がとても悲しそうで見ているのがつらい。私が絶対にクズどもを見つけ出して警備隊に突き出してやる。絶対にだ。
「私たちは帰りますが、なにかあったら連絡ください。ソフィアちゃんはこのまま預かります」
「ありがとうございます。私はここで付き添わせてもらいます」
またお礼を言うヴィクトルさんを置いて医院を出た。ソフィアちゃんは無言で、手を引かれるまま歩いている。今こそソフィアちゃんに頑張ってもらおう。
「ソフィアちゃん、おばあちゃんを酷い目に遭わせたヤツらのにおいを探してほしいの。私がばあばを怪我させた人をやっつけてやるわ」
「フィーちゃん、さがす」
「俺にも協力させて。さあ、においが薄くならないうちに始めよう」
三人でカリーンさんが倒れていた場所に戻った。ヘンリーさんと私で通りからの視線を遮り、ソフィアちゃんに変身してもらう。ソフィアちゃんは一瞬でワンコになり、地面に鼻を近づけてにおいを嗅ぐ。
「フィーちゃん、におい おぼえた!」
「ありがとう。もう人間に戻っていいわ。さあ、行こう。においをたどってね」
「フィーちゃん、やっつける!」
こうして私たちはソフィアちゃんを連れたヘンリーさん、その後ろを私という陣形で強盗犯を捜し始めた。敵は寄り道せずにまっすぐ進んでいる。たどり着いたのは酒場だ。
ソフィアちゃんがヘンリーさんを見上げて「ここ!」ときっぱりと言う。
結界を張った状態で店に入り、探している犯人がすぐにわかった。賭けてもいい。立ち飲みの店にいるだらしない姿勢の五人は、あの夜に私を襲おうとした連中だ。
店の中にはバーテンダーとその五人だけ。この店は防病法が発令されているのに営業しているわけだ。それとも無理に営業させられているのか?
「なんだお前ら」
ヘンリーさんが素早くソフィアちゃんを抱え上げた。ソフィアちゃんは空中で男たちをにらみながら「フーッ! フーッ!」と興奮している。
「ここは私に任せて」とヘンリーさんに言うと、ヘンリーさんは険しい顔ながらもうなずいて下がってくれる。
「おい! ここは酒場だ。ガキを連れてくんなよ」
この声、間違いない。
あの夜、私に金を貸せと言ったリーダーの声だ。それを確信したら、逆に私の心が落ち着いた。
「この近くで私の友人が強盗に襲われたの。彼女を襲ったのはあんたらね?」
「はあ? 寝言は寝てから言えよ。俺たちはずっとここで飲んでいた。言いがかりはやめてくれ」
「そっちこそ寝ぼけてんじゃないの? 大蛇、オオカミ、ワニを忘れた? 素っ裸で悲鳴を上げて逃げ出したくせに」
五人全員がギョッとした。はい、余罪確定。
「変換っ!」
興奮のあまり声に出してしまった。全員の服が伸縮性の強い包帯みたいに身体にぴったり張り付いた。足首から首まで、洋服柄の包帯を巻いたミイラのようになった。
男たちはバランスを崩してドンッ! バタンッ! と倒れていく。
「てめえ、魔法使いか!」
「やっと気づいた? ねえ、ひったくりなら彼女をあそこまで痛めつける必要はなかったよね?」
「しつこく追いかけてくるからだよ! あんな安物の銀細工一個でよ!」
「あんな状態で路地に放置して、私たちが見つけなかったら死んでいたかもしれないわね」
すぐヴィクトルさんに連絡した。
「カリーンさんを襲った犯人を捕まえました。ここは……」
ヘンリーさんを見ると、すぐにピアスに顔を近づけて住所を言ってくれた。
「桶屋町二番街、通りから奥に向かって六軒目の看板のない酒場です」
ヴィクトルさんは『聞こえました。すぐ行きます』と答えて通話が終わった。騒いでいる男たちを見張っていると、やがてヴィクトルさんが殺気を纏って店に入ってきた。
「こいつらなんですね?」
「ええ。こいつらには余罪がたくさんあるはずです。以前、私も夜道で襲われました。お金だけじゃなく私自身にも手を出そうとしたので、反撃して追い払いました」
ヴィクトルさんがゆっくり五人の男たちを見回した。
「そうですか、なるほどね……。店主、違法営業中だな?」
「そ、それは! この人たちに逆らうと、その……」
「言い訳は後で聞く。これ以上罪を重くしたくなかったら、大至急警備隊に走れ。『ヴィクトル小隊長の女房が半殺しにされた。犯人を捕まえたから来てくれ』と伝えてください」
「は、はいっ!」
バーテンダーさんが駆け出していき、ヴィクトルさんは妙に静かな声で私に話しかけてきた。
「私はこいつらに聞きたいことがありますので、ソフィアを連れて帰ってもらえますか?」
「わかりました。ソフィアちゃん、私と帰りましょう」
「フィーちゃん、噛む!」
「あいつらを? ダメよ、ソフィアちゃんの口が汚れる。あいつらゴミだから」
「そうだよ。俺たちと帰ろう。あいつらのことはおじいちゃんに任せておけばいい」
ヘンリーさんは不満そうなソフィアちゃんと手をつないで店を出た。少し歩いてから私を振り返る。
「拘束するだけでしたね。俺ならもっと……」
途中で言葉をのみ込んだヘンリーさんがソフィアちゃんを見た。ソフィアちゃんが真剣に聞いているのに気づいて話を変えてくれた。
「ヤツらはカリーンさんにあんなことをした直後に、笑って酒を飲んでいたでしょう? おそらく強盗傷害の常習犯です。だとしたらもう我々の世界には戻って来られません。終身刑の強制労働送りになるはずです。それより、マイさん。あなたはあいつらにいつ襲われたんですか? 俺は初耳ですが」
そうだった。興奮してヘンリーさんの前でしゃべっちゃったよ。
「あ、うん。私に被害がなかったし、心配かけるから言わなかったの。どうやってヤツらをやっつけたか、説明するのが厄介だと思って。追い払うだけで警備隊にも突き出さなかった。でも、あの時ヤツらを突き出していれば、カリーンさんはあんな怪我をしなかったわね。今日のことは防げたんです」
「悪いのはあいつらです。マイさんが責任を感じる必要はありませんよ」
ヘンリーさんはそのあともたくさん慰めてくれたけど、私に責任の一端があるのは事実だ。