92 病の大波
平民の患者がぽつりぽつりと発生しているらしい。
ヴィクトルさんが私のポーションを飲ませたら、重症化することなく回復しているそうだ。「ポーションの効き目は素晴らしい」と報告を入れてくれた。
そんな日がしばらく続いていたから、(もしかしたらこのまま病の流行は沈静化するかも)と思っていた。
だがある日、朝七時の鐘が鳴るのを待ちかねたように、ヴィクトルさんがペンダントで話しかけてきた。
『ヴィクトルです。朝早くに申し訳ありません。昨夜から続々と患者発生の知らせが警備隊に届いています。あっという間に、病人を引き受ける家が全て満杯になりました』
「そこに入れなかった患者はどうしていますか?」
『仕方なく自宅で寝ています』
「私が警備隊にポーションを運び込んだら、そういう家にも配っていただけますか?」
『もちろんです。よろしくお願いします』
急いで店のテーブルに変換魔法をかけて荷車を作った。さらに、変換魔法で地下室に積んであるポーション入りの樽を荷車に移動させる。薬草さえあればポーションはいくらでも作れるのだから、ケチケチせずに二樽持っていこうと思う。ただ、満杯にポーションを入れた樽は重い。荷車は何百キロを積むことになるのか。私に引っ張れるのかな?
私が荷車を引いて行くしかないんだ! と覚悟を決めていたら、ヴィクトルさんが来てくれた。赤ワインと書かれている樽を見て驚いている。
「この樽にポーションが?」
「ええ。ひと樽で千百人分くらいあるので、コップで飲ませてもらえれば」
「ポーションを樽で……。千百人分」
何か言いたそうな顔をしながら何も尋ねず、ヴィクトルさんは一人で軽々と荷車を引いていった。
その日、ヴィクトルさんから連絡が入るたびにポーションを用意して樽で渡した。合計五樽、五千五百人分。患者の多さに震える。
翌日の朝八時。ヴィクトルさんがまたポーションを受け取りに来た。
「あのポーションを飲んだ患者は全員、急速に回復しています。初期の患者はポーションを飲んでいなかったので、熱を出してかさぶたになるまでかなり日数がかかったのです。ところがマイさんのポーションを飲ませた患者は、当日からどんどん快方に向かいました。すごい効き目でした」
「効いてよかったです」
そう言って私は気が楽になったが、ヴィクトルさんの表情は晴れない。
「何か心配事ですか?」
「ええ。初期に発症した患者の家族はもれなく、十日から二週間で病を発症しています。感染力が相当強い」
「家族が感染するのはもう、仕方ないですよ」
「まだまだ患者は発生するということですね。それとは別に、もうひとつ。『警備隊が配っているポーションで病がすぐ治る』と噂が広がっています。『ポーションを分けてほしい』と遠方からも続々と人が警備隊に詰めかけているのです」
「どんどん渡してあげてください。いくらでも作ります。樽ごと渡してもかまいません」
「問題は、明らかに貴族に命じられたと思われる者が混じり始めていることです」
「病に身分は関係ないのですから、分けてあげればいいのでは?」
「それが……」
ヴィクトルさんが詳しく説明してくれた。
今まで国は魔法部のポーションを平民に配らなかった。魔法使いが足りないから配れなかったと言うべきか。
過去の流行り病でもずっと同じ対応だった。
平民がポーションを飲めないまま病が重症化したり命を落としたりするのは毎回のことで、平民は皆、「魔法使いもポーションも数が足りないのだから仕方ない」と諦めていた。そこへよく効く私のポーションが供給されたわけだ。
「ポーションの配給待ちの列に貴族のお使いが並んでいるのを見て、腹を立てる者が少なくないのです」
「貴族が平民用のポーションを貰うのはずるい、ということですか?」
「そうです。今まで平民は、家族が病に倒れていくのを見守るだけでした。みんなそれを忘れていません。なのに今回、マイさんのポーションが登場したら貴族はそれも欲しがる。平民が文句を言いたくなるのはもっともなんです。使用人は平民用のポーションを貰えますから、同じ人が二人分、三人分を貰おうとしても断られるのですけどね」
人を笑顔にするための魔法が争いを生んでいた。
貴族たちは魔法部のポーションを貰っているから、さすがに警備隊に向かって「平民用のポーションをよこせ」とは言えずに使用人を並ばせたわけだ。この件に関して、ヘンリーさんからは何の連絡もきてない。
「私の判断で『善意の魔法使いが平民のために提供してくれている』と説明したので、平民たちは自分たち専用だと思い込んだのです」
「事情はわかりました。少し時間をください。なるべく早く解決策を考えます」
「助けていただいたのに煩わせてしまい、申し訳ありません」
ヴィクトルさんが樽を積んだ荷車を引いて去っていく。私はすぐ、ピアスを通してヘンリーさんに声をかけた。
「聞こえましたか?」
『ええ、全部。やはりそうなりましたか』
「予想していたの?」
『ええ。貴族には国からポーションが配られるとはいえ、マイさんのポーションは城の品よりよく効きますからね。そういう情報は素早く広まるものです』
ヘンリーさんがすぐに解決策を考え出してくれた。
『貴族は強引なことをしない限り、マイさんのポーションを手に入れられません、このまま様子を見ましょう。ただし、陛下のお名前で貴族に国の考えを伝えてもらいます。貴族によるポーションの二重取りを確認した場合、次回から城のポーションは渡さない、と』
「貴族が平民に直接『平民用ポーションを売ってくれ』と持ちかけたら?」
『そこから先は、平民の判断に任せればいいのです。警備隊は誰に渡したかを記録していますので、家族の数より多く貰うことはできません。ただ……』
少し間を置いてヘンリーさんが静かに話を続ける。
『そのポーションを作った魔法使いは誰だ、ということにはなるでしょう。それについてはすでに、俺の考えを陛下に伝えて了承をいただいています』
ヘンリーさんの声が少し低くなる。
『作り手をしつこく嗅ぎまわる家の目的は、マイさんを囲い込むことしかあり得ません。そういう家には“善意の魔法使いを自分の家に抱え込もうとするなら、今後どんな流行り病がきてもお前の家にだけはポーションを渡さないから覚悟しとけ”という内容を上品な表現で書いて、陛下のサイン付きで送りつけることにします』
「あっ……さすがです」
『この件でよくわかったのですが、陛下は案外腹黒でした。実際はもっとえげつない言い方をなさっていましたよ。ふふ』
そう言って笑うヘンリーさんも、黒さが漏れ出てるよね。
病の流行が収まるのはだいぶ先だろうから、店の営業は配達と持ち帰りだけにして再開した。
汁物はお客さんに鍋を持参してもらって売っている。自宅待機だったアルバート君とサンドル君に復帰してもらい、配達係を頼んだ。
カリーンさんとディオンさんの仕事は規制の対象外だから、ソフィアちゃんは毎日うちに来て穴掘りをしたり、掘った穴にお気に入りの枝や骨を埋めたりしている。そのソフィアちゃんの前で思わず考えを口に出してしまった。
「配達する人を増やすかな。配達係が全然足りないわ」
「フィーちゃん、行く」
「行くって配達に?」
「うん!」
「さすがにそれは頼めないわよ。もっと大きくなってからお願いするね」
「フィーちゃん、行くよ!」
ソフィアちゃんは自分も配達に行くと言って譲らないが、「大きくなったらね」と言い聞かせた。
そんなとき、思いがけない助っ人がやってきた。猿型獣人の集団を捕まえるときに、犬型集団の一番外側で走り回っていた人。人間の姿の今は、黒髪、茶色の瞳。堂々たる体格に精悍なお顔のクロードさんだ。
たしか犬に変身したとき、シェパードっぽかった。見た目も活躍っぷりもかっこよかった人。
「お久しぶりです。覚えていらっしゃるでしょうか。クロードです。こちらの店名の描かれたリュックを背負って、若者が走り回っているのを見ました。もし人手が足りなければ、配達員として四人雇ってもらえませんか。俺の職場は立ち飲みの酒場なので、配達する品がないんです。仲間も俺も、収入の道を絶たれて困っていまして」
思わずクロードさんの手を、ガシッと両手で握った。
「お待ちしておりました、クロードさん。ぜひ、配達をお願いします」