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90 樽で作成

 ヘンリーさんが王都中の薬草店に手を回し、ポーション用の薬草を買い集めてきた。その他に、迷いの森にも人を出して新鮮な薬草を集めているらしい。


「手あたり次第に買い占めていますが、もしかして、マイさんなら変換魔法でその辺の草を薬草にできましたか?」

「ううん。コーヒーも調味料も、変換して作ったものは微妙に味が違ったの。見た目がそっくりになったとしても、成分が全部揃わないと同じ品にならないんじゃないかしら。ポーションの効果が出なかったら困りますから、手堅くいきたいです」

「確かに。そのほうがいいですね」

 

 夜になって、たくさんの樽と山積みの薬草が『隠れ家』の裏庭に運び込まれた。二台の荷馬車を操っているのはヘンリーさんとハウラー家の御者さんだ。樽を魔法で自作したかったけれど、樽を締めるタガにする鉄が足りないのだ。鉄鍋のお店は『当分の間休業します』となっていた。近所の人に聞いたら一時的に転居しているらしい。

 

「流行り病が原因ですかね?」

「どうかしら。実家のある山の方に行ったのよ。ご主人の実家も鍛冶屋さんだから、そっちで働くらしいわ」

 

 別の店で鉄製品を買ってもいいのだけど、あの店は私を鉄鍋と呼ぶだけで余計な詮索をしなかったから、便利だったんだけどな。


「ヘンリーさん、ワイン樽にはどのくらいの量が入るか知ってますか? ポーション一回分の量を二百ミリリットルにすると何人分になるのかしら」

「樽の容量はワイン瓶およそ三百本分です。ワインがおよそ七百五十ミリリットルですので……ポーション千百二十五人分ですね」


 計算するの、速いね。キリアス君のポーションは百五十ミリリットルくらいだったけど、ちょっと多めに配ろうと思う。


「大まかに計算して樽一個で千百人分と考えればいいですね。了解です。それに合わせて薬草の山を振り分けます」

「うちの料理人たちに樽の容量に合わせて仕分けさせます。俺たちだけじゃ時間がかかりすぎる。マイさんは体力と気力と魔力を、全てポーション作りに使ってください」

「それも了解です。料理人さんにはなんと説明を?」


 ヘンリーさんが「ふ」と口の両端を少し持ち上げた。


「料理人に限らず、我が家で働く使用人は何を見ても何を聞いても口外しません。母が『口の堅さ』を第一条件にして選んでいるのです。それより、この樽と薬草を収める地下室は?」

「あっ、それは今から作ります」

「今から? 俺が見学しても?」

「もちろんです」


 今の時刻は夜の九時。周囲は店舗が多くて住んでいる人は少ないが、それでも用心しないと。なるべく音と振動を立てずに作業しよう。


「まずは地下室に向かう階段を作ります」


 土を掘り出さずに済む方法を考えてある。土魔法と火魔法を同時に使う。土を圧縮しながら加熱して、水分を抜いてガチガチに固めた。猛烈な量の水蒸気が発生し、水蒸気は湯気となって立ち込める。それを風魔法で上空へと吹き飛ばす。重機を使わないから工事の音は小さく振動も少ない。いいね!

 地下へ向かう階段ができた。ヘンリーさんが無表情に見ているけれど、驚いているような気がする。

 

 次に下り階段を下りきった場所に立ち、それなりの大きさの地下室を完成させた。ツルツルカチカチの壁と天井と床。黒い御影石で作ったような地下室が出来上がった。


「同時に三つの魔法を使ったのですか。すごいな。マイさんはやっぱり……」

「やっぱりなんでしょう」

「いえ……なんでもないです」

「さて、今度は樽を地下室へ運び入れなくちゃ。私が変換魔法で樽を移動させますね」


 山積みの樽を手も触れずに地下室へ移動させると、ヘンリーさんが小さく「ふぅ」と息を吐く。

 

「もう何を見ても驚きませんが、変換魔法は便利が過ぎますね。マイさん、魔力切れは?」

「平気です」

「これだけ魔法を連発しても疲れないんですね。そんなあなたが魔力切れになるまで、全力で伝文魔法を放ったわけか」

「そ、その節は大変失礼いたしました」

「気にしていません。貴重な経験でした。今夜はここまでにして、ポーション作りは明日からにしませんか? 明日も俺が樽を運んできますから。それと、これだけのポーションを供給すれば、必ず誰が作ったのかという話になります。夜は戸締りをしっかりしてくださいね」


 ヘンリーさんは心配そうな顔で帰っていった。

 地下室の入り口は分厚い木の板で塞ぎ、土も被せて隠した。ここに大量の特級ポーションがあると知られたら面倒なことになりそうだもの。


 翌日の朝、カンカン、カン、カンカンという聞きなれないリズムの鐘の音で目が覚めた。

 ソフィアちゃんを連れて来たディオンさんが、「あの鐘は、防病法が今日から実施された合図です」と教えてくれた。「ソフィアちゃんが心配ですね」と言うと、ディオンさんは辺りを見回してから小さな声で応じてくれた。


「俺ら獣人は一般人のやまいには強いんです。全くかからないわけではないんですが、運悪く病を貰っても、たいていは風邪程度で済むんですよ。三歳のソフィアはおそらく大丈夫でしょう」

「そうなんですか。知らなかった」

「その代わり、獣人だけがかかる病もあるんです。その場合は、少し離れた場所に専門のお医者様がいますんで。ご心配には及びません」


 ゴンザ医師のことかしら。


「それを聞いて安心しました。ソフィアちゃんはいつも元気だものね」

「フィーちゃん、元気!」

「いいわねえ。元気が一番よねえ」


 ヘンリーさんもお昼に来店して持ち帰りを注文した。


ぼうびょうほうが実施されましたから。身分を問わず、外食禁止です。くつろぎに来ていた俺にとって、店内で食べられないのは切ないです」

「樽を運び込むのも無理ですか?」

「来られますよ。まだ外食禁止の段階で、外出禁止ではありません。ただ、かなりの勢いで貴族とその使用人に病が広がっています。そのうち平民にも病は広がります。マイさんが病を貰わないといいのですが」

「たぶん、大丈夫だと思います」


 私は水痘のワクチン接種を済ませている。もしこの世界の水痘のウイルスがあちらの世界のウイルスと似ているなら、私が感染しても症状は軽いはず。どうかウイルスが似ていますように。



 防病法が実施され、街の中は一気に人が少なくなった。『隠れ家』は持ち帰りのみ。その注文も少ない。

 ヘンリーさんが「ポーションを作るところも見たい」と言うので「どうぞ」と地下室に案内した。


 樽に向かって両足を開いて立ち、水魔法で勢いよく水を注ぐ。作る量が多いし、『ポーションは強い魔力を注がないと確かな効果が出ない』とキリアス君が言っていたから、できる限りの魔力を注ぎ込みたい。

 ふと、幼稚園から中学卒業まで近所の空手教室に通っていた頃のことを思い出した。一瞬で魔力を大量に注ぐために瓦割りの動きでやってみよう。

 ゆっくりと拳を動かし、軌道を二度確認してから「セイッ!」と気合一発、魔力を拳から放った。

 

 近くに置いてあった薬草の山が、音もなく一瞬で微粉末になる。

 ひと樽分のポーションを作り終え、「これで終わりです!」とヘンリーさんを見たら、ぽかんとしている。


「もしかして、かけ声に驚きました? これは私が習っていた武術の……」

「煮ないのですね」

「煮る? 薬草を? え、煮るの? だっておばあちゃんの知識では……他の人は薬草を煮て、そこに魔力を注ぐの? うわあ、ポーションの作り方、誰にも余計なことを言わなくて超ラッキーだった! あ……」


 いけないいけない。つい、あちらの言葉使いに。


「そうでしたか。煮て成分を抽出するとは知りませんでした。なるほどねえ。でも、この作り方で特級と鑑定されたなら、問題ありませんよね」

「そのポーションを少し分けてくれますか? そうですね、グリド先生なら安心か。グリド先生に正確な鑑定をしてもらってきます」

「いや、待ってください。貴族の間で病が広まっているなら、私が持っていきます。ヘンリーさんはもしかしたら病を発症していないだけで感染しているかもしれません。ディオンさんに聞いたんです。獣人は一般人の病にかかりにくいって」

「ほう? 初めて聞きました。なるほど、そうか。だから俺はやたら丈夫で病知らずなのか」


 という経緯があって、私がグリド先生にポーションの鑑定をしてもらいに行くことになった。

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