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89 流行り病

 最近、貴族の間で未知の病が発生しているらしい。文官のハリソンさんがランチに来て、教えてくれた。


「貴族の間で見たことがない病が広がっていましてね。近いうちに外で食事ができなくなるでしょう。そうなる前に食べに来ました」

「病が広まると外食できないきまりがあるんですね?」

「あります。マイさんはぼうびょうほうを知っていますよね?」


 出た。私だけが知らないこの国の常識。

 防病法はどの程度有名な法なのか。下手なことを言うよりも、ここは笑ってごまかそう。

 私は首をかしげながらにっこりして見せた。ハリソンさんは私の小細工はどうでもよかったらしく、すぐに防病法について教えてくれた。

 

「防病法は『病の流行が沈静化するまで、外での飲食と集会を控えるべし』というものです。法の適用と解除の判断は陛下が下します」

「今回の新しい病って、どんな症状なのでしょう」


 私は治癒魔法を使えないし、あちらの世界の薬剤の知識もない。でも魔力の量だけはかなりある。なんとか役に立ちたいよ。


 ハリソンさんの話によると、新しい病の症状は熱、発疹、倦怠感、水ぶくれ、痒み。あちらの世界の水痘すいとうにそっくりだ。

 家族が突然発症し、次に看病していた家族もほぼ全員が発症する。子供は重症化しにくいものの、大人は重症化しやすく、ぽつりぽつりと死者も出ているそうだ。


「今日も美味しかったですよ。防病法が解除されたらまた来ます」

 

 ハリソンさんが帰り、午後二時にヘンリーさんが来店した。アルバート君とサンドル君は、ヘンリーさんが来ると外で薪割りをしたり裏庭の草むしりをしたりする。たぶん気を利かせている。

 二人きりになってすぐにハリソンさんから聞いた話をした。ヘンリーさんが深刻なお顔でうなずく。


「今日にでもマイさんに話そうと思っていました。ここには様々な人が訪れるから、マイさんも病を貰うかもしれません」

「その病、私の世界にあった病にとても似ているんです。あちらでは予防できたのですが、私には詳しい知識がなくて。本当に悔しい。ポーションは効かないのですか?」

「効きます。ただし、王城の魔法使いが作ったものなら。王都にいる貴族と軍人は優先して魔法部のポーションを支給されます。市販のポーションでは気休めにもならないと思う。今回、貴族に病が集中しているのですが、いずれは……」

「平民にも広まりますよね?」

 

 ヘンリーさんがうなずいた。庶民の間にその病が広まったときこそ、やたら魔力量が多い私の出番では?


「ヘンリーさん、私、役に立ちたい」

「平民間の流行に備えて、ポーションを作りたいのですね? 賛成です。過去の記録によれば、新しい病は必ず身分の壁を超えて国中に広まります。十人しかいない城の魔法使いでは、ポーションの数は絶望的に足りません。大変な事態になるでしょう。マイさんが作るポーションは特級の品質ですから期待できます」

「特級? そうなの? 私のポーション、魔法部の人たちが作るのと同じなの?」

「そうです」

「だったら私、ポーションを作りまくります。ポーションは、どのくらい保存できるのか知っていますか?」

「城では半年ごとに入れ替えています。新しいほうが効果が高いのですが、半年過ぎたポーションでも十分に効果はあります。王族にも使われるため、そのあたりは検証済みです」


 お城のポーションを飲めない庶民のために、私は魔力の限界までポーションを作ろう。持て余していた私の魔力。無駄な馬鹿力みたいと思っていたけれど、よおし。やってやろうじゃないか。


「王都の人口ってどのくらいですか?」

「おおよそ四万人です」

「大量の薬草と瓶が必要になりますね」

 

 ヘンリーさんが中指の先で唇をゆっくりなぞる。指の動きが止まり、口角が上がる。


「任せてください。薬草は俺が手配します。今回はマイさんが作るからハウラー家の資金を使います。瓶の保管場所はどうしましょうか」

「うちの裏庭に地下室を作って、そこに保管します。患者の発生をいち早く知る立場の人は……街でポーションを売っている人かしら」

「いいえ。警備隊です。市販のポーションは市中の魔力持ちが作って細々ほそぼそと売っているだけです。ポーションは飲むのが早ければ早いほど効果が出ますが、貧しい人たちは病の初期でポーションを買ったりしません。よくよく悪くなってから買って飲むのが普通です。つまり、庶民はほぼ自力で治しているのですよ。だから新しい病が流行るたびに、平民から大勢の死者が出ます」


 ポーションも免疫もないものね。


「もしその病が私の世界にもあった病と同じなら、危険です。なるべく早く飲んでもらうにはどうしたいいのかしら」

「警備隊に渡す、かな。でも、一応彼らに聞いてみましょうか。いい方法があるかも」


 そう言ってヘンリーさんが立ち上がり、裏庭へと向かう。若者二人はせっせと薪割りと草むしりをしていた。


「君たち、ちょっといいか」

「はい」


 二人は両手をズボンにこすり付けながらやってきた。


「君たちが病気になったら、ポーションを飲む他に何かするかい?」

「うちはポーションなんて買ったことないです。母ちゃんか父ちゃんがおふだを貰ってきますね」

「俺んちも同じっすね。神殿で神力しんりきを込めた、あの小さい紙っす」

「紙? それ貰ってどうするの? 部屋に貼るの?」

「飲みますね」


 疫病退散のお札みたいなものかと思ったら、アルバート君の答えがとんでもなかった。私はきっと「うへえ」という顔をしていたんだと思う。ヘンリーさんが説明をしてくれた。


「俺は聞いたことがあります。神殿で祈りを込めた小さな紙を買って、そのまま飲み込んだり、焼いたあとの灰を水と一緒に飲み込むのです」

「ただの紙なら効くわけないわよね? それとも魔法みたいに、祈りに何かしらの効果があるの?」


 アルバート君とサンドル君が驚いた顔をしている。


「なによ二人とも。言いたいことははっきり言ってよ」

「神殿のお札に効果がないってはっきり言う人は珍しいんで」


 しまった。するとヘンリーさんが迅速かつさりげなくフォローしてくれる。


「マイさんはリボリー領のそのまた外れの小さな集落の出身なんだ。リボリーは草深い田舎だからね。王都のことで知らないことがたくさんあるんだよ。そのあたりを考慮してあげてほしい」

「わかりました。そうっすか、マイさんの田舎はリボリーなんすね」

「……うん」


 その地名、今初めて聞いたけどね。

 私とヘンリーさんは店に戻り、声を小さくして話し合いを再開した。


「マイさんが神殿に関わるのは却下です。絶対に面倒なことになる。間違いない」

「えっ、そうなの? それより、その紙に祈りの力が本当に宿っているの?」

「いいえ。ただ、価格が小銅貨一枚、タダ同然なのです。貧しい人々にとって『打てる手は打った』という気休めですね」

 

 なんてこったい! やっぱり私がポーションを作るよ!


「ヘンリーさん、用意するのは瓶じゃなくてたるにしましょう。数は百でも二百でも。もっと多くてもいいです」

「そんなに? 樽でポーションを作って、マイさんは大丈夫ですか?」

「私の魔力量ならいけると思います。それと、費用は私のダイヤを換金して使ってください。ダイヤは私が売りに行くよりヘンリーさんが売りに行ったほうが目立たないし。それもお願いできますか?」

「わかりました。俺が薬草と樽を買い集めます。効果を期待できない市販のポーションに薬草が使われてしまう前に、買い占めます」

「ポーションを売っている人に、迷惑がかかりますね……」

「マイさんは気にしなくていいです。効かないポーションに薬草を使われたら悲劇の始まりです。非常時なのですから、ポーションを売る人の利益よりも人命優先です。それにしても樽を百でも二百でも、ですか」

「ええ。ポーションは余ってもかまいません。足りないよりずっといいもの」


 ヘンリーさんがちょっと遠い目になった。

 

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