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85 ep.10 【祝い酒】◆

 佐々木リヨは仏壇を拭き清めていた。

 足元にじゃれついてくる白雪とソファーで眠っている夜太郎に聞かせるように独り言を言う。


「よし。拭き掃除はこれで終わり。絵里、博之さん、おはよう」

 そう言ったときだ。身体が揺れたような気がした。

「地震? 違うね。この感じ、魔力だ!」


 急いでテレビに目をやるが、テレビはニュースを流している。ブォンという聞きなれない音がして、仏壇の娘夫婦の写真の前に、真っ白に輝く球体が現れた。そしてマイの声がかなりの音量で流れてくる。


『おばあちゃん、今日は婚約式だったの』


 そこからマイの話が続く。球体は声に応じて棘が伸びたり縮んだりしている。リヨはひと言も聞き漏らすまいと、白いイガイガしたものを見つめた。

 唐突に始まったマイの声は、やがて『体に気をつけて長生きして。そしてやっぱり……会いたいよ』という言葉で終わった。


 リヨはその場に立ち尽くしていたが、夜太郎の「なああん」と鳴く声で我に返った。さっきまで寝ていたはずの夜太郎が、足元で仏壇を見上げている。


「夜太郎、お前も聞いたんだね」

「なああん」

「マイは婚約式だったんだって。ドレスを着たんだってさ。マイは背が高いから、さぞかし見栄えがしただろうね」

「なあん」


 そこで改めて娘夫婦の遺影を見た。


「絵里、博之さん。聞いた? マイは元気にやっているわ。私は婚約式でドレスを着ることさえ知らなかったけど、マイは着々とウェルノス王国に馴染んでる。今じゃきっと、私よりもあの国の暮らしに詳しいんだろうね。相手は筆頭文官様だってさ。千住のドラ猫は玉の輿に乗ったらしいよ」


 目尻に指を添えて涙を拭く。そして笑った。


「そのうちあの子も母親になるんだろうね。さぞかし子煩悩な母親になるよ。お相手は背の高いイケメンなんだってさ。マイの面食いは相変わらずだわ。あのときみたいに自分からグイグイ追いかけたんだろうか。あの男で懲りたんだから、それはないかね。お相手がマイの気立ての良さに気づいてくれたのならいいんだけどね」


 それから壁に飾ってあるマイの写真を見る。


「あれ以来、『二度と男なんか好きにならない』って言っていたのにね。ヘンリーさんがお前の心を溶かしてくれたんだろうか。筆頭文官様なら貴族なのかね。貴族のお嫁さんがどんなものか、私には想像がつかないよ。でも、惚れた相手のためなら、きっと頑張れるね」


 そっと笑顔の写真を撫で、それからエプロンのポケットからスマホを取り出した。野鳥観察会の仲間を呼び出すと、相手はすぐに出てくれた。


「美也子さん? リヨです。急で悪いんだけど、今夜空いてる? そう。よかった。じゃあ店を閉めてから晩酌に付き合ってくれる? 場所はどこでもいいんだけどさ、誰かと飲みたい気分なの。創作割烹? へえ、新しい店なのね? 区役所の近くか。いいわよ、行く。うん、うん。じゃあ、七時半にね。待ってる」


 電話を切って、自分の顔を両手で二回勢いよくパン! パン! と挟んだ。


「よし、祝い酒だ。今日はバリバリ働かなくちゃね。あっ! 手紙が届いたかどうか何も言ってなかったわね。今回もダメだったのかしら。ま、いいか。それより、今夜の祝い酒が楽しみだわ」


 リヨは店に下りてコーヒーを淹れた。店内にいい香りが立ち込めていく。淹れたてのコーヒーを飲んで、自分の手を見る。


「マイ、笑って、生きてるかい? 私はもう、歳だ。以前のようには魔力が戻らない。お前の声を楽しみに生きることにするよ」

 

短い話なんで、水曜だけど投稿。

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