83 仮縫い
ヘンリーさんに正式にプロポーズされた。
不安よりもヘンリーさんを選ぶと覚悟を決めて「わかりました。お受けします」と答えてから気づいた。ヘンリーさんの黒髪の間から三角の黒い耳がヒョコッと立ち上がっている。ヘンリーさんは気づいていないらしく、安堵の表情で脱力している。
「よかった。きっぱり断られる流れだと思った。マイさんは気性がさっぱりしているから、『面倒だからもう店に来るな』って言い渡されるのではとドキドキしました」
気弱か。
「そんなこと言いませんて」
「安心しました。では婚約式の前に、俺と一緒にルビーのピアスを買いに行きましょう」
「婚約式ってどんなことをするの? それとヘンリーさん、猫耳が生えていますけど気づいていませんよね?」
「耳? うわ、本当だ。マイさんの返事を待っている間、(断られるのかな)と思ったら全身がジリジリしたけど、耳か。まだ完全には変身を制御できていないんだな」
ヘンリーさんは目を閉じて深呼吸を始めた。心を落ち着かせるために軍医のなんとかって人を思い浮かべているのだろう。耳はすぐに引っ込んだ。
それからヘンリーさんがこの国の貴族の婚約について説明してくれた。
私はいったんどこかの貴族の家の養子になるだけでなく、婚約者としての期間を一年間置くのだとか。
理由は、結婚後に早産と思われたお産の結果、父親が明らかに相手の貴族ではなく、平民時代の二股相手だったという事件が過去に何度かあったかららしい。
「養母が婚約をとても急いでいるのです。『何をぐずぐずしているのか、マイさんに逃げられる』と、酷く心配していて。養母にあれほど怒られたのは初めてです」
コンスタンス様が急いでいる理由は察しがつく。もうすぐ二十六歳になる私の年齢だろう。この世界では十代で結婚し、最初の子を二十歳までに出産するのが『普通』とされている。それは店のお客さんたちからさんざん言われてきた。私は毎回へらへら笑ってやり過ごしてきたけれど、さすがにコンスタンス様にその手は使えまい。
私たちが一年後に結婚してすぐに子宝に恵まれたとしても、子が産まれるころには私が二十七歳。そんなに都合よく赤ちゃんを授かる場合ばかりでないことは重々承知だ。コンスタンス様は私の年齢を考慮して「早く早く」とヘンリーさんを急かしているのだろう。
たくさん産んでたくさん死んでしまうこの世界だもの、そう考えるのは自然だ。ましてヘンリーさんは半獣人だから、私との間に子ができにくい可能性がある。
コンスタンス様はそれも含め、母親として私たちを心配しているんだ。
「事情は分かりました。婚約式で私がすべきことはありますか?」
「特にはありません。強いて言えばマイさんがご機嫌でいてくれることくらいです」
思わず笑ってしまった。
「大丈夫。私はたいていご機嫌です」
「あなたを守ると言ったそばからこんな話で申し訳ないですが、婚約式は十日後の夜でいいですか? 我が家で我々と養父母、立会人とで婚約式を行いたいのです」
「服装はどのようにすれば?」
「マイさんのドレスは養母が準備してくれます。明日にでも屋敷で採寸しようと言っています。婚約式の立会人はベルゼン・ロード宰相です」
宰相ですと? いきなり大物登場じゃないか。ヘンリーさんは期待の星なんだね。これ、何かあっても他国へ逃げるなんて無理じゃろ。
「宰相からはたびたび結婚するように言われていたのですが、先日『結婚したい相手ができました』と言ったら『じゃあ立会人は私がやる』と言われてしまったのです。婚約式の立会人をしてもらったら、結婚式の立会人も宰相になります。事後報告で申し訳ない」
「立会人はどなたでもかまいませんよ。外堀はもう埋まっていたんですね」
「外堀?」
それには笑って答えなかった。
コンスタンス様による貴族の知識についての講義があるそう。週に一度、店を閉めてから夜に行われるらしい。道路の補修、魔法のレッスン、高魔力保有者捜しもある。忙しくなるね。
「どうぞこの先一生、俺が死ぬまでよろしくお願いします、マイさん」
ヘンリーさんは重い言葉をさらりと告げ、私の唇にチュッとして帰っていった。後ろ姿がすごく嬉しそうだ。私と結婚するのがそんなに嬉しい人、世界中探してもいないだろうなぁ。
翌日の夜、ハウラー家で採寸をした。ドレスショップの三人のお顔が妙に引きつっている。
「お嬢様、婚約式までには必ず間に合わせますので!」
「私どもが責任をもって間に合わせます。ご安心ください」
「絶対に間に合いますので!」
彼女たちの言葉で(こんな短期間で婚約式のドレスを仕上げるのは尋常じゃないんだね)と理解した。申し訳ないです。
一週間後。仮縫いで着たドレスは白に近いピンクだった。上半身がぴたりと身体に寄り添っていて、ウエストから下はふんわりと膨らんでいる。シンデレラのドレスみたい。
仮縫いに立ち会ったコンスタンス様が「きれいですよ。よく似合っています」と満足そうだ。
「ハウラー家当主の妻として、やっと肩の荷が下りました。ヘンリーが伴侶を見つけてくれて、私がどれほど嬉しいか……。マイさん。ヘンリーは不愛想だけど、心根の優しい子です」
「優しいですよね」
コンスタンス様は涙を浮かべている。私までちょっとうるっときた。
仮縫いを終え、ヘンリーさんとエドモンド宝飾店に向かった。イヤーカフを買ったあの店だ。私は仕事中も気にならないよう、揺れないタイプを選んだ。ヘンリーさんはルビーのついたカフスボタン。魔力を込めてあるイヤーカフは、今までどおり使うらしい。
「マイさんの魔力が込められているこのイヤーカフは、一生外さない」
ヘンリーさんを愛しいと思った。同じ歳だし頭がいいし背が高いししっかり者だけれど、(私が守ってあげるよ)と思ってしまう瞬間がよくある。
翌日、アルバート君たちに婚約が決まった話をしたら「今までなんで婚約してなかったんすか」と驚かれた。
「いろいろあって。身分も違うし」
「ああ、そうですよね。この店はどうするんですか?」
「続けます。この店は私の生き甲斐だもの。あなたたちが独り立ちするまで応援したいし」
「えっ。独り立ちですか。俺たちが?」
サンドル君とアルバート君が驚いている。
「そうよ。あなたたちにやる気があればの話だけど」
「あるに決まってます! でも、独立できるだけのお金が貯められるかな」
「奉仕労働が終われば賃金は役所ではなくあなたたちに払うんだもの。貯められます。というか貯めてください」
「うわあ、俺、すごくやる気が出た」
アルバート君はそう言うけれど、サンドル君は下を向いている。
「サンドル君は? 将来こういう店を構えるつもりはある?」
「独立なんて夢みたいなこと、ちょっと想像できないっす」
「夢じゃないって。あなたたち、料理と商売のセンスがあると思うもの。独立するときはヘンリーさんがお店選びの手助けをするって言っていたわよ。ヘンリーさんが了承する店なら、きっといい物件だと思うわ」
二人が涙ぐんでいる。そこで話が終わったと思ったのだが。アルバート君とサンドル君が互いに目配せをしてモジモジしている。
「どうしたの?」
「俺ら、どうしてもマイさんに確認したいことがあるんすけど。あの日からずっと、マイさんの魔法のことで気になっていることがあるんすよ」