前へ次へ   更新
8/79

8 結界魔法の練習と栗のパイ

 キリアス君はアップルパイをよほど気に入ったらしい。週に何度も来店してくれるが、毎回食後にアップルパイを食べて帰る。毎度毎度アップルパイで飽きないかと心配になった。


「次は違う具のパイをご用意しましょうか? 栗のパイはいかがでしょう」

「いいね。栗も好きだよ。じゃ、次はそれがいい」


 キリアス君は仲間を引き連れてご機嫌で帰った。一緒に来店する魔法使い集団の中で、キリアス君はどう見ても最年少だ。それでもリーダーなのは、それだけ魔法の腕がすごいってことかな。

 

 その日は食材を使い切ったから夕方には店じまいにして栗を買ってきた。

 栗のパイは一人分ずつの形にしよう。ついでに自分用に渋皮煮も作ろう。おばあちゃんが毎年作ってくれた贅沢なおやつ。


「栗は美味しいけど手間がかかるよねえ」と私が言うと、おばあちゃんは必ず「誰かのために手間をかける幸せってものがあるんだよ」と言っていた。

 会えなくなってから、こういう何気ない言葉のやり取りをやたらに思い出すよ。


 ゆでた栗を半分に切ってスプーンで取り出し、マッシャーで潰す。生クリームと牛乳と砂糖を混ぜてこねる。これだけでも十分美味しいけど、売り物にするには裏ごしが必須だ。裏ごしは根気と腕力。

 滑らかになったマロンクリームとカスタードクリームを二層にしてパイ生地で包んで焼き上げた。 


 調理器具は買ってきた鉄鍋に変換魔法をかけ、マッシャーや焼き菓子の型にしている。使い慣れた形のフライパン、炊飯用の鉄釜ももとは鉄鍋だ。鉄だから錆を防ぐための手間はかかるけど、使い慣れた器具があるのは心強い。

 

 パイを焼いている最中に鉄鍋を買いに行った時のことを思い出した。

 私、そのお店で「鉄鍋」って呼ばれていた。

「今日も鉄鍋来たよ」「鉄鍋また来たの?」「鉄鍋は何している人かね?」っていうヒソヒソ声、聞こえちゃったのよね。

 コンビニで毎日同じものを買っていると店員さんに陰でその商品名で呼ばれるって話を聞いたことがあるけれど、その話は本当だったよ。

 

 ランチに来てくれたヘンリーさんにパイの話をしたら、驚いた顔をされた。私は最近、ヘンリーさんの表情をだいぶ判読できるようになった。今微妙に目を見開いたのは、たぶん「びっくり」って意味だ。

 

「キリアス君、ここに通っているんですか?」

「ええ。気に入っていただけたようです」

「栗のパイ、今ありますか? あるなら食べたいです。それと、あるだけ全部お土産で買っていきます」


 ヘンリーさんは日替わりの『牛肉煮込み野菜あんかけ』を食べ終わったところだけど、栗のパイも「これは旨い」と唸りながら食べている。


「キリアス君は迷惑をかけていませんか?」

「迷惑なんて全く」


 ヘンリーさんの口調から、キリアス君がここに来るのをあまり望んでいないように感じた。キリアス君は子供っぽくてマイペースだけど、営業の妨げになるようなことはしないのに。そもそも最初はヘンリーさんが連れて来たのに。どういうことだろう。


 木箱を抱えて帰るヘンリーさんを見送ってから、結界魔法の練習を始めた。あれからずっと練習している。悔しいことに、私が張ると穴だらけになる。

 練習を始めてから知ったけど、結界は張った当人にはキラキラした透明の膜が見える。

 穴だらけの結界を繰り返し張っていると、少しずつ上達して穴が減ってくるのが何とも楽しい。


 

 

「やった! できた!」


 ついにキリアス君と同じような結界を張ることができた。

 キラキラ光る膜を指で押すと、少しの弾力とかなりの強度がある。どんなに指に力を入れても破れない。原材料無しでゴミも出ないラップを生み出したことに感動する。

 ん? 違う違う。ラップじゃなかった。結界だったよ。

 それにしても、お皿に結界を張ろうと思いつくキリアス君は、やっぱり天才だわ。


 回数を重ねるごとに手早く結界を張れるようになっていく。それも楽しい。そのうち全く失敗しなくなったので、段階を踏んで範囲を広げる練習をした。

 皿の上からテーブルの上全体へ。テーブルの上から店内の半分へ。店内の半分から店内全体へ。


 毎日魔法の練習で心地よい疲労感と達成感に満たされる。消すのは簡単。「消えろ」と心で念じるだけ。

 キリアス君は呪文を唱えていたけど、おばあちゃんの記憶の中には結界魔法の呪文が見つからない。張り方のイメージのみ。だから私は呪文なしで張っている。


「結界の強度はどのくらいなのかな」

 

 試しにテーブルの上にドーム状に結界を張り、ナイフで刺してみた。切れ味のいいナイフが跳ね返される。弾力のある手応えだけれど伸縮性が高いわけではなく、ナイフはテーブルに届かない。


「ほうほう」


 これ、防犯用品に使ったら最強なのでは? 自分の身体に結界を張ったら、強盗にナイフで襲われても余裕じゃない? 防弾ベストみたいに着膨れしないし。


「ステルス防犯ウエア爆誕では?」

 

 一人でニヤニヤして、また思った。通気性はどうだろう。

 テーブルにお皿を置き、火のついた薪を持ってきた。薪に少量の水をかけて火を消し、煙が出たところで薪を皿に置いた。素早くテーブルにドーム状の結界を張る。


「あらぁ」


 結界の中に煙が充満し、漏れてくる気配がない。ドームの中は煙で真っ白だ。自分に結界を張ったら襲われる前に酸欠で死ぬね。

 

 しばらく考えて、結界を張るときのイメージを変更した。

 さっきと同じように煙が出ている薪を置き、ドームの天井に煙突がついている形をイメージしてテーブルに結界を張った。煙は煙突からモクモクと出てくる。


「オーケーオーケー。完璧」


 この方式を私自身にも流用してみた。私の体表から五センチほど浮かした状態で結界を張る。ただし、頭頂部から三十センチほど上に煙突を伸ばして最後を閉じない。頭に太い煙突のついた宇宙服を着て歩いている感じ。


 超不細工だけど他人には見えないんだから気にしない。これで夜の独り歩きも安心だ。ナイフで襲われても怪我をしない。(私って才能あるぅ)と思ったが、翌日には高くなった鼻が折れた。


 

 次の日、キリアス君が一人で来店した。

 チーズ入りチキンオムライスを食べているキリアス君に、ウキウキと話しかけた。


「この前見せてもらった結界魔法って、すごいですね。あれを人間に使えば暴漢に襲われても怪我をしませんね」

「いや、普通の結界だと中の人が窒息するんだ。僕は細かい網目状に結界を張るけど、それができる人は少ないね」


 細かい網目? そんな難しい結界を張れるの? 


「僕も六歳の時にマイさんと同じことを言って魔法の先生に笑われたな」


 くっ!


「そうだ、ヘンリーさんが差し入れしてくれた栗のパイ、すごく美味しかった。魔法部で奪い合いになったよ。そしてマイさんに迷惑をかけるなって言われた。僕、迷惑なんかかけてないよね?」

「迷惑なことは全くありませんよ。パイ、喜んでいただけてよかったです」

「うちの連中の間でマイさんの評判がすごくいいよ。今度お出かけに誘いたいって言ってるヤツが何人もいる。美人で料理も上手だよねって」

「そうですか」

「誘いたいって言ってる男がたくさんいるんだってば」

「そうですか」

「嬉しくないの?」

「どうですかねえ」

 

 嬉しくはない。今、恋愛する気力がない。この世界の男性と出会うところから始めるとか、少しずつ親しくなるとか、手をつないだらそこからどうしたものかとか、考えるのがもう面倒くさいよ。

 それに、私の秘密を恋人に話せば妄想界の住人だと思われる。かと言って恋人に秘密を隠し続けるのもしんどそう。


「店を開いたばかりなので、店を潰さないように商売に専念しないと」

「それ、建前でしょ? この店、赤字にならなきゃいいやぐらいの気持ちで営業しているじゃないか」


「いるじゃないか」って確信した言い方に驚いた。ヘンリーさんもそんなこと言っていたけど、どこでそう思った?


「私は平凡な生まれ育ちの平民ですけど、どうしてそう思われたのでしょうね」


 キリアス君がスッとコップを持ち上げた。私が安物のガラスの花瓶から変換魔法で何個も作ったコップだ。


「一番目立つのは高価な薄手のコップ。全部きっちり同じ大きさで歪みも気泡もない。あとは一枚としてふちが欠けていない食器類。欠けたらすぐに捨てるんでしょ?」


 違います。欠けたり割れたりしたら変換魔法で作り直しているんです。


「売り切れたら閉店という収入への執着のなさ。テーブルや椅子もいい物を使っている」

「裕福な家の娘だったら、料理なんてできないのでは?」

「だからこその道楽なんでしょ? 本当は護衛が客として紛れ込んでいたり?」

「紛れ込んでいません。私は普通の家の娘です」

「ま、僕は美味しいものが食べられたら他はどうでもいいけどね」


 キリアス君はお会計をして帰っていった。

 コップだったか。そういや、ロミさんとこはほとんどがすずのカップか木製か陶器だ。少しずつコップを安物風に作り直そう。つい使い慣れたコップを作っていたわ。


 その夜、酒場ロミに行くときに結界魔法で自分を包んで出かけてみた。私の体表から五センチほど浮かして張った、煙突つき宇宙服型結界。


 猫たちは顔を見せてくれたけど、遠巻きに見ているだけで一匹も寄ってこない。私から近寄ろうとしたら、猛烈な勢いで逃げられた。

 

 どうやら猫には結界が見えるらしい。

 前へ次へ 目次  更新