79 ヘンリーさんのへの字口
おばあちゃんに伝文魔法を送ってから数日が過ぎた。
私の声が届いたかどうかは不明。「手応えはあったのか?」とグリド先生に聞かれたけれど、初心者の私には手応えなんてわからない。
「全力で放ちましたが、どうですかね。実は、魔法を放った時、隣にいたヘンリーさんが内臓をつかまれたような感じがしたそうです。冷や汗をかいていたんですよ。申し訳ないことをしました」
「それは気の毒に。マイの全力か。さぞかしあちらには大声が届いたのではないかなあ」
グリド先生は「マイはまだ、持っている魔力の多さを扱いかねているのだな」と苦笑している。
伝文魔法の結果がわからないまま五月になった。酒場のロミさんによると、王都が一番美しい季節だそうだ。王都の家々の窓辺には花が咲いた鉢植えが飾られ、道行く人の目を楽しませている。
私がこの世界に来て、そろそろ一年だ。今ではすっかりこの世界の暮らしに馴染んだ。
スコールズ伯爵家に運ばれた肉団子とロールケーキは好評だったそうで、新たな注文が入った。今度はパトリシア嬢を囲む十代のご令息ご令嬢を集めた茶会だそうな。
そういうことならと、立食向きでありつつ食べ応えのある料理を提案した。依頼では卵をたくさん使ってほしいとのこと。卵はかなりの贅沢食材だものね。豊かな財政を誇示するってことかな。
今月から『隠れ家』を手伝ってくれている若者二人の将来を見据えて、小さなバーガー各種も宣伝を兼ねてメニューに入れた。
ロールケーキはイチゴを巻き込んで上にもイチゴを飾った。なかなかおしゃれな仕上がりだと思う。
新しいメニューは好評だったらしい。他の貴族から何件も「あれと同じものを」とハウラー家に注文が入ったそうだ。レシピは私の手柄ではなく、あちらの世界のたくさんの料理人さんたちのお力だけれど、喜ばれたなら私も嬉しい。
コンスタンス様は「マイさんのおかげでハウラー家の料理が話題になっているのよ。ありがとう」とおっしゃってくれた。
私の店も順調だ。持ち帰りのハンバーガーとホットドッグは注文が相次いでいる。アルバート君とサンドル君には、いずれは私が知っている料理を全部教えたい。二人が望むなら自分の店を構えるところまで応援したい。
アルバート君は王都の地理に詳しくて、配達先を探して迷うことがない。そのアルバート君に聞いて詳細な地図を作ることができた。おかげで高魔力保有者捜しを効率的に進められている。
一方、元リーダーのサンドル君は料理が楽しいらしい。
「俺、昼にこの店の賄いを食べられるのがすごく楽しみです。お客さんに料理を喜ばれるのもいい気分です。家に帰ってから教わった料理を作るんですけど、うちの家族は肉の方の持ち帰りランチが大好物なんですよ。今まで建築の仕事か高い場所の掃除しかやったことなかったけど、俺、料理を作る仕事が好きです」
気づけばサンドル君の表情から刺々しさが消えていて、気のいいお兄ちゃんになってきている。
「おうちで後片付けもやっている?」
「もちろんです。マイさんに『料理は台所が片付くまでが料理だから』って言われて、うちの母ちゃんがそれをずっと一人でやってたんだなって気づきました。母ちゃんに『いつも料理や後片付けをしてくれてありがとうな。これからは俺も片付けをするよ』って言ったら、嬉しいって涙ぐんだんですよ。俺、びっくりしました」
彼らを酷使していたリドリック商会は、いったん商売を停止させられた。リドリックは服役中だ。当分牢から出られないらしい。リドリック商会は名前を変えて、別の人が引き継ぐ形で再出発した。新しい商会はかつての顧客を引き継ぎ、残っている従業員の生活に影響はほぼないらしい。
「法務部付きのハリソンさんが思いのほか熱心に働いたんです。彼は案外いい人かもしれません」
「私、悪い人じゃないって何回も言ったのに」
「おや、そうでしたっけ?」
「ヘンリーさんの記憶力で忘れるわけないでしょう」
ヘンリーさんは「そうだったかなあ」などととぼけている。
その夜、グリド先生がサラさんを伴ってやってきた。
「リヨルから手紙が届いたのだ」
「えっ!」
差し出された手紙からは、おばあちゃんが愛用していたローズゼラニウムの香りがする。香りが涙腺を刺激して涙がパタパタと音を立てて落ちた。
「先生とサラさんへの感謝の言葉が……」
「私たちはもう読んだ。マイは落ち着いて読みなさい」
「はい、はい」
すすり泣きしながら手紙を読んだが、『グリドさんとサラさんがいたから私は心を死なせることなく生きていられたのです』の箇所で目が止まった。
(どういうこと?)
「先生、これって?」とその個所を読み上げた。先生とサラさんが同時に視線を逸らした。
「グリド先生、私はこれまで聞きたくないと思っていましたが、祖母に何があったのか教えてもらえますか? こうして手紙に書いて送ってきた以上、おばあちゃんは私が知りたがることを承知の上だと思うんです」
「それは話さないとヘンリーに約束したのだよ」
「ヘンリーさんは知っているのですね? ではヘンリーさんに確認を取りますので」
イヤーカフを経由して伝文魔法を放った。仕事中のヘンリーさんは「それを聞けばあなたは苦しむでしょう。それでもいいのなら、マイさんが決めることです」と返してくれた。
私が傷つくことはいい。おばあちゃんはきっと、今の私なら知ってもいいと判断して書いたのだ。
「先生、おばあちゃんのことを教えてください。お願いします」
「聞いたら苦しむぞ」
「かまいません」
グリド先生が語ってくれた内容の残酷さは、私の想像をはるかに超えていた。生まれて初めて誰かに仕返ししたいと思った。
そんな私をグリド先生が心配そうに見ている。そうだ、暗黒魔法は憎しみを必要として、やがてその魔法使いをのみ込んでしまうんだった。
「先生、私の大切なおばあちゃんを助けてくださってありがとうございます」
「私はお礼を言われる立場にないのだよ」
「いいえ。本当にありがとうございます。祖母のことがあったから、グリド先生は貧しい家の高魔力保有者を捜していたのですね」
私を慰めて二人が帰り、一人になった。私は考え込んでいる。電波ジャックしていたことも大変にショックだったが、グリド先生がおばあちゃんを酷使した人の名を言わなかったことが気になった。言わないのではなく言えないのだろう。おそらく今も強い力を持っている家なのだ。
おばあちゃんにポーションを作らせ続けた人は、もう生きてはいないはず。今、生き残って幸せに暮らしているのはおばあちゃんだ。それでいい。腹の底から湧き上がりそうになる憎しみは消えていないけれど、それに支配されたりしない。おばあちゃんは復讐を望むような人じゃないもの。
ドアがノックされた。玄関ドアの向こうに背の高いシルエットが見える。私はドアを開けるなりヘンリーさんに抱きついた。ヘンリーさんがしっかりと抱きしめてくれる。
「大丈夫ですか? 連絡を貰ってから、ずっと心配していました」
「一人でいるのが寂しかっただけです」
「もう大丈夫。俺がいます」
ドアの内側でしばらくヘンリーさんの胸に顔を埋めてじっとしていた。
今までこの人にどれだけ慰められ励まされてきただろう。感謝は思ったときに言葉にして伝えなくては。またいつかなんて思っているうちに、人生は終わってしまう。
「ヘンリーさん、この前コンスタンス様とお話したときのことで、言ってなかったことがあるの」
「なんだろう。聞かせてくれるんですか?」
「コンスタンス様に『どうかヘンリーをよろしくお願いします』と言われたので『全力で大切にいたします』と答えました。そのとき心の中で『一生をかけて』という言葉を付け足しました。それでいいんですよね?」
「えっ?」
あれ? なんで驚くの? 私たちって恋人よね? 共に人生を歩むと思っているのは、私だけだった?
ヘンリーさんは口をへの字にして怒ったような顔で私を見ている。あれ? あれ?
「もしかして私、壮大な勘違いをしていました? だったら……だったら大変失礼いたしましたっ!」
思わずヘンリーさんから離れようとしたのだけれど、ヘンリーさんの腕はびくともしない。
「勘違いじゃありません。でもそれ、俺から言いたかった。素敵な場所と雰囲気の中で、贈り物を渡しながら伝えようと思っていたのに。出入り口で立ったまま、話のついでにツルッと言うなんて……あんまりだ」
「そ、そうだったのね。ヘンリーさんは現実主義者なんだとばかり……。ごめんなさい。本当にごめんね?」
本気で謝ったけれど、ヘンリーさんは恨めしそうな顔だ。
「はぁ。言われてしまったものはもう仕方ないです。俺、前にも言いましたよ。俺はマイさんを手放すつもりはないって。もちろん一生手放さないって意味ですからね」
「それはもう十分に……承知しています」
「あともうひとつ。耳の先から尻尾の先まで、俺は全部マイさんのものですから。ちゃんと受け取ってくださいね」
こんな時だけ猫として語りかけてくるのか!
「ヘンリーさん、今のはずるい」
「ふふ。黒猫にそんなこと言われたら断れないでしょ?」
そう言ってヘンリーさんは、私と唇を重ねた。
=====2章終わり=====
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
3章ではマイちゃんが魔法使いとしてさらなる成長を見せます。ヘンリーさん、ソフィアちゃんの活躍、獣人さんたちとの交流、解決されていなかったあれこれの結末も書く予定です。
今度こそしばらく(月単位で)お休みです。
ブクマはどうぞそのままで。ついでに下の★★★★★で評価していただけるとソフィアちゃんの穴掘りがはかどります。
3章でまたお会いしましょう。 守雨
穴掘りで疲れたソフィアちゃんをどうぞ。