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77 ブラックホールのような

 スコールズ伯爵家にはハウラー家から「申し訳ないがレシピと道具は渡せない。ハウラー子爵家の料理人が『隠れ家』のレシピで料理を提供することはできる」と返事をした。スコールズ家はあっさり了承したそうだ。

 ヘンリーさんは「当然です。そこでごねたら笑われるのはあちらですから」と言う。


 休息の日の前の夜。ハウラー家からは料理人が四名やってきた。

 料理人さんたちには、まず肉団子の煮込みを食べてもらった。


「これは驚きました。伯爵家のご令嬢が食べたがるのも無理はありません。包丁で叩いたのではここまで柔らかくきめ細かい食感にはなりませんから。何か特別な道具を?」

「ええ、厨房に置いてあります。私の祖母が愛用していたのと同じ道具です」


 料理人さんたちがそわそわし始めた。見たくてたまらないらしい。


「どうぞ。中の構造と分解の手順、手入れの方法などを説明します。今日の帰りには同じものを二台お持ち帰りください。差し上げます」

「ありがたいです。新しい料理がいろいろ作れそうです」

「これで細かくした肉があれば、私が知っているだけでも数十種類は作れます。ぜひ活用してください」


 今日は基本の肉団子とハンバーグ。それに添えるトマトソース、ブラウンソースの二種類。ロールケーキはホイップクリームだけの物、ホイップクリームと季節の果物で飾ったものの二種類を見本に用意した。泡だて器も人数分用意してある。


 ヘンリーさんによると、料理人さんたちはコンスタンス様から「ヘンリーが大切にしている女性だから、くれぐれも失礼のないように」と言い含められているそうだ。どうりで(この人が坊ちゃんの恋人ですか)みたいな視線をチラッと向けられたわけですね。でも全然嫌な視線じゃなかった。


 実際に料理を作ってもらったら、大きな失敗もなくハンバーグと肉団子、ロールケーキが出来上がった。生クリームの搾り出し袋は紙で作った。口金くちがねは私が魔法で三種類を用意しておいた。

 出来上がった料理を今ここで試食してもらおうと思っていたのだけど、全員「お屋敷に持ち帰って他の料理人にも食べさせたい」と言う。急いで持ち帰り用の木箱を作った。

 帰りには鉄製のミンチ機も馬車に運び込んで、料理人さんたちはホクホクして帰った。


 仕事を終えたヘンリーさんが途中から店の隅で様子を見ていた。料理人さんたちは帰り際「坊ちゃん、ありがとうございました」「ヘンリー坊ちゃま、たまにはお屋敷に食べに来てくださいよ」「坊ちゃん、さすがです!」と声をかけていった。

「さすがです」と言われた時にヘンリーさんが「そうだろう?」と楽しそうに笑い、その笑顔を見てみんな一瞬驚いていた。


「マイさんお疲れ様。夜遅くまで働かせて悪かったね」

「いえいえ。楽しかったです。私が作った料理が残っていますから、今夜はここで夕食にしましょう」


 そこからは二人でワインを飲みながらおしゃべりをした。「坊ちゃんさすがです」を話題にして二人で笑い合った。


「マイさんは自慢の恋人ですから、あのくらいの誉め言葉は当然です」

「私はきまり悪くて、どこを向いていればいいのかわかりませんでした」


 料理を食べ終わり、ワインだけになった。


「あのね、祖母が私のことを心配していると思うんです。今ならどうにかして無事を知らせられるんじゃないかと思うのですが、ずっと考えていてもどうやったらいいのかわからなくて」

「グリド先生に聞けばいいじゃないですか」

「そうなんですけど、『おばあちゃんの昔の話を聞きたくない』と伝えてあるのに、自分が知りたいことだけは聞くのって、ずるくないですかね」

「大丈夫。魔法のことなら喜んで教えてくれますよ」


 ヘンリーさんの言葉に励まされ、レッスン日に正直に聞いてみた。「魔法を使って、祖母に無事を知らせたい」と。すると先生は私の顔をジッと見つめた。私の中に何かを探っている感じ。


「無事を知らせるだけなら、伝文魔法を試したらどうかね」

「でも、私がいた場所がどこにあるのかわからなくて」


 するとグリド先生が優しく笑った。


「何度も言っているだろう。魔法は強く思い描くことが大切だ。私はマイがいた世界を思い描けないが、君ならできるだろう? その世界にいるリヨルを思い描きながら伝文魔法を放ってみたまえ。リヨルの声が返ってくるかどうかはわからん。伝文魔法がリヨルのいるところまで届くかどうかもわからん。だが、まずは試すことだ。私に言えるのはそれだけだよ」

「私の側からだけの伝文魔法になるのですね?」

「おや、ひよっこさんは不満かい?」


 グリド先生が苦笑する。


「魔法を使い始めてまだ一年もたっていないのに、マイは城の魔法使いができることは何でもできる。その上伝文魔法も感知魔法も変換魔法も使えるのだぞ? 伝文魔法にしておきなさい。マイにはまだ瞬間移動の魔法陣は教えられない。危険すぎる」

「そうですか……」

「駆け出し魔法使いのマイが、果たしてその膨大な魔力を制御できているかどうかと言えば……私は極めて怪しいと思っている。魔力の量が量だけに、失敗すれば魔力を注いで起動した魔法陣にいきなり吸い込まれるかもしれん。最悪の場合、家や土地ごと吸い込まれる可能性もあると思っている」


 魔法陣の話ですよね? ブラックホールの話じゃないよね?


「マイ、お前はこの大陸でも一、二を争うほどの魔力持ちだという自覚を持て」

「大陸で一、二? 先生、そんなこと初めて言われましたよ?」

「調子に乗らぬよう、言ってなかったからな」

「大陸はいくつあるのでしょう」

「なんだ、知らんのか。巨大な新大陸と、それよりやや狭いと言われる古大陸の二つのみだ」


 火山があるからプレートの移動もありそうなのに、二つだけか。


「では新大陸には国がいくつあるのでしょう」

「まずは最大のこのウェルノス王国、東の隣国はオースノウ王国、北には二つの国にまたがったノルエスト王国。ノルエスト王国のさらに北には小国が十数国」


 ざっくりとわかった。詳しいことはヘンリーさんに教えてもらおう。


「リヨルが考えた魔法陣は、高魔力保有者が自分の力を制御できる状態でのみ、使えるものと考えてほしい。そして制御できたはずのリヨルでさえ失敗した。たとえ手紙一枚であっても、リヨルが考え出した魔法陣を、今のマイには教えられない。伝文魔法にしておきなさい」

「はい」


 その後は治癒魔法について指導書を使って教わったけれど、完全にダメだった。治癒魔法も変換魔法と同じように使い手を選ぶ魔法だそうだ。おばあちゃんも治癒魔法に向いていなかったらしい。おばあちゃんに貰った知識にないはずだ。


 お茶を飲みながらの雑談になり、私がハウラー家の料理人に料理を教えること、道具を作って渡したことを話した。


「キリアスの婚約者はスコールズ伯爵家の娘だったか。それはヘンリーの養母の言うことが正しい。マイは距離を取っておくほうが安全だ。キリアスの家は油断ならん」

「そんなにですか」

「キリアスは腹黒くはない。そして大変に優秀な魔法使いだ。キリアスの家がその娘を選んだのは、スコールズ伯爵家がかなり昔に高名な魔法使いを輩出した家だからだろうな」


 あれ? コンスタンス様から聞いた話と違う。


「コンスタンス様は王家派かそうでないかの視点でお話をしてくださいましたが」

「それもある。貴族の派閥についてはヘンリーに聞くといい。マイ、偉大な魔法使いは、強大な軍隊を一人で滅ぼせる存在なのだ」

「うえっ?」

「品のない声を出すな。だからマイが国王派であるハウラー家の息子と親しくなったのは、この国にとって大きな幸運だと思っている。今の国王は穏健派だ」

「そうだったのですね」


 ヘンリーさんがゆっくり一度うなずいた。そして私に向かって意外なことを言う。


「軍を活躍させたいと願っている人より先に、俺がマイさんと出会った。それは俺にとって幸運なだけでなく、この国にとっても幸運だったと思っています」


 場の空気が重くなったから、話を変えようと思った。カーテンを引いてもなお、室内まで明るくしている彗星の話がいい。


「先生、もうすぐ彗星が一番この惑星に近づきますね」

「そうだな。そう言えばリヨルが消えた日は、あのほうき星が一番大きく見える日だったな」


 話しかけられたサラさんが何度も小さくうなずいた。


「はい。数日前から人々がほうき星見物で騒いでいましたね」

「そんな日が近いときにマイが手紙をリヨルに送りたいと言い出した。不思議なものだな」


 そうだったんだ。おばあちゃんはあの彗星が一番近づいた日に、あっちの世界に飛んだのか。


「先生、では私はほうき星が一番近づく日を待って、伝文魔法を放ってみます。験担ぎですけれど、もしかしたら祖母に私の声を届けられるかもしれません」

「そうしなさい。伝文魔法なら安全だし、失敗しても誰にも迷惑はかけないからな」

「そうします」


 先生たちが帰る時にお土産として肉団子とロールケーキを渡した。受け取ったサラさんは「これ、私も旦那様も大好きなんですよ」と目を細くして喜んでくれた。

 私は彗星が一番近づく四月二十日に向けて、それから毎日伝文魔法を練習している。

  

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