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71 瞬間移動の根幹 

 今日は魔法のレッスン日。グリド先生とサラさんは今、私の話を聞きながら夕食にシーフードリゾットを食べ終えたところだ。


 挿絵(By みてみん)


「猿型と犬型の集団の戦いか。それは私も見たかったな。さぞ迫力があっただろう」

「ええ、とても。特に犬型獣人たちの動きに……」


 惚れ惚れしましたと言いかけて隣のヘンリーさんを見ると、澄まし顔だ。私の視線に気がついたはずなのにサラさんに向かって「チーズが入るとコクが出ますね」などと言っている。

 染色場の話のあとは王国法に関する話題も出た。グリド先生が嬉しそうだ。


「一般人と獣人が互いに相手を受け入れ合って共存し、平和に暮らすことを願うばかりだよ。それで、その若者たちの処遇はどうなるのかね」

「前例から判断すると半年から一年ほどの奉仕労働が課せられると思います。警備隊からの申し添え書には『人的被害はなかったこと、家族を置いて逃走する危険がなさそうなので、市中において奉仕労働が望ましい』とありました」

「猿型の若者は身体能力が高そうだ。どうだ、マイ。彼らを奉仕労働で雇っては」


 奉仕労働という言葉に馴染みがなかったので説明してもらった。

 ヘンリーさんによると人的被害がなく、弁償することができる犯罪の場合の刑罰らしい。奉仕だから賃金は出ないが、その後の社会復帰の足掛かりになる職場が望ましいということだった。


「持ち帰りランチが好評なので、厨房の手伝いと配達を引き受けてもらったら助かります」

「では私の方から担当の文官に声をかけます。書類を書く必要はありますが、マイさんが申し出たら歓迎されますよ。ハリソンが法務部の文官なので、彼に声をかけておきましょう」

「ありがとうございます」


 猿型獣人の話はそこで終わり、グリド先生に「貧しい家の高魔力保有者を探して援助したい」と伝えた。するとグリド先生とサラさんが驚きながら賛成してくれた。二人とも目が潤んでいる。


「そうか。マイがそれを引き継いでくれるか。ありがとう」

「マイさんたら……」


 この前はヘンリーさんも泣いてた。この三人が涙するということは、もしかしておばあちゃんが高魔力保有者としてなんらかの被害を受けたのではないだろうか。もしそうなら、いっそうこの役目を引き受けたい。


「グリド先生は高魔力を持つ子供を何人見つけましたか?」

「そこそこの魔力持ちなら結構見つけたが、飛び抜けて高い量の魔力を持っていたのは一人だけだった。王都だけに限って言えば、そんなものだよ。その子は城の魔法部には就職せず、親が住んでいる田舎に引っ越して活躍しているはずだ」 

「一人だけでしたか……。では気長に感知魔法で捜し続けます。それと、今日はもうひとつ教えていただきたいことがあります。変換魔法を使うと、少しだけ物が移動します。この移動距離を広げていけば、変換魔法を使って物を別の場所に送ることができるのでは、と考えているのですが」


 それは私が最近毎晩実験していることだ。

 皮を剥いたどんぐりは、私が移したいと願った隣のお皿の上に現れる。ジンジャエールを作ればショウガは離れた場所の瓶に入る。


「イメージが魔法を成功させる鍵ならば、物を移動させることに意識を集中したら、もっと距離を延ばせるのではないかと思いますが、それは正しいでしょうか」

 

 私の質問を聞いたとたん、上機嫌だったグリド先生のお顔から笑みがスッと消えた。サラさんはカップに視線を移した。ヘンリーさんは壁の上の方を眺めながら自分の唇を指先でゆっくりなぞり始める。全員が無言になってしまった。


「祖母は変換魔法を使ってこの世界から私がいた世界に飛んだのではありませんか?」


 返事を待っているのに返事がない。おそらく当たりなのだ。そしてグリド先生は、私にそれを試させたくないと思っているらしい。それをこの空気と三人の表情が語っている。

 ヘンリーさんが完璧な無表情で私に尋ねる。


「どうしてそう思ったのですか?」

「思いついたのはどんぐりからです。私、変換魔法は物を移動させられると気づいてから、毎日実験していたの」

「どんな実験でしょう」


 ヘンリーさんの顔と声が緊張している。


「テーブルの上に薪を置いて変換魔法を放ち、最初は木のお皿を隣のテーブルに出しました。次は二つ先のテーブルへ。三つ先のテーブルの次は、階段の下段へ。下段から二階の廊下へ。練習を重ねた結果、今では店のテーブルから裏庭の端、高い塀の前までは問題なく移動させられるようになりました」

「なんと……。マイはそれを一人で考え出したのか」


 気づいたのは、ヘンリーさんが皮を剝いたどんぐりが移動していることに驚いたことだった。でも、今それを言いにくい。


「しばらく前、俺は変換魔法でどんぐりが移動していることに驚きましたね。あれがきっかけになったのですか?」

「ええ……」

「そうでしたか。俺がきっかけを作ってしまったんですね」

「ヘンリーさん、私、元の世界に帰りたくて実験したわけじゃないですよ?」

「だったらなぜ、そんな実験を?」

「せめて手紙を送れないかなと思って」


 サラさんが「手紙」とつぶやいた。ヘンリーさんを含め、三人は目に見えてホッとしている。


「私、ヘンリーさんに祖母の過去を知りたいかと聞かれたときに、知りたくないと答えました。祖母が私に話そうとしなかったことなら聞きたくなかったからです。でも、魔法使いとして腕を上げようと決めた以上、得意な変換魔法を極めたいのです。だからグリド先生、そこだけ答えを聞かせてください。祖母は、変換魔法を使って世界を飛び越えたのではありませんか?」


 グリド先生がヘンリーさんを見た。ヘンリーさんがうなずいた。


「さすがはリヨルの孫だな。そのとおりだ。リヨルは変換魔法を核に使って移動した。ただ、世界を超えてしまったのは失敗したからだ」

「失敗?」

「そうだ。室内を少しだけ移動するはずが、消えてしまったのだ。リヨルは失敗したが、大変な幸運で別の世界に無事にたどり着き、生き延びた。なぜ失敗したのか、私にはわからない。マイ、君はそれを試さないと私に誓ってくれないか」

「誓います。新米魔法使いの私が世界を飛び越えられるとは思っていません。それに、私はこの世界で生きていくと決めましたので」


 三人が安堵のため息をつく。


「それなら安心して変換魔法の話をしよう。君の祖母、リヨルは高魔力持ちの天才だった。たった一人で瞬間移動魔法理論を完成させたのだ」

「そうだったんですね」

「変換魔法を根幹にした瞬間移動魔法は、ただ変換後に現れる場所を遠くしただけではない。一人の魔法使いが人間を運べる距離には限界があるからな。リヨルが天才だったのは……」


 グリド先生が続きを言い淀んだ。続きを知りたいはずなのに、急に怖くなった。


「自分の肉体を自分に変換させる手法を思いついたところだ」


 サラさんはうつむいたまま。ヘンリーさんの口から「ヒュッ」と空気を吸い込む音がした。


「ああ……なるほど。そういうことでしたか。だから私の身体から腫瘍が消えたのですね」

「マイさん?」


 思わず立ち上がってしまった私の腕に、ヘンリーさんがそっと手を伸ばした。私がなぜ興奮しているのか、ヘンリーさんにわかりやすく説明しなくては。


「変換魔法でどんぐりの皮を剝き、中に入り込んでいる虫を取り除いたでしょう? 私の腫瘍が消えたのも同じ理屈でしょうね。祖母は私の体内から、腫瘍や血液に流れ込んだ腫瘍のかけらまでも取り除くように思い描きながら私を変換したんだと思います」


 グリド先生は小さく何度もうなずいている。正解らしい。

 

「私は移動する距離だけに注目していたのですが、おばあちゃんは距離だけでなく、時間差にも注目したんじゃないでしょうか」

「そうだ。驚いたよ。よくそこに気づいたな」

「時間差? マイさん、俺にもわかるように説明してくれますか?」

「変換魔法って、何に変換するかによって、わずかに時間差が生まれるんです。でも、私はその時間差を、『そういうものなんだな』と見逃していました。おばあちゃんはそこに注目したんだと思います」

「マイ、その時間差こそが、リヨルの理論のかなめだったよ」


どんぐりのくだりは50話です。

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