7 キリアス君の来店
ヘンリーさんが若い男の子と二人でご来店。これは初めてのこと。
私は(昨夜はお世話になりました)という気持ちを込めてヘンリーさんに会釈した。
「今日は知り合いを連れてきました」
「ようこそ隠れ家へ。お好きな席にどうぞ」
男の子に笑顔で挨拶をした。
男の子は「どうも」とだけ言って店の中を見回している。
ウエーブのある金色の髪を長く伸ばし、紐でひとつに縛っている。瞳は青く、中性的な綺麗な顔立ち。年齢がよくわからない。一見可愛い十代の少年に見えるけど、どこか大人びている感じ。
二人はテーブル席に座った。私が水を運ぼうと厨房に戻ると、男の子の声が聞こえた。
「ここ、本当に美味しいんですか? 店主が小娘じゃないですか」
「キリアス君、失礼な物言いはやめてください。それと声を小さくしましょうね。ここの料理は本当に美味しいですよ」
「ヘンリーさんは週に何回来ているの?」
毎日来てますよと思いながら聞いていると、ヘンリーさんが若干恥ずかしそうな顔になって声を小さくした。
「私は週に六回通っています。できれば夕食もここで食べたいのですが、仕事が遅れるから我慢して昼だけにしています」
「へえ。そうなんだ? 毎日ってこと? すごいお気に入りなんだね!」
男の子の声が大きくて丸聞こえだ。ヘンリーさんがチラリとこちらを見たから、にっこりしておく。普段は無表情なヘンリーさんが顔を赤くした。毎日通っているのが恥ずかしくなる気持ち、わかりますよ!
「キリアス君、ここのカツ丼は美味しいよ。日替わりもある」
「ヘンリーさんのお薦めがカツ丼なの? ふうん。じゃあ僕はそれで」
「マイさん、日替わりとカツ丼をお願いします」
「かしこまりました」
テーブルに水を入れたコップを二つテーブルに置いて厨房に戻る。そんな私をキリアス君がずっと目で追っている。
キリアス君よ。君は「他人をジロジロ見るのは失礼ですよ」と親に教わらなかったのかね。それに、君がぐしゃぐしゃに脱いだコートを、ヘンリーさんがきちんと畳んでくれているよ。
キリアス君は私が調理を始めると、やっと視線を外してくれた。ヘンリーさんが小声でキリアス君に何かを話している。途中でキリアス君が大きな声で遮った。
「やっぱりその条件はおかしいよ。減らされた三割分を取り戻したかったら、僕らはポーションを大量に作って納めなきゃならないし、公共工事の手伝いもしなきゃならない。もしかしたら増やされる仕事は他にもあるんじゃないの? そんなに働いていたら、魔法の研究ができないよ! そもそもそれ、予算を取り戻すんじゃなくて働いた対価を貰うだけだし!」
「キリアス君、この件に関しては全員が満足する正解などないのですよ」
聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような口調だ。頑張れ、ヘンリーさん。
「国は大金を無駄にしたし、軍はあの人を探すのに延べ人数で万を超える人を出しました。私たち文官だって、本来の業務の他にやたら時間を取られています。誰かが責任を負わなきゃならないんです。君たち魔法部の人間がこの事件を引き起こしたのですから、部下であろうと君たちも何かしらの責任は取らなきゃならならないんです」
「かーっ! 相変わらずの優等生! さすがは筆頭文官サマ!」
へえ、ヘンリーさんて筆頭文官なんだ? 確かに優秀そうだものね。
私は聞こえていないふりをしながらカツ丼と日替わりのカツサンドを作っている。
すでに炊いてあるご飯を温めるのに、最近は魔法で温めていた。だが今は蒸し器で温め直している。だってキリアス君は魔法使いらしいもの。見えない場所でも私の魔法に感づかれるかもしれない。
魔法を使えることをキリアス君にもヘンリーさんにも知られたくない。知られていいことはない気がする。
カツを油に入れてジュワワという音がすると、二人の会話が止まった。キリアス君がやってきて、カウンター越しに私の手元を覗き込んだ。
「へえ。揚げ物? いい匂いだな。それ、豚の脂じゃないよね? 匂いが違う。何の油を使っているの?」
「商売上の秘密です」
「ふうん」
使っているのは米油で、私が知る限り王都では出回っていない。今使っている米油を魔法で取り出したのは一ヶ月以上前。昨夜取り出したのを使わなくてよかった。どうだろう、一ヶ月前の物でも魔法を使ったかどうかわかるものだろうか。ヘンリーさんがテーブル席からちょっと険しい声を出した。
「キリアス君、マイさんの仕事の邪魔になります。こっちに戻ってください」
キリアス君が戻っていった。
カツサンドにはマスタードソースと中濃ソースを塗り、葉野菜を挟んでから三等分して皿に盛り付けた。中濃ソースとマスタードソースも店を始めたころに変換魔法で自作したものだ。
カツ丼用のごはんがアツアツに蒸し上がったので深皿に盛り付ける。同時進行で煮ていた玉ねぎと醤油味の煮汁にアツアツのカツを入れ、とき卵を回しかけて蓋をした。この国の人たちは半熟の卵を嫌うから、きっちり火を通してから白米の上にのせた。
カツ丼には小鉢で温野菜を添え、カツサンドにはポテトサラダと温野菜を少しずつ皿に添える。どちらにもコンソメスープをつけてトレイに載せ、カウンターに置いた。
「運びます」
「あら、ありがとうございます」
カウンターに料理を置くと同時にヘンリーさんが来て料理を運んでくれた。無表情だけど気が利く優しい人だ。
二人が食事を始め、キリアス君がスプーンでカツ丼を口に運ぶ。鍋を洗いながらさりげなく見ていると、ひと口食べてから目を丸くしてヘンリーさんを見ている。
美味しいでしょう? みんな初めて食べたときに驚くんですよ。
ヘンリーさんもカツサンドを食べ始めた。こちらはもう何度目かのカツサンドだから落ち着いて食べ進めている。
「カツ丼、美味しいでしょう?」
「すごく美味しいよ!」
「よかった。あのね、キリアス君は声が大きいと自覚した方がいい」
キリアス君は「そう? 僕の声、大きい?」と自覚がない様子。そして私の方を見た。
「お嬢さん、これ、すごく美味しいよ! 最高! 驚いた! 肉は豚肉だよね? こんなに美味しい豚肉料理、初めて食べるよ!」
「ありがとうございます」
喜んでもらえてよかった。それにしても私を小娘とかお嬢さんとか。君は何歳なのかね。
「ヘンリーさん、その白いのは何? ポテトサラダ? 食べてみたい。ひと口ちょうだい。味見したい。わっ、なにこれ美味しい! 残りも全部ちょうだい。ダメなの? なんで? えええ。案外ケチだね」
二人が食べ終わったのを見計らってお茶を出した。キリアス君には熱いお茶。ヘンリーさんには飲み頃の温度のお茶。
二人はまた仕事の話を始めて、キリアス君が不満を言ってヘンリーさんが宥めて諭すのを繰り返している。どうやらヘンリーさんは若手と上司の間に挟まって苦労する中間管理職的な立場みたい。
話を聞いていて驚いたのは、少年みたいなキリアス君がお城にいる魔法使いの長だったこと。天才なのか?
「キリアス君、そろそろ城に戻りましょう」
「もう? 僕、デザートを食べたい。この『リンゴのクリームパイ』ってのを食べたいよ。今まで肉のパイしか食べたことがないもの。ヘンリーさんは先に帰っていいよ。僕は残ってリンゴのパイを食べてから帰る」
「ダメです。魔法部が時間に厳しくないのはわかっていますが、もう戻って仕事をしましょう」
「あの」
思わず声をかけた。
「リンゴのパイ、お持ち帰りができますので、お城に帰ってから食べることもできますよ?」
「そうなの? じゃあ、あるだけ全部ください。仲間にも食べさせたい」
「七切れありますが、全部でも大丈夫でしょうか?」
「うん、お願い。支払いはヘンリーさんだし」
いいんですか? と思いながらヘンリーさんを見ると、苦笑しながらうなずいている。余計なことを言っちゃって申し訳ない。
浅い木箱に清潔な布を敷き、アップルパイを並べてキリアス君に見せた。
「布で包みますね」
「ううん、そのままでいい。ちょっと貸して」
キリアス君は私から木箱を受け取ると、小声で何かを唱えながらパイの上で手を横に滑らせた。何も変わらないように見えるが、「触ってごらん」と言われて指先で触ると、アップルパイの少し上で指が遮られる。なにこれ。
「結界を張ったからこれで安心」
自慢げなキリアス君。ちょっと呆れた顔のヘンリーさんが「能力の無駄遣いですね」とつぶやいた。
二人を見送ってから椅子に座った。目の前で見た『結界』という魔法に感動している。あれ、使いようによってはラップの代わりになるんじゃない? 現代日本から来た私ならいくらでも他の用途を思いつく。いいなあ、結界魔法。
よし、やってみよう。
おばあちゃんの知識の中から結界魔法を探し出して練習だ。俄然やる気が出た。
キリアス君はその後頻繁に通ってくれている。たいてい魔法使いのお仲間と一緒だ。十一時に来て十二時過ぎに帰っていくから、午後二時に来店するヘンリーさんと顔を合わせることはない。