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68 ハリソン・ベントリーと持ち帰りランチ

 若者たちの事件の捜査の進展はまだ聞かされていないけれど、ヴィクトルさんがサンドルたちの聞き取りを担当しているらしいので、心配はしていない。


 最近、「持ち帰り 肉ランチ」「持ち帰り ソーセージランチ」という名前で売っているハンバーガーとホットドッグが、やたら人気になっている。

 最初に持ち帰りランチを注文したのは建築現場で働く人。

 

 ディオンさんが「『隠れ家』の料理はおいしい」と宣伝をしてくれたらしい。その結果、「昼休憩にあそこまでは行けないから、持ち帰れるものを作ってもらおう。誰かが代表して受け取りに行けばいい」ということになったらしい。

 最初はハンバーガーだけだったけど、「こんなのもありますという見本です」といってホットドッグを五個添えて渡したらホットドッグも人気が出た。

 

 今日はその建築現場から注文が入った他に、「持ち帰りランチの噂を聞いた」という人からも注文が入った。(ハンバーガーは世界を超えて人気だねえ)と思いながら、ひき肉を成形する。

 今はパンに挟む形に慣れてもらうために牛肉のパティだけにしているけど、焼肉、ベーコンエッグ、チキンカツ、ポークカツと具を変えてもいいよね。ライスバーガーは時期尚早かしら。


 チリリンと音がして華やかな外見の男性が入ってきた。金色の髪に青い瞳。整ったお顔立ち。身長はヘンリーさんより少し低いくらい。文官さんの制服を着ている。体格が良くて雰囲気が実に貴族っぽい。男性が壁の『持ち帰りランチ始めました』の貼り紙を見ている。


「こちらで販売している持ち帰りランチをここで食べることはできるかな? ひとつは今ここで私が食べて、もうひとつは持ち帰りにしたいのだが」

「はい、できます。どうぞ好きなお席に」


 そう言ってパティを焼き始めたのだが、文官さんが好奇心を滲ませた目で私を見ている。


「お客様、なにか?」

「ヘンリーは今日、忙しくてここに来られないんだ。悲しそうな顔でパンをかじっていたから、ここの料理を持って帰ってやろうと思ってね」

「そうでございましたか」


 この人は誰だろう。なぜここがヘンリーさんの行きつけの店だと知っているのかな。そう思っている私を見て、男性がクスッと笑う。


「先日、文官部屋でこの店の噂を耳にしたんだ。仕事と出世しか興味がなかったヘンリーが、この店に通い詰めていると聞いてね。どんな店だろうと興味を持った」

「筆頭文官様にはご贔屓ひいきにしていただき、感謝しております」


 このお客さんとヘンリーさんがどんな関係かわからない。だから一応「店主と客の関係ですよ」というていで受け答えをしたのだが。


「ヘンリーとあなたのことも知っている。そう警戒しないでほしい」


 それだけ言って口を閉じるお客さん。私は曖昧な笑顔を保ちつつ(名を、名を名乗れ! それだけでは親しいのか貴族の嫌味なのかわかんないから!)と思いながらパティを挟むパンの切り口をカリッとなるまで焼く。このために変換魔法で作った鉄板は油が馴染んでいて、実にいい具合に焼ける。


「お待たせしました。手で食べるのが一番おいしく食べられると思います。具が滑り落ちないよう、パンを傾けないでお召し上がりください。手はこれで清めてくださいませ。添えてあるのはお芋の素揚げです。お芋はお好みでこちらのトマトソースとバジルソースをつけてお召し上がりください」

「わかった」


 お客さんは丁寧にお手拭きを使い、ハンバーガーを持ってかぶりついた。初めて食べるだろうに、ソースもパティも落とすことなく食べている。食べ方が上品。

 

 持ち帰り用の木箱を魔法で作ろうとして、(そうだ)と感知魔法を放った。お客さんのおなかが白く光る。安心して薪で持ち帰り用の木箱を作り、中身を入れる。揚げたお芋も入れた。持ち運びしやすいように清潔な布で木箱を包んでテーブルまで運んだ。


「これは持ち帰り用です。よろしくお願いします」

「ああ、ありがとう。あなたもここに座ってお茶を飲みませんか」


 少し迷ったが断る理由もない。向かいの席に座って相手をすることにした。


「ヘンリーはこんな良い店と良い女性ひとを見つけていたんだなあ。さすがに有能な筆頭文官だ、ぬかりがない。先日、私の妹をヘンリーにどうかと思ったのだが、あっさり断られてしまったのも納得だ。子爵家のヘンリーに伯爵家の後ろ盾ができれば、出世の役に立つ。さぞかし喜ばれると思っていたので、断られたときは驚いた」


 縁談を勧めたのはこの人だったのか。じゃあ、嫌味を言いに来たのか? 嫌味なら受けて立つよ? そう思ったのが顔に出たのかもしれない。男性が急いで言い訳をした。


「ああ、あなたに敵意はないので安心してほしい。私はヘンリーを応援しているんだ。ヘンリーは出世欲の強い男だが、他人を蹴落としてやろうというところがない。頼られれば快く相手のために力を貸す、懐が深い男だ。どうかヘンリーをよろしく頼みます。彼はいつか、宰相まで上り詰めるだろうと私は予想している」

「ヘンリーさんにお伝えします」

「あなたも困ったことがあったら私を頼ってほしい。貴族がらみのことなら、私も多少は力になれるだろう」

「ご配慮ありがとうございます」


 最後まで店主モードに徹した。名を! 名を名乗りたまえ! と心で念じたら自己紹介が始まった。


「私はハリソン・ベントリー。ベントリー伯爵家の次男だ。今は法務部担当の文官なのだが、仕事でヘンリーには何度か助けられたことがある。あなたの存在を知らなかったので縁談を持ちかけて失礼した。それにしてもこのランチは旨い。今後、私も通うことにしよう」

「ありがとうございます。お待ちしております」


 ハリソンさんは最後まで毒を吐くことなく帰っていったから、本当にヘンリーさんを応援しているのだと思う。ヘンリーさんは夜の七時すぎにやってきた。あるもので夕食を作って出し、ハリソンさんのことを話した。「いい人ですね」と言ったのだが。ヘンリーさんが不満そうだ。


「なにが気に入らないんです? ハリソンさんとは仲が悪いわけではないのでしょう?」

「悪くありませんが、特別に親しいわけでもありません。わざわざあなたのことを見に来たのが気に入らない。しかもあの典型的な貴族気質のハリソンさんが自分を頼れと言うなんて。絶対に何か魂胆がある」

「本当に他意はなさそうでしたってば。そういうの、女房焼くほど亭主もてもせずって言うんですよ」

「ふうん」


 ヘンリーさんは一見無表情だが、わずかにぶすくれていて面白い。


「ヘンリーさんは面白いですねえ」

「面白くなんかありませんよ。言っておきますが、やきもちを焼いているわけではありません」

「わかりました。そういうことにしましょうか」


 私に恨めしそうな視線を向けてお茶を飲むヘンリーさんだったが「そうだ」と言って話を始めた。猿型獣人の件は調べが進んでいるけれど、彼らが獣人であることはまだ伏せられているらしい。


「俺とヴィクトルさんは彼らを獣人として扱うつもりはありません。我が国の法には、獣人か一般人かを分ける文言もんごんがありませんからね。その点、彼らを差別したリドリック商会のほうがいろいろと王国法に反しているのです」

「処罰を公表するときは? 『獣人を差別した』という理由は出さないのですか?」


 するとヘンリーさんが黒い笑みを浮かべた。


「今はまだ出しません。若者たちは変身を完璧に制御できるそうです。リドリックが『あいつらは獣人なんだ。俺たちとは違うから差をつけたんだ』と騒ぎ立てたところで、それを証明できない。一方、リドリックの違法行為は明白だ」

「なるほどねえ」

「ですが、ここで終わりにはしません。俺はリーズリー氏の失敗にとても感謝しているんですよ。彼がうっかり古大陸に飛んでくれたおかげで、これからはアルセテウス王国の獣人たちがこの国に来るでしょう? 彼らが理不尽で不快な思いをしないで済むように法を整備する。最初の一歩はそこです」

「法律を変えるんですか?」

「大げさな事はしません。『獣人への差別行為を禁止する』という一文を加えるだけです」

 

 ヘンリーさんが晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。


「十代の頃、俺は自分が生まれてきた意味はどこにあるんだろうと悩みもしましたが、やっと答えが見えた気がします。一般人でも獣人でもない俺が生まれた意味と、筆頭文官になった意味は、この一文のためにあったのです」

 

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