66 獣人vs獣人
私の首に下げているペンダントから、ヴィクトルさんが仲間に出している指示が聞こえてくる。
「塀の向こうには絶対行かせるな! バチアス、右から回れ! オッディ、左だ! クロード! 一人逃げた!」
猫の背中に乗るという夢のような経験をしているというのに、私はペンダントから聞こえてくるヴィクトルさんの指示に(かっこいい! かっこいい! うわあかっこいい!)と思いながら聴いて目は犬型獣人のチームプレイを追っている。
人家がない真っ暗な地区。感知魔法を放ちっぱなしのおかげで、獣人たちの動きがゲーム画面のように見える。
オレンジ色の光が高いところに登ったり道を上下に波打つように走ったりしている。それを追い詰めていくたくさんの青い光。青い光は一つの意思を持った生き物のように連携していて、少しずつオレンジ色を追い込んでいく。まるで羊の群れと牧羊犬だ。
ヘンリーさんは彼らから離れた場所に止まって私を下ろした。私の護衛に徹するつもりなのか、もしくは犬型獣人のチームプレイを邪魔しないためか、追い込みには参加しない。
やがてオレンジ色が全部、二階建ての屋根の上に集まった。てことはアルバート君もか。何やってんのと一瞬思ったけど、(いや、これでいい)と思った。この先のことを考えたら仲間と一緒に追われて、「完全に警備隊側」と思われないほうがいい。
「マイさん、変換魔法を使って若者たちが思わず屋根から降りたくなるようなもの、出せませんか?」
「出せます。任せて」
何を出したら恐怖に怯えるかな。やはり『歩く死体』かしら?
入院する前にシーズン十一まで何周もしているから、完璧に再現できる自信がある。変換魔法だと動く物を作れないから、伝文魔法で思いっきりリアルな歩く死体を出そう。
伝文魔法の練習でウサギを同時に何個も出した経験がここで役立つとは思わなかった。全力で魔力を練り、腐って崩れかかった歩く死体をイメージする。屋根の向こう側、猿型獣人たちの背後に登場させた。
楽しくなってきちゃって、数を追加していく。這って動く死体、足を引きずりながら歩く死体を八体も出した。(声もあったほうがいいよね)と、できるだけ低い声で「ウオオォオガアアアア」と声を送ると、オレンジの光の動きが一斉に止まった。そして若者たち全員がバッと後ろを振り返る。
どう? めっちゃ怖いでしょう? ふふふ。
「ぎゃああああっ!」
「化け物っ!」
「ひいいいい!」
「おかあちゃん!」
最後の「おかあちゃん」と叫んだ声はアルバート君だね。
八個のオレンジ色の光がどんどん下に向かって飛び降りる。さすが身軽な猿型獣人。誰も怪我をしていないらしく、そのまま逃走しようとして青い光に取り囲まれた。役目が終わったので、『歩く死体』を消した。
「ゴウルルルルル」という犬の唸り声。「逃げるな!」と怒鳴る声。猿型獣人の誰かがどこかを噛まれたらしく「ギャッ! 痛えっ!」と叫ぶ若い声。
「逃げたら今度は首に噛みつくぞコラ!」
シェパードふう獣人のセリフで、急に若者たちが動かなくなった。八人の猿型獣人の周囲を二十匹くらいの巨大な犬が取り囲んでいる。いつの間にか人間に戻って制服を着ていたヴィクトルさんが、若者たちの前に立った。
「お前ら全員を警備隊詰め所に連行する」
「待ってくれ! 人間に戻るから何か服をくれよ」
「お前ら自分で脱ぎ捨てたんだろうが」
「この姿を見られたらまずいって!」
若者たちが泣きを入れて巨犬に怒られている。
ヘンリーさんはどこかなと思ったら、暗闇から薄赤く光る文官服姿のヘンリーさんが現れた。ヴィクトルさんがヘンリーさんに声をかける。
「こいつらは私の方で預かってもいいでしょうか。今まであちこちで悪さをしているので、全部調べたいのです」
「お任せします。この少年たちがどんな状況で働いていたかを、私に教えていただけますか? それを基にリドリック商会を調べ上げます。王国法に反していることがたくさんありそうですので」
「え?」
驚いた声を出したのは若者たちのリーダー、サンドルだ。ヘンリーさんが無表情にサンドルに答える。
「お前たちは人の家を荒らし、放火しようとしたから捕まった。リドリックは法に反したから裁かれる。どちらも当然のことだ。君らはこの国の民として平等に扱われる。人間か獣人かは関係ない」
若者たちが全員ぽかんとしている。
犬型獣人の皆さんが交代で姿を消し、服を着て戻ってきた。犬型獣人のおよそ半数が警備隊の制服。残りの人たちの服装はまちまちだが、全員体格がごつい。こういうことに向いている仲間を集めたのね。
ヴィクトルさんが私に近寄り、ペンダントを触りながら小声で話しかけてきた。
「お借りしているこれはどうしますか?」
「持っていてください。また使うかもしれませんので」
「わかりました。時間があるときで結構なので、これのお話も聞かせてください」
「はい」
そこに若者のリーダーであるサンドルの声。
「さっきの化け物は? もう追いかけてこないんだよな?」
「化け物? 何のことだ?」
屋根の稜線の向こう側に歩く死体を出したから、下にいた犬型獣人さんからは見えなかったものね。
「さっき、腐った死体がいっぱい現れたじゃないか! あんたら見ていないのか?」
「見ていない。なんだそれ」
そう言いながらヴィクトルさんが私を見る。小さくうなずいたら察してくれたらしい。
「追い詰められて幻覚でも見たんだろうよ。警備隊までちゃっちゃと歩け。服は染色場で回収させてやる」
ヴィクトルさんが私とヘンリーさんに顔を向けた。
「では、我々はこいつらを連れて行きます」
「お疲れさまでした。私と彼女はゆっくり帰ります。リドリックの件はお任せください。若者たちからリドリックの違反行為に関する情報を集めたら、城まで届けていただきたい。ヘンリー・ハウラー筆頭文官と言えば私を呼び出せます」
「わかりました」
ヴィクトルさんは「筆頭文官」という言葉を聞いて一瞬目を大きくしたが、すぐに表情を戻した。
「では失礼します。お疲れさまでした」と言ってヘンリーさんが私の手をとり、歩きだした。
「ヴィクトルさんたち、さすがでしたね。俺が参加する必要は全くなかった」
「わずかな指示だけで意思の疎通ができていましたね。しかも警備隊じゃない人も違和感なく連携していて。さすがは犬型獣人でしたよね。かっこよかった……」
ごっつい男たち、いや犬たちの走り回る姿、足音、唸り声。全てがかっこよかった。
どの犬がどの人かわからなかったけど、シェパードふうの犬はどの人だったんだろう。集団の一番外側を担当して、逃げようとする若者を一人も逃がさずに追い戻していたっけ。猛烈に走り回ってた。あの心肺機能がすごいよねえ。
「マイさん。ダメですよ?」
「ん? 何がですか?」
「俺の背中に乗っていたときから、ずっと犬型獣人にときめいていたでしょう」
「いえいえ、ただかっこいいと思っただけですよ」
本当は少しときめいたけど、それはアスリートに惚れ惚れするときめきと同じで……。上手く説明できないなと口ごもっていたら、ヘンリーさんが私とつないでる手を持ち上げて、カプッと私の手首を甘噛みした。
「彼らは確かにかっこよかったけど、よそ見をしないで」
「よそ見はしてませんて。花がきれいだなっていうのと同じ感じの『かっこいいな』ですから」
「ではそういうことにしておきますか。それで、屋根の向こう側に何を出したんですか? サンドルが化け物って言ってましたね。俺も見たいです」
「それは……どうかなあ。あれは見ても気持ちがいいものではないから」
「見たい」
駄々っ子みたいな言い方。
「ふふっ。わかりました。見ても驚かないでね」
「はい。お願いします」
立ち止まり、右手で火魔法の火を掲げた。あんまり明るくても興醒めだから、仄暗い程度の小さな炎だ。それから三メートルくらい先に『歩く死体』の群れを出した。腐って崩れた肉体、こっちに向かってジワジワ這い寄る死体たち。実に懐かしい。自分で出しておいて言うのもなんだけど、会心の出来。
ヘンリーさんがビクッとなったから、死体たちの動きを止めた。
無言で見ているヘンリーさんが手に汗をかきはじめた。リアルすぎたか。
「マイさんはあれを見たことがあるのですか?」
「ええ。でも、実際に歩く死体は存在しません。作り物でした」
「ふうぅ。よかった。いったいどんな恐ろしい世界で生きていたのかと思いました」
「お化粧と演技であんなふうに見せているだけです。ただのお芝居です。この世界の方が、よっぽど驚きに満ちていますって。ヘンリーさん、うちに寄りませんか? お茶でも」
「ええ、ぜひ」
歩く死体を消し、また歩き始めた。
「そうだ、私もヘンリーさんの手首を噛んでいいのかしら」
「絶対にダメ」
「私は二回も噛まれましたが」
「ダメ。俺の理性が吹き飛びます」
思わず笑ってしまった。ヘンリーさんが無表情に前を見て歩いている。少ししてから「笑いごとじゃないって」という小さな声が聞こえた。
昼の12時に短いエピソードを投稿します。