65 集結
私、ヘンリーさん、アルバート君の三人で染色場に向かっている。途中でヘンリーさんがアルバート君に質問する。
「君らが焼き討ちしようとしている雇い主の名は?」
「リドリック。リドリック・ミード商会長」
私は知らなかったが、ヘンリーさんは知っていたらしい。
「ああ、悪名高い男だな。なぜ自分たちの扱いについて訴え出なかった?」
「先輩たちがリドリックに抗議したよ。でも無駄だった。役所にも行った。書類を書かされて、それで終わりだった。何も変わらなかった。役人は助けてくれなかった。きっとリドリックが役人に金を渡したんだ」
「それで諦めたのか」
「諦めてなんかいないさ! だから俺たちは仕返ししようとしているんじゃないか! お城の文官様をやっているあんたになんか、俺たちの苦労がわからないんだよ!」
昔の亮ちゃんのときと同じだ。校長に訴えても無駄だと知ったときの落胆は今も忘れない。
「そうだな。俺に君らの苦労はわからない。君は世間の全ての人の苦労を理解しているのか?」
「それは……」
「なら、自分の苦労を理解してもらえないという理由で悪事を働くな。それでは誰も賛同しない。君らが悪人と思われるだけだ。俺なら自分が悪者になるような報復手段も選ばない。正式な手順で相手を追い込むよ」
アルバート君は戸惑った顔のまま聞いている。
「仲間は全部で何人だ?」
「俺を入れて八人……です。全員リドリックのところで酷い目に遭っています」
急に口調が大人しくなった。少しはヘンリーさんの言葉が効いてきたらしい。
やがて、高い塀が続いている場所に出た。周囲に人家の灯りがなく、とても暗い。私が初めて足を踏み入れる地区だ。染色場と言っていたように、工場みたいな小さな作業所が並んでいる。私はずっと感知魔法を放ちっぱなしで歩いているが、私も隣の薄い赤とオレンジ色以外、何色の光も見えない。
冷たい夜風が吹いていて、思わずブルッと身震いをした。
「アルバート君、こんな場所にリドリックの家があるわけ?」
「リドリックの家はあっちです」
指さしたのは高い塀。
「あの塀の向こう側、一番塀に近い家がリドリックの家です。でかくて広い」
「なるほど。襲撃前の集合場所には最適だな。君らのリーダーは頭がいい。一般人にはまず無理だが、猿型獣人ならあの塀も超えられるか」
「リーダーのサンドルはすごく頭がいいよ」
アルバート君が自慢げに言う。そこでペンダントからヴィクトルさんの声がした。
「聞こえますか。ヴィクトルです」
「聞こえます」
ペンダントからボリュームを抑えた声が聞こえた。
「私の仲間を連れて来ています。連中に気づかれないよう、我々は周辺に散らばって連中が来るのを待ちます。連中が集まったところで一斉に包囲します」
「いや、一度俺たちに話をさせてください。彼らの言い分を聞きたい。捕まえるのはそれからにしてもらえませんか?」
「いいでしょう。ですが危ないようなら飛び込みますよ?」
「わかりました。若者の数は八人です。私とマイさんは染色場の中に入り、隠れて待ちます。ペンダントから我々の声が聞こえるといいのですが」
「私ならどんな小さな声でも聞こえます。心配は無用です」
ヴィクトルさん、かっこいい。さすが犬型獣人。ヴィクトルさんとヘンリーさんが私の作ったペンダントをなんなく活用している。伝文魔法はまさにトランシーバーだ。バッテリーの代わりに私の魔力を使っているところがワクワクする。私は寿命長持ちの電池に徹しよう。
建物の中に入ると、広い作業場はガランとしている。私たちはアルバート君の仲間を待った。
「マイさん、俺が若者たちを説得します。一緒にいるのは危険だから、せめて奥の部屋に避難しませんか?」
「私も立ち会いたいの。足手まといにはなりません。いざとなったらアレを使います」
「わかりました。ま、そう言うだろうとは思っていました」
大人しくできず、申し訳ない。ヘンリーさんがアルバート君の方を向く。
「君も仲間を説得するんだぞ。俺に言われたから嫌々やるのでは説得できないぞ」
「説得ってどうすれば」
「おばあさんを助けたかったら、自分で考えろ。大変なことになると、仲間にちゃんと伝わる言葉を探せ」
「は、はい」
窓の外がオレンジ色に光った。ヘンリーさんはもう気づいていた。
「来ましたね。複数の足音がします」
ドアが勢いよく開いて、七人の若者が入ってきた。
「よおアルバート。一番乗りか。張り切ってんな」
「はい、サンドルさん」
だがサンドルはすぐに部屋の隅にいる私たちに気がついた。
「城の役人がいる。アルバート、どういうつもりだ?」
「サンドルさん、やっぱり火をつけるのはまずいですよ。リドリックは悪者だけど、俺たちが殺していいわけじゃない」
「殺しはしないさ。リドリックが逃げられるように家の裏手に火をつける。ただ、アイツの財産は燃やし尽くす。これからアイツの持っている建物は、全部燃やして灰にしてやる」
そこでヘンリーさんが一歩前に出た。
「火事を制御できるつもりか? 今夜は風がある。周囲の家に燃え広がってみろ。君らは最悪死刑だぞ」
「捕まらなきゃいい話だ」
「俺に任せろ。法に従ってリドリックを裁く。君らが手を汚す必要はない」
「役人なんて信じられるか! 俺たちが何度助けを求めても、知らん顔をしやがって!」
ヘンリーさんがさらに一歩彼らに近づく。
「役人は山ほどいる。全員が同じではないよ。俺ならリドリックを正式な手続きで裁きを受けさせる。君らの秘密も表沙汰にはしない。放火はやめろ。リドリック名義の建物を荒らすのもやめるんだ」
「うるせえんだよ! おい、こいつらを押さえろ。縛って転がしてから出かけるぞ」
「リドリックは獣人の仕業だと騒ぎ立てるぞ」
ヘンリーさんの声を聞いても、サンドルは考えが変わらないらしい。
「早くこの二人を縛り上げろ!」
「サンドルさん、やめましょうよ。この人が助けてくれますよ」
「アイツに仕返しするのは俺たちの当然の権利なんだよ、アルバート」
「権利じゃないわ。そんな私刑がまかり通ったら、弱肉強食の国になっちゃうじゃないの。そのために法律があるんでしょうよ!」
思わず口を出したがサンドルは聞いていない。周囲の男の子たちは迷っているように見える。
「さっさとこの二人を縛れって言ってんだろうが!」
その言葉と同時に外で遠吠えがした。「ウオオオォォォン」という最初の声に応えるように、四方八方から「オオオオオオォ」「ウォォーン」「ウオオオォォォ」と遠吠えが聞こえてくる。若者たちが動きを止めた。
「犬か?」
「犬だよな?」
若者たちが不安そうに言い合っていると、サンドルが鋭く否定した。
「足音がこっちに集まってくる。犬じゃねえ、犬型獣人だ! 逃げるぞ!」
若者たちが慌てて外へ出ようとした瞬間、ドアがバンッ! と開けられた。入ってきたのはすごく大きな犬だった。どの犬もとても大きい。銅貨のペンダントをつけているのがヴィクトルさんだろう。
猿型獣人の若者たちの驚きぶりと言ったら。全員が「ぎゃあっ!」「うわわ」と叫び声をあげて、服を引き裂くようにして脱いだ。ボタンがあちこちにパンパンと飛んでいく。
体重が七十キロとか八十キロとかありそうな超大型犬たちが牙を剝く中、一瞬で猿に変身した若者たち。チンパンジーに似ているけれど、めっちゃ大きい! 猿の姿に変身した若者たちは、その場で飛び上がって天井の梁につかまると、梁にぶら下がってヒョイヒョイと移動し、窓を蹴破って外に飛び出した。
「追え!」
犬たちが猿の集団を追って家から走り去り、私とヘンリーさんが残された。
「私も変身しますから、背中に乗ってください」
「私が乗ってもいいの?」
「マイさんが走るよりは速く走れます」
そう言ってヘンリーさんが奥の部屋に入り、あっという間に黒猫になって戻ってきた。私はヘンリーさんの服やブーツを全部上着に包んでヘンリーさんの背中に乗った。おなかの下に服を抱えた状態でうつ伏せになって首にしがみつく。ヘンリーさんが走り出した。
すぐにペンダントからヴィクトルさんの声が。
『最後まで待てずにすみません。怪我人を出すわけにいかないんです。あいつらは俺がしょっ引きます』
「彼らのことはヴィクトルさんに任せます。俺は俺の仕事でリドリックを追います」
前方にオレンジ色の光と青い光がたくさん見えてきた。