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64 アルバート君

 カリーンさん夫妻が来てくれた翌日。

 夕方になってから、カリーンさんがソフィアちゃんを連れて店に来た。夕食には早い時間で他にお客さんはいない。


「猿型獣人の若者たちのことですが、そのうちの一人が私の知り合いの息子さんかもしれないの。息子さんがちょくちょく夜遅くに出かけているとは聞いていたんです。マイさんの恋人が見た話をしたら『その日は帰りが遅かった』って青ざめていました」

「その息子さんに会えますか」

「さあ、どうだろう。一緒に行ってあげたいけど、ソフィアがいるからヴィクトルが帰ってこないうちは出かけられないわ」

「家の場所とその少年の名前を教えてくれたら私が目撃者の彼と行ってみます。それで……なにかあったらカリーンさんに連絡します。話の内容によってはヴィクトルさんに伝えてほしいんです。連絡を取るために、持っていてもらいたいものがあります」


 厨房に入り、作っておいたペンダントを持ってきた。銅のマグカップを変換して枠と鎖を作って取り付けた銅貨のペンダントには、私の魔力を込めてある。魔法を送りっぱなしにしておけば、双方向でいつでも会話ができる。私の魔力はこの程度ではなくならないはず。


 これを渡せば私が魔法を使えることがバレるけれど、かまわない。私はカリーンさんたちが獣人なことを知っている。カリーンさんたちは私を信用してくれている。だから私もカリーンさんたちを信用する。そう生きることにしたのだ。


「それを持っていれば、必要なときに私と会話ができます。こんなふうに」


 私が少し距離を取って「カリーンさん、聞こえる?」とペンダントに話しかけると、ペンダントを手にしたカリーンさんがビクッと動いた。


「銅貨から声がしたわ。マイさん、これって?」

「詳しい説明はあとでさせてください」

「わかりました。ではペンダントをお預かりします」


 ソフィアちゃんがずっと「ばあば、それなに? なんで声がするの?」と聞いているが、カリーンさんが「なんだろうねえ」ととぼけている。カリーンさんは猿型獣人の住所と息子さんの名前をこそっと教えて帰っていった。


 ソフィアちゃんがずっと「フィーちゃんも、触りたい!」と声を張り上げている。ダメだと言われているらしい。「ばあば! フィーちゃんにも! フィーちゃんにも!」と叫ぶ声がだんだん小さくなっていく。

 猿型獣人の若者の名前はアルバート。ヘンリーさんに伝文魔法でその話を告げると、間を置かずに返事が来た。


『俺が同行します。店で待っていてください。絶対に一人で動かないで』

「わかりました」


 少ししてヘンリーさんが駆け付けた。


「お待たせしました。すぐにその家に行きましょう」

「それらしい獣人の若者がいたら感知魔法で確認して、当たりだったら腕か背中を二回叩きます。違っていたら何もしません」

「わかりました」

 

 カリーンさんに教えてもらった住所へと急ぐ。途中でペンダントをカリーンさんに渡したことを話した。ヘンリーさんは「マイさんの判断を尊重します」と言ってくれた。


 教わった住所は集合住宅だった。少年が住んでいるのはこの建物の三階だ。

 三階まで階段を上がり、廊下を歩く。目指す部屋のドアをノックすると、十六、七歳くらいの目がクリッとした少年がドアを開けてくれた。すかさず感知魔法を放つと若者の身体はおなかを中心にオレンジ色に光った。ヘンリーさんの腕を二回叩く。ヘンリーさんが少年に話しかけた。


「君、アルバート君か?」

「あんた誰。俺に何の用?」

「屋根の上を走っていたことで話がしたい」


 少年がいきなりドアを閉めようとしたが、ヘンリーさんがドアに手をかけて閉めさせなかった。すると少年がヘンリーさんを突き飛ばそうとした。ヘンリーさんはサッと避けながら少年の腕をつかみ、自分の方へと引っ張った。


「うわっ!」


 少年は突き飛ばそうとした勢いで床に倒れ込んだ。素早くヘンリーさんが少年の背後に回って腕をつかんで押さえ込んだ。


「放せよ!」

「騒ぐな。君が深夜に何をしているか、近所の人に聞かれたくないだろう?」


 ヘンリーさんがそう言っている間にも、廊下に面したドアがいくつも開き、住人たちがこちらを見る。住人たちは文官の制服の男がアルバート君を取り押さえているのを見ると、すぐに顔を引っ込めてドアを閉めてしまう。役人がらみのことに関わりたくないらしい。

 アルバート君を引き起こして、私たちは彼の家に入った。


「君は夜遅くに大通りの建物の屋根の上を歩いていたね」

「そ、そんなことしてねえよ」

 

 鎌をかけられたアルバート君がわかりやすく動揺した。


「俺は夜目が利く。屋根の上を走っている君を見たんだ。なぜ他人の家を荒らしたのか、君に言い分があるなら聞く。俺に嘘をついたら助けてやることができない。だから正直に話してほしいんだ。警備隊は君らの悪事だと気づいているぞ」

「その服、文官の制服だろう? 文官がなんで首を突っ込むんだ」

「君は獣人全体の印象を悪くしたいのか?」


 アルバート君は「獣人」という言葉を聞いた瞬間に動きを止め、ヘンリーさんと私に怯えの滲む視線を向ける。ヘンリーさんは、その動揺に畳みかけた。


「君が猿型獣人なのは知っている。想像してみろ。悪さをしていたのが獣人だと一般人に知られたら、国中の一般人が獣人をこの国から追い出せと言い始めるだろう」

「そんな大げさなこと……」

「そんな大きなことになるんだよ。君や君の家族だけで済む話じゃない。真面目に暮らしている他の種族の獣人たちもこの国に居づらくなる。今よりももっと用心して暮らさなきゃならなくなるんだ」


 アルバート君の目が落ち着きを失った。


「出て行けと言われて他国に逃げ出したところで、住む場所と仕事と食べ物を手に入れるのは難しい。国を追い出された身が、行った先で歓迎されると思うか? 老人や子供、体力のない者から飢えて倒れるだろう。そうなれば君らのグループは、仲間の猿型獣人からも他の種族の獣人からも憎まれる」

「そんなの嘘だ!」


 アルバート君が大きな声を出した。すると奥の部屋から杖を突いた老女が顔を出した。老女は目が白く濁っていてよく見えないらしい。私たちから少し離れた場所に向かって話しかけた。


「アルバート、大きな声を出してどうしたの? その人たちはお客さんかい?」

「ばあちゃん、なんでもない。大丈夫だよ。この人たちは俺の知り合いだよ」

「そう。どうぞごゆっくり」


 老女が引っ込むと、ヘンリーさんが声を小さくして話しかける。

 

「君らのせいで、おばあさんだって国から出て行けと言われる」


 アルバート君が両手で顔を覆った。


「悪いのは俺たちじゃない。俺たちは仕返しをしただけだ。最初に酷いことをしたのは、あっちなんだ!」

「誰に何をされたのか、詳しく話せ。相手に非があるなら俺が力になる」


 しばらく迷っていたアルバート君だったが、おばあちゃんが国を追われると言われたのが堪えたらしい。ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「俺たちは身軽だから、高い場所の窓ふきとか屋根の修理とか、外壁を洗ったりする仕事が得意なんだ。だけど、雇い主は強風の日でも『働かないとクビだ』と言うくせに、風に煽られて落ちて大怪我をしても知らん顔だ。一般人は仕事で怪我をすると見舞金が出るのに、俺たちは出ない。獣人だからだ」

「雇い主は君が獣人だと知っているのか?」

「そりゃ、猿型獣人の先輩の口利きで就職しているから」

「ふむ。それで?」


 ヘンリーさんが仕事や賃金について細かく質問して、アルバート君の答えを聞いている。アルバート君の話は行ったり来たりしている。メモを取らないでいいのだろうかと心配になった。もしかして、ヘンリーさんは話を全部記憶しているのかしら。

 

 時間をかけてアルバート君が語ったのは酷い話で、聞いている私のはらわたが煮えくり返った。ヘンリーさんは一見無表情だが静かに激しく腹を立てている。私にはわかるよ。


「君の話を確認する。一つ、一度就職すると獣人であることを理由に一般人の半分の賃金で働かされる。二つ、賃金に文句を言うと獣人であることをバラすと脅される。三つ、獣人は一般人が仕事休みになるような悪天候の日も働かされる。四つ、怪我をしても獣人を理由に見舞金も治療費も出ない。五つ、職場を辞めたかったら代わりの獣人を引き込まないと辞められない。これでいいか?」

「そうだ」


 アルバート君はすっかり大人しくなった。


「君らはその仕返しとして建物に侵入して、証拠が残らないのをいいことに雇い主の部屋を荒らしたわけだ。実に非効率的な行動に出たものだな。もっと効率的に報復する手段があるのに」

「えっ?」


 思わず声を出したのは私。アルバート君もぽかんとしている。自分を警備隊に突き出すのだろうと思っていたヘンリーさんが「もっといい報復手段があるぞ」と言い出したものだから驚くのも無理はない。


「君の仲間のところに俺を案内しなさい。俺が君の仲間を説得する。今のままでは獣人の仕業と知られた時、間違いなく獣人全体が非難されることになる。これは下手すると大変な事態のきっかけになるぞ」

「俺たちはただ、腹いせで仕返しをしただけだってば!」

「それはわかった。今なら間に合う。だが、このままだといつか本当に大変なことになる」


 動揺した顔のアルバート君がヘンリーさんに救いを求めるような顔を向けた。


「どうしよう。今夜、雇い主の家に火をつけるんだよ」

「……なんてことを。死人が出るぞ。アルバート、何時にどこへ集合するんだ?」

「夜の十時、西区の潰れた染色場に集合……です」

 

 そこで私の首に下げていたペンダントから声がした。


「ヴィクトルです。ここまでの話を全て聞きました。私は仲間の獣人を集めてそこに向かいます」

「お願いします。俺たちもこの少年を連れて向かいます」


 すかさずヘンリーさんがペンダントに返事をした。ペンダントから声がしたからアルバート君がぎょっとしているけど、私が口の前に人差し指を立てたら戸惑った顔のままうなずいてくれた。

 遠くで時刻を知らせる鐘が八回鳴った。ヘンリーさんが立ち上がる。もうさほど時間がない。


「さあ、行こう。君の仲間が行動する前に、染色場に行かなくては」


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