63 獣人たちの繋がりと亮ちゃんのこと
「種族を超えた横のつながり、ですか」
カリーンさんがはっきりと困った顔になった。
「言えないことでしたら無理にとは言いません」
「それは一般人に対しては秘密にすべきことなので、ディオンとどう繋がるのかによります」
「ディオンさんの仕事場が荒らされたそうですね。私、ディオンさんの仕事先が荒らされた晩に、そこの近くで食事をしました。店を出たのは十時少し前だったと思います。そのとき、一緒にいた人が屋根の上を走って行く人影が見えたと言っていたんです」
カリーンさんは話が読めた様子。
「なんでもかんでも獣人さんのせいにしたくはないけれど、五階建ての傾斜のきつい屋根なんです。真っ暗な中でその上を走れるのは、もしかしたら人間じゃなくて獣人だったかもと思いました。人影が見えたらしいので、人ではなく猿型の獣人かもと思いました」
「お連れの方は人の姿とおっしゃったんですか? 夜遅くに屋根の上が見えたんですね?」
「その人には人影に見えたようです」
「誰にも言いませんから教えてください。人影を見たのは猫型獣人のあの男性?」
「ええ……そうです」
ヘンリーさんは半獣人だけど、そこは説明をするわけにいかないから省いた。カリーンさんは少し考え込んでから「知り合いに聞いてみます。何かわかったらマイさんにも連絡しますね」と言ってソフィアちゃんの手を引いて帰っていった。
その夜の八時ごろ。カリーンさんとヴィクトルさん夫婦が店にやって来た。私はそんな予感がしていた。椅子に座ってすぐ、ヴィクトルさんが話を切り出した。
「マイさんのお知り合いが見たのは、やはり猿型獣人のようです」
「私がこの人に相談したら、思い当たることがあるって言うんです」
ヴィクトルさんが苦い顔で話をしてくれた。
「猿型獣人の若い集団が、悪さをしているっていう噂は聞いていたんです。ここに来る前に、彼らの長老に会ってきました。話をしたら『うちの若い者たちの仕業かもしれない』と言っていました。荒らされたのはうちの息子の仕事場だと言ったら恐縮して謝ってくれましたが、どうも若い連中に手を焼いているようです。その若者たちは『獣人は本来の姿で生きるべきだ』と主張しているそうです」
「獣人の仕業と知られたら、ディオンさんたちのように真面目に暮らしている皆さんが困りますよね……」
私がそう言うとカリーンさんは残念そうにうなずき、ヴィクトルさんは怒る。
「どの種族の獣人も、長い時間をかけてこの国に溶け込んできたのです。本来の姿で生きることなんて、もうできるわけがない。何を食べてどこで眠ってどうやって子供を育てるんだって話です。そんなに元の姿で暮らしたいなら、人の暮らしの便利さを全部諦めて山の中で暮らせばいいのですよ」
「美味しいものは食べたい、温かい家に住みたい、だけど本来の姿で生きたいって、言っていることがめちゃくちゃなのよ」
「その若者たちが集まる場所を知っていますか?」
ヴィクトルさんが怪訝そうに私を見る。
「まさかマイさんが連中のところに出向くって言うんじゃないでしょうね? ダメですよ、乱暴な若者の集団ですから」
「私が直接乗り込むことはしません。少し思うところがあるんです」
「そうですか。ではやつらの溜まり場がわかったら連絡しますが、絶対に一人で乗り込んだりしないでくださいよ?」
「約束します」
カリーンさん夫婦が帰ってから、伝文魔法を放った。
「ヘンリーさん? 今、話をしても大丈夫?」
『大丈夫です。周囲には誰もいません。どうしました?』
「ヘンリーさんが見た屋根の上を走っていた人影は、猿型獣人の若者たちかもしれません。ソフィアちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんが、猿型獣人の長老に話を聞いてくれました。猿型獣人の溜まり場がわかったら教えてくれるそうです。それと、ヘンリーさんは猫型獣人と思われていますが、否定はしませんでした」
『俺のことは獣人と勘違いされたままで結構です。溜まり場がわかったら、必ず俺に連絡をください』
「了解です」
『マイさん、この魔法は俺が知っている魔法の中でも最高です。では、おやすみなさい』
「おやすみなさい」
ヘンリーさんの声が顔を合わせている時よりずっと甘い。顔を合わせていると照れがあるのだろうか。
翌日の朝、ソフィアちゃんとおしゃべりしていたら意外なことを知った。ヴィクトルさんは警備隊だという。
「警備隊と言ってもいろいろなお仕事あるけれど、どんなお仕事なのかな」
「わかんない。じいじ、ケイビタイ」
「そっか。じゃあ、おばあちゃんに聞いてみるね」
今日の日替わりを作りながらそんな会話をした。今日の日替わりはハンバーガーと温野菜サラダ、フライドポテトだ。椅子に座って絵本を見ていたソフィアちゃんが、顔を上げて鼻をヒクヒクさせている。そのうち口の端からよだれをツッと垂らしてしまい、急いで手の甲で拭いている。
「おなか空いてるのかな?」
「フィーちゃん、おなか空いてるよ!」
「もう少し待って。これを持って帰っておばあちゃんと食べて」
「わかった! ばあばと食べる!」
カリーンさんがお迎えに来たからハンバーガーを見てもらった。
「これ、試食してみてください。温野菜サラダとお芋の揚げたのでランチになるかしら。男の人には物足りないかしら」
「ううん。揚げ物もあるし、足りると思う。これの代金をお支払いさせて」
「試食にお金は貰えませんよ。今日も野菜をたくさん持ってきてくれたじゃないですか。それに私、ソフィアちゃんと遊べるのが楽しいんだもの」
「でも」
「ソフィアちゃん、いつも遊んでくれて、ありがと!」
「どういたまして!」
ソフィアちゃんがそう言いながらお辞儀をした。私はあなたに毎日胸を撃ち抜かれているよ。
カリーンさんにヴィクトルさんが警備隊でどんなお仕事をしているのか聞いてみた。
「ヴィクトルは警備隊の外回り、つまり捕り方です。獣人であることはもちろん内緒ですが、一般の人より耳も鼻も夜目も利きますし、走るのも得意ですからね。お役に立てているようですよ」
「なるほど。猿型獣人はそういう活躍の場がないんですかね」
「さあ。一般人も獣人も、楽して働いている人なんかいません。うまくいかないことがあったとしても、人様の家を荒らしていい理由にはなりません」
「ですよねえ。でも私、一度彼らの言い分を聞いてみたいんです」
カリーンさんは息子のディオンさんが被害に遭っているから、「きっと自分勝手な言い分に決まっています」と言う。でも私、この手のことで思い出すことがある。
幼なじみの男の子、亮ちゃんが高校二年の時に、急に変わった。学校を休みがちになり、深夜の繁華街を徘徊するようになった。深夜に補導されたこともあった。亮ちゃんちのおばさんは「思い当たることがない」と言っていたけれど、私は亮ちゃんが荒れた原因を知っていた。
同い年だけれど亮ちゃんは私の弟みたいなものだったから、私は亮ちゃんが日に日に暗い表情になっていくのに気づいて問い詰めた。最初は「うるさい。マイには関係ない」と言っていたけれど、しつこく食い下がったら私にだけは話をしてくれた。
亮ちゃんは私たちのクラス担任であり数学担当の北川先生に虐められていた。
亮ちゃんに関係ない用事をいっぱい言いつけたり、亮ちゃんの字は私よりよっぽど丁寧な字だったのに、「字が汚くて読めなかった」と言って宿題を何度も書き直しさせていた。亮ちゃんの親を遠回しに馬鹿にすることも言っていた。信じられないような職業差別発言をしていたのだ。
殴るなどの手は出さず、他の人に見えない場所で指導の一環に見えるような手を使っていたのが、余計に陰湿だった。
北川先生の虐めが始まったのは、亮ちゃんが先生に間違いを指摘した時からだ。他の生徒の前で恥をかかせないよう、亮ちゃんは休み時間に指摘したのに。
「校長先生に言いに行こう。私も一緒に行くよ」
「校長にはもう言ったよ。それ以降、もっと虐められてる。校長は助けてくれなかった。来年は受験だし、揉めたくない。もういいよ。マイまで虐められるぞ」
「このままでいいわけないよ。おじさんとおばさんには言っていないの?」
「言えないよ。あんな酷い言葉、聞かせたくない」
「そう……」
そこから私は一人で動いた。いじめの相談窓口に電話をした。「記録を取りなさい」と言われてひたすら亮ちゃんの話をノートに記録した。北川先生が言ったこと、やったことを日時と場所を含めて全部記録し続けた。
相談窓口の相談員さんが「それだけあれば十分だよ。それを教育委員会に送って改善を要求しなさい。それでも改善されなかったら、必ずまたここに電話をして。私が力になる」と言ってくれた。
『私たちの担任の言動が許せません。これを読んでもらっても状況が改善されないなら、しかるべき場所に同じ物を送り、再度判断を仰ぎます』と書いた手紙と一緒に、教育委員会に私の名前で郵送した。弟みたいな亮ちゃんを守りたい気持ちに突き動かされた。
郵送前、同意を得るためにノートを亮ちゃんに見せた。亮ちゃんは「なんでマイがそこまでやるんだよ」と驚いていた。それから「ありがとうな」と言ってちょっと泣いた。
結果、北川先生は亮ちゃんに何もしなくなった。三年に進級したら先生は転勤でいなくなり、副担が担任になった。亮ちゃんは無事に希望の大学に進学した。
猿型獣人の若者たちにもそんな背景があるかもしれないし、何もないかもしれない。彼らが悪であると決めつける前に、私は彼らに聞いてみたい。
あの日「それでも改善されなかったら、必ずまたここに電話をしなさい。私が力になる」と言われて、「大人にも私たちの味方がいる」と泣きたいほど救われた気持ちになった。それを私は忘れられない。
彼らに何か言い分があるのなら、今度は私が聞いて力になりたい。悪いことはやめさせたい。
なんとなくだけど、この件をきっかけに獣人が王都にたくさんいることが知られそうな気がするのだ。獣人が暴れていると知られたら、集団ヒステリーのように獣人排斥の動きが生まれるような気がしてならない。
夜、ヘンリーさんに伝文魔法を放って「話したいことがあります」と伝えると、仕事終わりに店まで来てくれた。ヘンリーさんに猿型獣人の話と、私が彼らの話を聞きたいと思う理由を伝えた。亮ちゃんの話をしたら、相談員さんのくだりを興味深そうに聞いていた。
「わかりました。素直に話してくれるかどうかはわかりませんが、その若者たちの話を聞きましょう」
47話佐々木リヨのところで少し亮ちゃんが出てきます。