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62 イヤーカフを買った夜の話

 伝文魔法はヘンリーさんとの間でこそ使いたいから、ランチに来てくれたヘンリーさんに好きな品を聞いてみた。


「どんな形でもできますよ。筆記用具でもアクセサリーでも」

「イヤーカフがいいです。毎日つけっぱなしにしますので、いつでも話しかけてください」

「それなら私も魔力を込めたイヤーカフを付けっぱなしにしようかしら。お揃いは嫌ですか?」

「望むところです。今夜、二人で買いに行きましょう」


 そこでヘンリーさんが急に不安そうな顔をした。


「イヤーカフは、お互いに片耳だけでいいですか?」

「なんで片耳だけ?」

「片耳だけのピアスやイヤーカフは、決まった相手がいるって意味なんですけど……」

「そんな意味があったんですか? なあんだ、早く言ってくれたらさっさと付けたのに。なんで今まで教えてくれなかったんですか?」

「マイさんが束縛されていると感じるのではないかと……」


 私のうなじに歯形をつけておいて、こんなところで急に弱気になるのが、もう。


「そんなところがヘンリーさんの可愛いところですよねぇ」

「俺が可愛いわけはないでしょう」

「いつもとても可愛いです」


 納得していないヘンリーさんが「具体的にどこがですか。可愛いと言われないように気をつけます」と何度も聞いてきたけど、可愛いヘンリーさんをこの先も愛でたいから笑って答えなかった。納得しない顔のまま、ヘンリーさんは帰っていった。



 夜の営業を終えてからヘンリーさんが馬で迎えに来てくれた。


「お店がまだ開いているといいですね」

「ランチの帰りに店に声をかけておきました。開いていますよ」


 さすがだ。こういうことは全くもって抜かりがない。

 連れていってもらったエドモンド宝飾店は、おそらく王都で一番大きくて高級な宝飾店だ。いつも裕福そうなお客さんが買い物をしていたような。

 店のドアには閉店の札が下がっていたが、ヘンリーさんがドアを開けると上品な装いの女性と男性が待っていた。


「ハウラー様、お待ちしておりました」

「遅くにすまない」


 店は豪華だしヘンリーさんは完全に貴族モードだ。一番いいワンピースドレスを着てきてよかった。


「イヤーカフはこちらでございます」


 挿絵(By みてみん)


 金と銀のイヤーカフは、どれもシンプルで耳に引っ掛けるだけのタイプだ。私の好みなので安心した。ヘンリーさんは金と銀のイヤーカフを二つ手に取って、私の耳に当てて眺めている。


「マイさんには金が似合う」

「さすがでございます、ハウラー様。金の方がご令嬢のお肌に映えますわ」


 次に私がヘンリーさんに同じことをした。幅六ミリくらいの銀の板を丸めた形のイヤーカフは、黒髪のヘンリーさんによく似合う。


「私はヘンリーさんに似合う銀がいいです。お城でもつけるのなら銀のほうがいいかも」

「では俺は銀にします」

「せっかくお揃いにするんですから私も銀で」

「承知いたしました。箱に入れますか?」

「俺は今つけたい。マイさんは?」

「私も今つけたいです。箱は記念に頂いて帰ります」


 お店の人が微笑ましいものを見るような目で私たちを見ていて、ちょっと恥ずかしい。ヘンリーさんはと見ると、すまし顔で完全な貴族のご令息だ。普段の文官様の制服の上に片方の肩につけるマントもあるせいか、いつもより三割は男っぷりが上がっている。


「マイさんに何も贈り物をしていなかったから、俺は今、とても嬉しいです。今夜はこのまま食事に行きましょう」

「あ、イリスに乗る前にちょっといいですか」


 ヘンリーさんのイヤーカフに私の魔力を込めてしまいたい。そのためにブローチをつけてきた。暗い外に出てからブローチを外し、針で指を突いた。「えっ」と驚いているヘンリーさんの前で互いのイヤーカフにごく微量の血を落として魔力を込め、血を拭きとった。

 あれ? ヘンリーさんが啞然としている。引かれたかな。


「不潔と思いました? レストランで蒸留酒を頼んで、血はきっちり拭き取りますね」

「いや、不潔とかそういうことではなく……」

「大丈夫大丈夫。指なら痛くないから。気にしないで」


 イヤーカフを耳につけながらヘンリーさんが笑いだした。


「いいなあ。マイさんにはいつも驚かされます」

 

 笑うヘンリーさんに何が食べたいか聞かれた。「肉を食べたいです」と即答したら「いいですね、はっきりしていて」再び楽しそうに笑われた。この世界の女性はこういう時、なんて答えるのだろう。

 エドモンド宝飾店の二軒先のレストランに入った。私が豚肉のソテーを頼んだら、ごつい肉が運ばれてきた。


 挿絵(By みてみん)

 

 柔らかい。肉の味がいい。この国の肉料理は硬いと思い込んでいたけれど、それは庶民向けの店だけだったのだろうか。


「肉を食べたいときはこの店に来ます」

「さすが美食家。つかぬことを伺いますが、一般的に女性は何が食べたいか聞かれたらなんて答えるものですか?」

「そうですねえ『お任せします』と言う人が多いような。でも俺ははっきり『肉』と即答するマイさんが好きです」

「女性とお食事に行ったことが結構あるのですね?」

「断れない人からの紹介の場合に」

「なるほど。女性と出かけたことが全然ないのかと思っていました」

 

 もぐもぐと豚肉を食べながらそう言ったら嬉しそうな顔をされた。


「それはもしかしてやきもちですか?」

「いいえ。ただ意外に思っただけです」

「なんだ」


 この美形さんはやきもちを焼かれたいらしい。

 だからイヤーカフ経由で伝文魔法を発動した。口元をハンカチで隠してささやいてみる。


「やきもちを焼かせるような男性は苦手です」


 耳元で私の声が聞こえて驚いたのだろう。ヘンリーさんが耳を押さえ、「うわ」と小さな声を漏らした。

 

「これは……。仕事中に突然ささやかれたら、仕事にならなくなる」


 それから意識してお顔を引き締め、氷の無表情になった。しかし耳は赤いまま。


「大丈夫。俺はマイさんしか見えていませんから」

「ふはっ」


 私が笑ったらヘンリーさんも笑う。その後も楽しくしゃべりながら夕食を終えて店を出た。

 イリスに乗ろうとしたら、イリスが上を見上げてソワソワしている。私が上を見ても何も見えない。もう周囲の店は閉店しているし、街灯もないし、お月様もない。屋根の上はとても暗い。

 私にぴったり寄り添ってきたヘンリーさんが緊張感の滲む声を出した。

 

「マイさん、今の見ましたか?」

「私は何も。でもイリスが上を気にしていますね」

「人影が四つ、屋根の上を走って行きました」

「五階建てなのに? あの傾斜のきつい屋根の上を?」

「それはそうなんですが。もうどこにも見えないな」


 私たちはそこで会話をやめてイリスに乗り、『隠れ家』まで送ってもらった。私はそれ以降その会話をすっかり忘れていた。翌々日の朝、ディオンさんと話をするまでは。


「どうしましたか? ずいぶん元気がないですね」

「俺の仕事先で事件があって、えらい目に遭っているんです」


 ディオンさんの話では、壁の塗り替えを受け持っている建物に誰かが侵入して、作業している階を含めて家中を荒らされたらしい。幸い金目のものは置いていなかったらしいが、家具が壊されて壁にペンキをぶちまけられたとか。仕事の依頼主はディオンさんが鍵をかけ忘れたから侵入されたのだろうと怒っているそうだ。


「鍵を持っていたのは俺だから……。俺は間違いなく居住部分に繋がる玄関の鍵をかけて帰ったんです。二階の窓も確認しました。ただ、立ち入っていない三階と四階の窓までは確認しなかったから、俺に責任があるんです。でも、ベランダもない三階や四階の窓から入れるものかなあ。とにかくひたすら謝って片付けと掃除をしてきました」

「遠くの現場?」

「いえ、大通りの建物です。一階が紳士服の店で上が持ち主の住居という建物です」


 ディオンさんを見送り、今日もソフィアちゃんとぬいぐるみで遊んだ。その間ずっと気になっている。エドモンド宝飾店の隣は紳士服の店だった。イリスが気にしていた屋根の上。ヘンリーさんが見たと言っていた屋根を走る人影。

 

「あれ、ヘンリーさんの見間違いじゃなかったんだわ」

「なあに? ヘンリーさんてだあれ?」


 ウサギのぬいぐるみで遊んでいたソフィアちゃんが私を見ている。


「うん、ちょっとね」


 心に浮かんだ疑問を曖昧なままにして後悔したくない。あの場ですぐに感知魔法を放たなかった自分に腹が立つよ。

 お昼になってカリーンさんがソフィアちゃんを迎えに来たときに、思い切って聞いてみた。


「カリーンさん、教えてほしいことがあるの。話したくないことだったら遠慮なく断ってください。ディオンさんの話を聞いてから気になることがあって」

「ディオンの話? なあに? 何でも聞いてください。私とマイさんの仲じゃないの」

「獣人さんたちの社会には、種族を超えた横の繋がりはありますか?  他種族のことで確認したいことがあるんです。この王都に猿型の獣人って、いるの?」

 

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