61 ヘンリーさんがたどり着いた事実
「カルロッタさんはどうやって国王陛下と出会って恋愛できたの?」
「母は洗濯係の仕事中に見初められたと言っていました。あまりに身分の違う二人がどうやって出会って俺ができたのか俺にも不思議です。城内と言えど王子が下働きの女性を見ることも話をすることも、普通はありませんからね。俺は土地の所有者からたどり着きました」
ヘンリーさんは馬の進む方向を変えた。到着したのは広い麦畑だ。十センチくらいに伸びた麦で、畑は遠くまで緑色に染まっている。夕暮れ前の麦畑で馬を降り、促されてあぜ道に腰を下ろした。
「俺が養父に『親戚から養子を迎えてほしい』と頼んだ時、それはもう考えてあるし俺には本来の領地とは別に土地がある、生活の心配はいらないと言われました。そんな土地があるのを知らなかったから、その土地はどこにあって、誰から手に入れたかを調べたのです」
「子爵様には聞かずに?」
「聞いても困らせるだけです。調べた結果、ハウラー子爵家にそんな領地は見つかりませんでした。でも、真面目な養父が嘘をつくとは思えなかったので、城にある全ての領地の記録を、俺が生まれた時期を中心に調べました。半獣人を養子として受け入れても見合うくらいの価値がある領地、という条件で」
ヘンリーさんて、あっちの世界で生まれていても活躍したと思うわ。
「その中に一ヶ所、私の養母の名義になっている領地がありました。王都からは遠く、養母とは全く繋がりのない貴族から譲り受けたことになっていました。時期はちょうど俺が母の中に宿った頃でした。元の所有者の貴族は、当主と跡継ぎがほぼ同時期に流行り病で亡くなっています。その貴族もまた、別の貴族から手に入れていました」
「んんん? 最初の持ち主は誰だったんですか?」
「王家に関係する最初の持ち主は、前国王陛下と親しかった貴族の女性でした。前国王の恋人と噂されていた女性です。女性の死後、その領地は一度第三王子のものになり、第三王子が王太子に繰り上がった時期に次々と所有者が書き換えられて養母の名義になりました」
それだけじゃ国王陛下が父親とは言えないんじゃないかなあ。私が首を傾げていると、ヘンリーさんがわかりやすく説明してくれた。
「第三王子は洗濯係との間に子ができたことで、臣籍に下ると言い張ったか田舎の領地に追い払われる予定だったのでしょう。王子が上に二人いたからそんなことができたのです。ところが上の二人はほぼ同時に死んでしまった」
「ああ……なるほど」
王家を追い出される予定だった第三王子は、急に国を背負って立つことになったのか。
「俺と陛下を結びつける証拠書類は、俺以上に熱意のある人間が現れない限り見つかりません。その領地に関する書類は、全部別の場所に動かしました」
「公文書の隠匿って、結構な罪なのでは?」
ヘンリーさんが首を振る。
「文書保管部屋から出していないので隠匿ではありません。俺が移動させたとバレたら『うっかり戻す場所を間違えた』と言えばいい。見つけにくい棚なので、百年ぐらいそのままじゃないかな。それに、俺に罰を与えようとすれば前国王の愛人の土地に口を出すことになる。そんな誰も得をしないこと、する人はいませんよ」
ぬかりないわ……。
「現陛下が十代のときにできた男児がいて、しかも半獣人だと知られたら……いろいろな考えの忠臣たちが俺と母を始末しようとするでしょう。王家に獣人の血が連なることへの拒否感、次の国王が半獣人と兄弟となることへの拒否感。陛下と母はハウラー家に俺を預けたほうが安全だと判断したのです」
遠くから夕方五時を知らせる鐘の音が聞こえてきた。風が急に冷たくなったような。ヘンリーさんがコートを脱いで私にかけてくれた。
「母は、仲間と暮らしたいからこの国を出るという言い方をしましたが、俺と陛下を繋ぐ線を消したかったのかもしれません。それにしても、当時の陛下も母も十代。正確には十七歳です。若い二人の恋愛の結果俺が生まれたけれど、二人は必死に俺を守ろうとしてくれたのです。もちろん養父母もね」
ヘンリーさんの声は淡々としている。何でもないことのように話しているのが、かえって切ない。
「なんでマイさんが泣くんですか」
「ヘンリーさんを守ろうとした四人の親たちの気持ちが尊くて……」
「それは……ありがとう。俺は自分の生まれ育ちに関しては、もう悲しくはないのです。事実にたどり着いた時、実の両親の愛に触れたような気がして、とても癒されました」
「この世界では一人で生きていこうと決めていた私なのに、ヘンリーさんと出会えたのはとっても幸運でした。ヘンリーさんが生まれてきてくれて、無事に生きていてよかった」
太陽が沈んで、急に暗くなってきた。
「ねえマイさん、ずっと聞きたくて、でも恐ろしくて聞けないでいることがあるんです。今、聞いてすっきりしてしまいたい」
「なんでしょう」
ヘンリーさんは暮れゆく麦畑を見たままなかなか口を開かない。ずいぶんたってからやっと声を出した。
「マイさんは、元の世界に戻りたいですか?」
「そのことでしたか。懐かしむ気持ちはたくさんあります。でも戻るつもりはありません」
「どうして?」
「理由のひとつ目は、ヘンリーさんを置いて帰れないこと。二つ目、おばあちゃんから貰った魔法の中に世界を飛び越えるための魔法が見当たらない。三つ目、その魔法は私には危険すぎる」
指を折りながら答えた。スラスラと答えられるのは、散々考えたことだから。
「あちらに戻る魔法が見つかったとしても、私はお尻に卵の殻がくっついてるようなひよっこ魔法使いだもの。今の状態で難しい魔法を成功できると思うほど甘ちゃんじゃありませんよ」
「それだけ?」
「せっかく生き延びさせてもらったのに、その魔法に失敗したら死ぬかもしれないんですよ? もっと恐ろしいのは、また別の世界に飛んでしまうかもしれないこと。そんなのごめんです。こちらでヘンリーさんと笑って暮らす方がずっといい。おばあちゃんだって私にそうしろと言うはずです」
ヘンリーさんが無言で立ち上がった。(帰るのかな?)と思ったら、私の後ろに座った。長い脚の間に私を挟んで、後ろから腕で包んでくれた。体温が高いから温かい。
「この世界に来たばかりの頃は、意識して笑顔で暮らしていました。でも、心の隅っこでは奪われ続ける自分の人生に絶望することもあったんです。両親と別れ、自分の人生も二十五で終わると言われて。生き延びるために祖母とも愛猫とも別れた。なんで私ばっかりって思いました。でも、今は違います。ヘンリーさんがいる。私はこの世界で、笑って生きていくの」
ヘンリーさんがぽそりとつぶやいた。
「こんな素敵なマイさんを誰にも盗られたくない」
「盗られませんて」
そこから二人で無言で麦畑を見ていた。薄暗かった麦畑は、やがて夜の中に溶け込んで見えなくなった。
「ヘンリーさん、帰りましょう」
「ええ、帰りましょう」
立ち上がったところでヘンリーさんが顔を寄せてきた。私の唇にヘンリーさんの唇がそっと置かれて、すぐに離れた。何事もなかったかのような顔で馬に乗るヘンリーさんは無言。
イリスの背の上で(照れているのだろうか。だとしたら可愛いなあ)と思い出し笑いをしていたら「笑いすぎです」と背後から注意された。
店に到着し、夕飯に誘った。ありあわせの材料でアラビアータを作って二人で食べた。
「ヘンリーさん、私、魔法の腕を磨きます。私もロージーさんみたいに自分の魔法の腕に誇りを持って生きたい。人生はいつ終わるかもわからないんだもの、やりたいことをして生きたい。魔法使いだと大声で広めるつもりはありませんが、必死に隠すのはやめようと思うんです。この世界の人間として、誰かの役に立ちたいの」
ヘンリーさんは少し間を置いてから優しい声を出した。
「マイさんには笑っていてほしいのです。やりたいことをして笑顔でいてください。それにしても……俺と同じ年齢なのに、マイさんはいつもそんな覚悟をして生きているんですね」
「目の前に死が迫った時の後悔は、たぶん一生忘れられないと思います。大人しく引っ込んでいられない性格でごめんね」
「マイさんの性格は薄々気づいていましたから謝らなくていいんですよ。マイさんはずっと我慢していたら、いつか破裂してしまいそうだ。俺はそのほうがよほど恐ろしい」
二人で食後のコーヒーを飲んだ。
「私、昼が夜に変わるまで麦畑を眺めた今日のことも、一生忘れないと思います」
「俺もです」