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6 酒場ロミ

 閉店後の店で、私は魔法を使っている。

 一ヶ月ほど前から、魔法で米油こめあぶらを生み出せるようになった。原料は米糠こめぬかだ。

 お米は王都よりもっと南の地区で栽培されているらしい。王都まで運ばれてから精米され、その際に出る米糠は肥料として売られている。


 木箱にたっぷり入った米糠に向かって魔力を放つ。かつて使っていた米油をイメージすると、少しして瓶の中に米油が生まれる。ガラス瓶の中に透明な油がみるみるうちに増えていく様子は、何回見ても魔法みたいと思う。本当に魔法だけども。


 米糠には私が予想していたよりもずっと多くの油が含まれていた。最初に油を取り出したとき、すごい勢いで瓶からあふれたものだ。「もったいないっ!」って思わず叫んだっけ。

 後日、油を取り出す前と後に米糠の重さを天秤で計ったら、なんと米糠の二割は油だった。そりゃ肥料になるわ。


 米油を使って揚げたものは軽く、お客さんたちに人気だ。ドレッシングもマリネも炒め物も、好みの風味になった。


「さて、出かけますか」


 最近は夜に出歩くことが増えた。いや、正直に言うと毎晩出かけている。

 王都に住み始めた最初の頃こそ「夜は危険」と用心して家の中に引きこもっていた。

 だけど全く音がしない家に一人でいると、この世界で自分がひとりぼっちの異分子であることを思い知らされる。


 メッセージのやり取りをする相手も、お茶をしながらおしゃべりする相手もいない。お客さんと会話をするけれど、それは私が求めている会話とは違う。

 テレビやラジオがやたら恋しくて心が折れかけて、自分で「これはまずい」と慌てた。この世界で心を病んだら、すがるところがない。


 そのうち自分が人恋しいことに遅ればせながら気がついた。酒場通いが始まったのはそれからだ。

(夜道で襲われたら水魔法でぶっ飛ばしてやる。それでだめなら火魔法だ)と覚悟を決めて出かけたら、夜遊びは本当に楽しかった。それ以降は毎晩出かけている。


 ぱっと見で女とわからないよう、コートのフードを目深にかぶって出かける。最初のお出かけのとき、女性一人でも安全そうな店を探し回った。女性店主が仕切っていて、ランプがたくさん吊るされている明るい店を見つけた。店名は『酒場ロミ』。今ではすっかり常連だ。店名のロミは女性オーナーの名前だ。


 ロミに向かっていると、あちこちから猫が現れた。王都の猫たちは自由に家の中と外を行き来している。その猫たちが『なにかくれる?』という顔で私を見上げる。この子たちは最初に会った時からこうだった。私の身体に食べ物の匂いが染みついているのだろうか。


「いいものがあるよ。ほんのちょっぴりずつよ」


 ポケットから大きな葉っぱで包んだ鶏胸肉を取り出すと、近くで様子見していた猫たちがわらわらと姿を現す。肉を少しずつ裂いて差し出すと、猫たちは私の指を噛まないように、しかし実に素早く胸肉を咥えて下がり、その場でハグハグと食べる。


 胸肉はすぐになくなる。未練がましく私の手を舐める猫もいて、たっぷりと癒される。「バイバイ、また明日ね」と声をかけて立ち上がり、再び店に向かう。

 店に入ると、店主のロミさんが笑顔で近寄ってきた。

 

「マイさん、今夜は何にする?」

「麦の蒸留酒を。それから干し肉と、青豆の塩ゆでがあればそれで」

「はいはい。ちょっと待ってね」


 ここに来ると人恋しさがいっとき治まる。

 たまに酔客が声をかけてくるけれど、ロミさんは私が出会いを望んでいないことを知っているから「この人はお酒を楽しみに来ているのよ」と穏やかに伝えて私を守ってくれる。


 お代わりしながらのんびり蒸留酒を飲んでいたら、ガヤガヤと賑やかな男性のグループが入って来た。

(潮時ね。もう帰ろう)と立ち上がったところで、後ろから声をかけられた。


「マイさん?」


 私を知っている? と驚いて振り返るとヘンリーさんだった。

 いつもは文官の制服とマント姿なのに、今は白いシンプルなシャツとグレーのジャケット、黒いズボン。マントも身につけていない。普段はきっちり撫でつけている髪も少し乱れている。制服のときよりも若者らしい雰囲気だ。

 

「マイさん、もしかして一人ですか?」

「ええ。いつも一人で来ています。ここはお気に入りのお店なの」

「そうですか……」


 そこでヘンリーさんが首をかしげた。私の前に置いてある干し肉と青豆を見ながら真面目な顔で私にささやいた。


「ここは、マイさんが通うほどつまみが美味しいのでしょうか?」

「どうでしょう。他のお店を知らないからわかりません。でも私はここのおつまみを気に入っていますよ」

「そうですか」


 ヘンリーさんが真顔で返事をしたところでお仲間に呼ばれた。「お邪魔しました」と仲間のところへ戻っていく。私は代金をカウンターに置いて店を出た。

 

 歩き出して少しすると、背後から走ってくる足音。

(あれ? 悪いヤツに目をつけられたかな?)と振り返ると、連なる店の明かりに照らされて駆けてくるのはヘンリーさんだった。走り方がとても美しい。しなやかで無駄のない、実に優美なフォームだ。 

 私の前まで走ってきても、呼吸が全く乱れていない。へえ、すごいね。

 

「どうしたんですか?」

「隠れ家まで送ります」

「いえいえ。一人で大丈夫ですよ。お仲間と一緒に飲んでいてくださいな」

「いいえ、ダメです。夜に女性一人は危ない」


 心配して走って来てくれたのに断るのも角が立つか。

 

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせてください」


 ヘンリーさんが「そうしてください」と言ってからは、しばらく二人とも無言で歩いた。私は軽く酔ってご機嫌だから無言でも気にならないが、まだ飲んでいないヘンリーさんは気まずかったらしい。ヘンリーさんのほうから話しかけてきた。


「あの店にいつも行くのですか?」

「行きますね。週に何回も通っています」

「何回も……」

「はい」


 本当は週に七回通っているけど、さすがに恥ずかしくてちょっと嘘をついた。そこから再び沈黙の時間。ヘンリーさんはなにやら考え込んでからまた話しかけてきた。


「マイさんはお酒が大好きなのですか?」

「飲まなくても平気ですが、夜に家で一人きりでいるのが少し苦手なんです。短い時間でいいから人の気配にひたりたくて」

 

 視線を感じてヘンリーさんを見上げると、もの問いたげな目が私を見下ろしていた。


「マイさんに何かあったらご家族が心配するのでは?」

「私は一人暮らしですし、両親は私が子供の頃に亡くなりました。以前はオーブ村の農家に居候していたんです。でも、そこのご夫婦が引っ越すことになったので、王都に出てきました」


 私、酔っているな。余計なことまでしゃべってる。


「そうでしたか。立ち入ったことを聞いてしまって、申し訳ありません。私の予想とは全然違っていて驚きました。てっきり王都生まれで裕福な家のお嬢さんだとばかり……」


 裕福な家のお嬢さん? どこでそう思った? 女の一人暮らしで裕福と思われたら危険だから、『隠れ家』はあえて簡素なしつらえにした。私は清潔だが質素な身なりを心掛けている。でも酔っている今は、それを質問したら墓穴を掘りそうな気がする。


 また無言で歩く。猫が出てこないことに気がついた。いつもは帰り道にも必ず何匹かは甘えに来るのに。珍しいことだったので辺りを見回しながら歩いた。


「どうしたんです?」

「猫が出てこないんですよ。帰りはいつもこの辺りで猫が寄ってくるのに。今夜は集会でも開いているのかしら」

「猫が好きなんですか?」

「大大大好きですよ! 猫と暮らしたいとしょっちゅう思います。でも、踏み切れません。猫と暮らしたら絶対にのめり込んでしまうから、死なれたりいなくなられたりした時に耐えられないだろうなと思ってしまって」

「そうですか」


 相変わらずヘンリーさんは無表情だが、今までで一番たくさんしゃべった。ヘンリーさんも猫が好きなのかな。好きだといいな。猫談義をする相手が欲しい。

 前方に『隠れ家』が見えてきた。


「ヘンリーさん、送ってくれてありがとうございました。お仲間が待っているでしょうから、もうここで」

「ここまで送ったのですから、ドアを開けて家に入るまで見届けさせてください」

「……はい」


 この人は案外心配性で世話焼きさんだ。ドアの前で足を止めた。

 

「おやすみなさい、ヘンリーさん。送ってくださってありがとうございました」

「おやすみなさい。忘れずに鍵をかけてくださいね」


 背の高いシルエットを見送り、入道雲のシャワーを浴びてから暖炉の前で椅子に座った。店の暖炉に火魔法を放つと、ボッと音がして乾いた薪が燃え上がる。続けて指先から弱い風を送る。パチパチと火花を散らして炎が大きくなった。

 帰り道は猫たちに会えなかったけれど、ヘンリーさんとおしゃべりできたのは楽しかった。

 

「酔い覚ましにジンジャエールを飲もうかな」


 ワインの空き瓶に魔法で冷水を入れて置き、蜂蜜とショウガがあるのを確認して変換魔法を放つ。二酸化炭素は空中の物を使えばいい。


「ジンジャエール」


 ワインの空き瓶の中の水は、変換魔法でジンジャエールになった。たくさんの小さな泡が瓶の中で生まれている。蜂蜜とショウガは使った分だけ減っているはずだ。

 最近は瓶の容量ぴったりに生み出せる。私、魔法のセンスがあるんじゃないかしら。

 ジンジャエールはすっきりと甘く、炭酸が喉を刺激しながら滑り降りていく。

 

 私は今日も元気に生きている。まさかの魔法使いになった。少しずつこの世界の知り合いも増えている。お客さんには毎日「美味しかったよ」と喜んでもらっている。それで十分幸せなはず。

 なのに、この世界の夜が静かすぎて途方に暮れるよ。

 

 しばらく暖炉の火を眺めてから寝室に上がった。魔法使いになっても、一人ぼっちの夜は寂しい。

 寒い夜はよけいに人恋しくなるから、この世界で初めて迎える冬が厳しくないといいなと思う。


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