58 暗黒魔法と鯛焼き
ディオンさんによると、獣人さんたちの船は無事に修復されたらしい。ディオンさんの知り合いも修理に参加していたのだとか。
船が直ったのでカルロッタさんが出国する。ヘンリーさんは寂しがるだろう。そしてそれを寂しいと言える相手は、事情を知っている私だけだ。それが切ない。寂しい気持ちを私がいくらでも聞いてあげようと思う。
船が出港する前の日に、カルロッタさんに二人で会いに行った。カルロッタさんはヘンリーさんに「港までは絶対に来ないで」と繰り返した。「最後の最後にお前と私の関係を知られたら、ここまでの努力が無駄になるから」と。
「わかった。行かないよ」
「そうしておくれ。ヘンリー、どうか元気でね」
「母さんもね」
別れの場面に立ち会って、号泣していたのは私だけだった。二人は穏やかに微笑んでいる。
「どうしてマイさんがそんなに泣くんですか」とカルロッタさんに驚かれ、ヘンリーさんにも「アルセテウス王国と国交が開かれたのですから、私もいずれあの国に行くこともあるでしょう。だからそんなに泣かないで」となだめられた。
「気にしないで。私、涙もろいの」
涙を拭いつつそう言ったが、親子の別れはやはり堪える。両親を失ったときの私とおばあちゃんを思い出してしまうのだ。
カルロッタさんと別れた帰り道、歩きながらいろいろ教えてもらった。あちらへの赴任手当が充実していたこともあり、魔法使いは魔法部に立候補者がいたそうだ。
「あちらに渡る魔法使いは魔法部では最年長の人です。新天地で活躍したかったのかもしれません。妻子を連れて行くそうです。同じ理由で文官も一名立候補者がいました。できれば私を送りこんでほしいという要望があちらの文官から出されたそうですが、私が断る前に宰相が断ったそうです」
「有能な人を手放したくなかったんでしょうね」
「どうかな。あちらに行く文官はとても有能な人ですから、私は安心しています。その文官も妻子と一緒に行くそうです」
ヘンリーさんを要求されていたと知って、(そうか、そんな理由でいなくなることもあるんだ)と思う。別れはいろんな形で身近なところに潜んでいる。会えるときは会っておくべきなのね。
「任期は三年でしたから、私に行けと命じられたら、どんな手を使っても断るつもりでした。マイさんを置いて三年なんて論外です」
「もしヘンリーさんがどうしても断れなかったら、私も一緒に行ったかもしれません」
「私は行く気がありませんし、マイさんが大切にしている店を手放す必要もありません。うん? マイさん? なんでそんなに笑っているんです?」
何度も聞かれたけど答えなかった。最近のヘンリーさんは私を大好きな気持ちを隠そうとしない。それが可愛いと思う。
店の前まで送ってもらい、最後まで「教えてくれないんですか?」と文句を言うヘンリーさんにおやすみなさいを言って別れた。結構な告白をしたのに聞き逃しているヘンリーさんが面白くて、ずっと笑いが止まらなくて困った。
三回目の魔法の授業では、レッスンの最初にグリド先生の前で伝文魔法を放ってみた。白いイガイガがちゃんと空中に現れた。
「さすがはリヨルの孫だ。この短期間に習得できるとはたいしたものだよ。伝文魔法を正しく思い描くことができている。魔法使いですら勘違いしている者が多いが、魔法は願いと想像力が重要なのだよ」
「願いと想像力……」
「心の中に『こうしたい』『こうなれ』と強く思うことが魔法を成功させる力になる。慣れれば想像する過程は省くことができるのだがね。火魔法や水魔法などの四大魔法を皆が間違えずに使えるのは、その様子を経験上想像しやすいからだ」
そうか。願ったり想像したりすることが魔法の引き金なんだね。あっ、だったら……。
「グリド先生、私が育った場所では、大昔には呪術というものがありました。誰かを呪うことに使われていたもので、相手の爪や髪の毛を使うこともあったようです。もしかしたら呪術は魔法の一種だったのかもしれませんね」
「それはこの世界の古代に存在した暗黒魔法と同類だろうな」
暗黒魔法とはまた、名前からして怖そうな。
「例えば誰かを憎み、何千回何万回とその相手の不幸を願ったとしよう。最悪、相手の死を望むわけだ。黒い感情は積み重なって、やがて力となる。我々の使う魔法は願いや想像力を必要とし、暗黒魔法は憎しみの感情を必要とする。爪や髪の毛を必要としたのは、対象を特定するためだろう」
「そこまで誰かの不幸を願わずにいられない時点で、呪う当人は不幸ですよね」
グリド先生がうなずく。
「その通りだ。他人の不幸を願う暗黒魔法は、それを発動する当人を不幸にする。負の感情は次第に形と力を持って暗黒魔法を使う人をのみ込むようになる。のみ込まれた魔法使いは、もっと誰かを恨むようになる。不幸は拡大と増殖を繰り返す。そうやって暗黒魔法使いは自滅していくのだ」
陰陽師が人を呪殺しようとするとき、呪い返しに遭って自分が死ぬことを覚悟してたと教わったことがある。『人を呪わば穴二つ』は相手と自分の二つ墓穴が必要になるという意味だと、古文の先生が言っていた。
「マイ、魔法は自分を含めた誰かの幸せのために使うものだ。誰かの不幸を願って魔力を使ってはいけないよ。豊かな魔力を持つ者ほど、それを肝に銘じるべきなんだ」
「心に刻みます」
おばあちゃんは「マイ、笑って生きるんだよ」と、私の幸せを願って送り出してくれた。おばあちゃんは魔法の真髄を正しく理解していたんだね。
「私は城の魔法部を案じている。魔法部は高魔力保有者を集め、実用性ばかり重視している。実用性は結果であって目的ではない。魔法使いが一番大切にすべきは、何ができるかではなく誰のために何をしたいか、だよ」
「魔法を戦争に使うようになったら大変ですよね」
「その通りだ。少し休憩しようか。重い話は疲れるな」
「いま、祖母の好物をお出ししますね」
作っておいた鯛焼きをお皿に載せて配った。
「面白い形だね。中身はなにかな?」
「中には甘く煮た豆が入っています。祖母の大好物です」
「まあ、豆を甘く煮るの? 初めて食べるわ」
「私もだ。どれ。ほう……。尻尾の部分がカリカリだ。甘い豆もこれはこれで旨いな。これがリヨルの好物か」
「はい。近所にこのお菓子の専門店があって、よく買って食べていました」
「これはどうやってこの形に焼いたのかね?」
厨房から一丁焼きの鯛焼き機を持ってきて見せた。
「これも変換魔法で作ったのだね?」
「はい」
「この菓子を売ってくれるかい? 明日も食べたい」
「売るだなんて。あるだけお持ちください。それより私は先生に授業料をお支払いしなければと思っていたところです」
「マイさん」
サラさんが私に向かって首を振る。
「こうしてマイさんに魔法を教え、リヨルの話を聞くことが、旦那様の一番のお楽しみなんです。どうぞ授業料なんておっしゃらないで」
「でも、それではあまりに……」
今度はグリド先生が首を振る。
「対価は君の上達だ。私が教えられる時間はそんなにないぞ。どんどん魔法を覚えなさい」
「わかりました。頑張ります。そうだ、先生に見てほしい物があるんです」
グリド先生に色を塗ったテントウムシを見せた。
「あの白い光は目立ちすぎますし、声も周囲の人に聞こえてしまうでしょう? なるべく目立たない形で伝文魔法を使いたいのですが、どうやったらいいのかわからなくて」
「ふむ。このテントウムシを介して伝文魔法を使いたいのか。それなら暗黒魔法の手法を使えばいい」
グリド先生が楽しそうな顔になった。
「長年研究してきたことが役に立つのは、なんとも楽しいものだな。マイ、このテントウムシに君の魔力を込めればいいんだよ。君の血を一滴使いたいのだが、できるか?」
「一滴なら平気です。裁縫箱を持ってきます」
裁縫道具を二階から持ってきて針を取り出した。
「テントウムシに血を垂らしてごらん。ほんの少しでいい。そう、それでいい。それからテントウムシに魔力を注ぐのだ。感知魔法のときのように、ゆっくり魔力を流し込め」
「できた、と思います」
「魔力を流し込んだら、もう血は拭き取ってもかまわん。血は魔力を通すドアを開ける鍵だ。ドアを開けた後はもう必要ない。ではこのテントウムシをここに置いて、君は離れた場所でこのテントウムシを思い浮かべながら伝文魔法を放ってごらん」
「はいっ!」
外に出て伝文魔法を発動する。頼む! 成功して! と願いながら小声を出した。
「グリド先生、聞こえますか」
『ああ、聞こえる。これで白い光を出さずに会話できるぞ。君が伝文魔法を放っている間は互いに会話ができる』
うおお。グリド先生のお陰で、あっという間にテントウムシ型トランシーバーが完成したわ。
「暗黒魔法を使おうと思いつくなんて、先生はすごいですねえ」
「ふふふ。だがね、テントウムシを作らずとも目立たない形の伝文魔法は使えるがな」
「へ?」
「魔法は思い描くことだと言ったじゃないか」
グリド先生が手のひらを上に向けて伝文魔法の呪文を唱える。先生の手の上に突然テントウムシが現れた。テントウムシは羽を広げて飛び立ち、差し出した私の手の上に着地した。
「伝文魔法を放つときにテントウムシをイメージすればいいことだろう?」
「わ……」
私がテントウムシを消さない限り、ずっと会話できるらしい。そこからまた「ガーッといってパーン!」方式の伝授が始まった。
「ただし、テントウムシであれチョウチョであれ、魔力で形を保っておくことはそこそこの魔力を消費する。マイは高魔力保有者だから問題ないだろうが、それでも魔力は無駄に消費しないほうがいい。いつ何時魔力が必要になるかわからんからな。頻繁に会話するならやはり物を介したほうがよさそうだ。ヘンリーとたくさんしゃべりたいのだろう?」
「はい。えへへ」
伝文魔法を一瞬だけ使う相手なら魔力で何かの形を作り、頻繁に使う相手なら魔力を込めた物を使ったほうがいいってことか。
その日から私は、夢中になって伝文魔法を練習している。私の魔力を封じ込めたテントウムシをヘンリーさんに持っていてもらって、トランシーバーみたいにおしゃべりできたら嬉しい。電源のオンオフは私にしかできないのがちょっと残念だけど、贅沢は言うまい。
みっちり練習していてハッと気がついた。これ、テントウムシにこだわる必要ないんじゃない? ヘンリーさんが身につけていられるものなら、カフスでも指輪でもいいじゃないか。何の形がいいかはヘンリーさんに聞いてみよう。
「おばあちゃん、魔法は楽しいねえ。私を魔法使いにしてくれてありがとう」
伝文魔法の白い光の代わりに子ウサギを何匹も床に出しながら、おばあちゃんを思った。