57 リーズリーさんの提案
夜の七時、ジュゼル・リーズリーさんが『隠れ家』にやってきた。
すでに『隠れ家』にはヘンリーさんとヘンリーさんが声をかけたグリド先生とサラさんが集まっている。リーズリーさんは一歩店に入り、三人が自分を見ていることに気づいて足を止めた。
「グリド先生ではありませんか。サラさん、それに筆頭文官まで。どうしたのです?」
「リーズリーさん、あなたはマイさんに何の話をするつもりですか?」
「君に説明する必要はないだろう? ハウラー筆頭文官」
ヘンリーさんがさらになにか言おうとしたのを手で止めて、グリド先生が声をかける。
「ジュゼル。マイは私の弟子だ。お前の妹弟子なのだよ。お前が魔法の話を彼女にするのを、私が聞いても問題はなかろう?」
「先生の弟子? ええ、そういうことでしたら何も問題はありません」
「ではそこに座りたまえ。ヘンリーの同席は私が許す。いいな?」
「先生がそうおっしゃるなら」
そこからリーズリーさんが話した内容は、半分は予想通りで半分は驚きの内容だった。全部聞き終わってから、グリド先生が呆れたような顔になった。
「なるほどな。ジュゼル、お前はマイを魔法部の一員として登録し、古大陸へ送ろうと言うわけだ」
「はい。昼にここを利用して、彼女が優れた魔法使いだと気づきました。アセルテウス王国には魔法使いが一人もおりません。彼女なら必ずやあの国の希望の星になりましょう」
「そういうことなら彼の国を知っているお前が行って、希望の星になればいいだろう。この国の魔法部はもう、お前なしでもなんとかなる」
「いいえ。あの構造を理解しているのは私だけですので、私がいなくては瞬間移動用魔導具が完成しません。完成まであとほんの少しなのです」
待て。私の意見も聞かずに話をするな。
私が少々腹を立てていたら、ヘンリーさんが冷凍庫のロックアイスみたいな硬く冷たい表情でリーズリーさんに話しかけた。
「失礼。私の意見を述べさせてください。筆頭文官としてではなく、彼女とお付き合いしている者として意見を述べます。リーズリーさん、肝心のマイさんの意見を聞いてみましょう。マイさんの意見を聞かずに話を進めるのは論外です」
その通り。私を無視しないでほしいわ。リーズリーさんは私を見て、私が古大陸行きを同意すると信じているような明るい表情で質問する。
「君の素晴らしい魔法の腕を、新天地で発揮しないか? 君はおそらくポーションも作れるのだろう? あの国に渡れば両国の役に立てる。あちらの国の褒美はおそらく高額になるぞ。あちらの国民にも感謝される。どうだね?」
「お断りします。褒美は全く欲しくありません。国のために働くべきなのは、お城の魔法部の方々であって私ではないはずです」
「その通り」
真剣な話し合いの途中なのに、ヘンリーさんが絶妙なタイミングで同意するから、思わず吹き出しそうになった。だめだ。私、疲れ過ぎていて笑いのハードルが低くなっているわ。
「ちゃんと聞いてくれ。魔法部は今、重要な魔導具が成功しそうなところなのだ。ここで人員を減らしたくない。それに君も魔法使いなら、新たな魔法の完成に興味はあるだろう?」
「興味ありません。私がお城の魔法部のために『隠れ家』を捨てるなんて、絶対にお断りです」
目を剥くリーズリーさん。この人、悪気はないんだろうね。そんな気がする。熱烈な愛国主義者なのだろうか。それとも私の感覚がこの世界の人とズレているのだろうか。グリド先生がため息をついた。
「すまんな、マイ。ジュゼルは両親を早くに亡くしていて、餓死しかけているところを前の宰相に拾われて育てられたのだよ。その生い立ちのせいで国に対する忠誠心が強すぎるのだ」
そういう事情か。でも古大陸行きはお断りですよ。
「リーズリーさんが前宰相様を喜ばせるために、成果を上げたいお気持ちはわかりましたが……」
「前の宰相ならとっくに死んどる」
グリド先生やめて。「もう死んでるから気にすんな」みたいに軽い言い方をするから、不謹慎にも吹き出しそうになったでしょうが。今笑い出したらきっと止められなくなる。
「んんっ。失礼しました。リーズリーさんのご希望には沿えません。私はここで、この店とお客さんを大切にして暮らしたいのです。どんなに望まれても、そこは譲れません」
「なんともったいない。この店のテーブルも椅子もコップも食器も、全て魔法で作ったのだろう? これだけのことができるあなたは、素晴らしい腕前の魔法使いなのに」
「絶対に嫌です。行きません」
「なっ!」
「マイさんは古大陸には行きません。諦めてください。獣人国への出向は、魔法部から出すのが筋です」
冷凍庫の氷がリーズリーさんの意見を斬って捨てた。
うんうんとうなずく私とグリド先生とサラさん。リーズリーさんは「ふう」とため息をついてうなだれている。可哀そうだけど、私は行きませんよ。ヘンリーさんやソフィアちゃんや『酒場ロミ』や大切なお客さんと別れたくない。私は立ち上がってわざと明るい声を出した。
「決まりですね。さあ皆さん、お茶にしませんか? クリームたっぷりのお菓子があるんです」
「ぜひ食べたいな」
「俺も食べたいです」
「私もお願いいたします」
それを聞いたグリド先生、ヘンリーさん、サラさんが即答した。リーズリーさんからの返事はないけど、一応彼にも出そう。
シュークリームはみんなに喜ばれた。お昼に食べたはずのリーズリーさんも食べている。今まで声を出さず影のようにグリド先生の脇に控えていたサラさんが、頬をほんのり染めて喜んでくれている。よかった。
「マイさん、これも彼女に習ったの?」
「はい。つきっきりでコツを教わりました。この皮と中のクリームは、少しずつ変えることでかなりの種類を作れます」
「まあ。旦那様、お聞きになりましたか?」
「聞いていたとも。毎週ここに通っていれば、また食べられる。楽しみにしていような」
「はい!」
あら。前よりも甘い雰囲気が増している。この二人の間に何か変化があったのかしら。
リーズリーさんは諦めたらしく、シュークリームを食べて大人しく帰って行った。グリド先生とサラさんも帰った。残ったのはヘンリーさんだけ。
「ヘンリーさんがグリド先生に連絡してくれて、助かりました。先生がいなかったらもっと粘られた気がします。でも、筆頭文官のヘンリーさんが私をかばってもよかったの?」
「私がマイさんとお付き合いしていることは隠すことではないので、恋人として文句を言う分には何も問題ありません」
氷の表情を残したまま言い切るヘンリーさんはとてもかっこいい。
「無理やりにあなたを古大陸に送り込もうとしたら、ありとあらゆる手段を使ってリーズリー氏の案を潰してやろうと思っていましたが、案外あっさり諦めましたね」
ありとあらゆる手段って、この人百パーセント本気で言ったわ。
「それと、マイさんの態度も少し意外でした。マイさんは優しいから、あんなにはっきりとは断らないと思っていたのです。リーズリーさんの人柄は知っていましたから、これは俺が駆け付けなければえらいことになると冷や汗をかきました」
「あー……。たぶんヘンリーさんは私を誤解しています。私、実はとても気が強くてですね……」
「マイさんが気が強い?」
不思議そうな顔だ。そうなのだ。私はヘンリーさんの前でかなりの猫を被っている。
「ヘンリーさんは常連のお客様だったから、私、その延長で大人しく控え目にしていました。でも、素の私はかなりのじゃじゃ馬です。どうしても許せないことがあった時、男の子三人を相手に喧嘩をして引き下がらなかったこともありました」
「ほおお。では、これから素のマイさんを見られる楽しみができましたね」
ヘンリーさんは夕飯を食べていくのかなと思ったら、忙しそうに立ち上がった。
「ゆっくりしたいのは山々ですが、城に戻ります。今日中に終わらせたい仕事があるので」
「ちょっと待ってね。今、店にある物をパンに挟みます。お城で食べてください」
夕方の営業で作った唐揚げとマッシュポテトのサンド、パスタサンドを手早く作って持たせた。馬に乗って去っていく背の高いシルエットを見送り、「さすがに限界。電池が切れたわ。今夜はもう寝よう」と独り言を言ってベッドに潜り込んだ。