56 ランチバイキングとあの人
ヘンリーさんが夜に訪問した二日後の朝。
ソフィアちゃんと裏庭で遊んでいたら、シャンシャンシャンと鈴が鳴った。
「ソフィアちゃん、こっち!」
「なあに?」
返事をする余裕もなく、ソフィアちゃんを横抱きにして厨房に駆け込んだ。すぐドアに鍵をかけた。鳴子の結界も消した。ソフィアちゃんに服を渡して窓の外を見る。ドアの外に誰かが立っている。
「急いで着替えてね。誰か来たわ」
「わかった」
服を着ているソフィアちゃんを厨房に置いて、ドアに駆け寄る。男性二人がドアの前に立って、今まさにノックするところだった。ヘンリーさんと同じ文官服だ。
「おはようございます。開店は十一時です」
「いえ、昼食時の貸し切りができないか、確認に来たのです。人数は二十人です」
「明日ならできます」
「では明日の十一時、二十名で予約をいたします。料理は多めに用意してください。予算はこれくらいで」
「ちょ、ちょっとお待ちください。立ち話ではなんですので、こちらへどうぞ」
入ってもらって詳しい説明を聞いた。文官さんたちは獣人さんたちに付き添って王都を案内する役目の人だった。獣人さんたちは集団で移動しているので予約なしで二十名が一度に入れる店は少なく、昼食場所の確保に苦労しているそうだ。
「来るのは獣人の船乗りたちです。陽気な人たちで、決して荒っぽいことはありません」
「そうでしたか。うちは歓迎いたします。どうぞ安心していらしてください。何かご希望のメニューがありましたら対応いたします」
「そう言ってもらえると助かります」
獣人さんたちの好みを聞いたら野菜が好きな人、肉類が好きな人、魚料理が好きな人、いろいろだった。
「では、ご自身で好きな料理を取りに行く形でも大丈夫ですか?」
「立食形式ですか?」
「いえ、お席はご用意します」
話し合いの結果、バイキング形式で食事を提供することにした。こちらでは席がある状態で食べ放題の習慣がないそうだ。夜会だと立食形式が普通なんだとか。
私は『喫茶リヨ』で忘年会や結婚式の二次会を何度も経験していて、バイキング形式にも慣れている。一人で全部準備するのは初めてだけど、今は魔法がある。どんとこい!
ソフィアちゃんをカリーンさんに引き渡してから、猛然と働いた。「明日の昼は貸し切り」の貼り紙をしてからメニューを決め、買う食材をリストアップし、下ごしらえを続ける。合間に夕食の営業もして、夜遅くに「疲れた」と思いながらベッドに入った。充実感のある疲れだ。
朝は市場が開く時間の前に起きて、大量の買い物をした。野菜をたくさん買っていたら、店の奥から走り出てきたのはカリーンさんだ。
「大量の買い物をしているお客さんがいるって聞いたから見てみたら、マイさんじゃないの。荷車なんて引いてどうしたの」
「今日の昼が貸し切りなの。船乗りさんだそうなので、たくさん食べると思って」
「もしかして、あの獣人の集団?」
獣人の集団だと言っていいのかどうかわからないから微笑むだけにした。
「お客さんのことは言えないわよね。わかったわ。こんなにたくさん買ってくれてありがとう。おまけしてもらうわ。店長! いいですよね?」
私が「え? え? いいですって」と言っているうちに話が決まり、青菜十束がサービスになった。その上、今日はソフィアちゃんを近所の友人に預けるから安心してほしいと言う。急な話なのに預け先を変えさせて申し訳ない。
「気にしないで。それより、獣人の食事を作ってくれてありがとう」
カリーンさんはそう言って私の手を両手で包んでくれた。カリーンさんたちが獣人であることは知っているけれど、そのことについては話し合ったことはない。ディオンさんと話しただけだ。でも、船乗り獣人のために料理することを感謝された。仲間意識、かな。
大量の料理を作り終えて、いよいよ十一時になった。二十名の獣人さんたちは文官さん二人と魔法部の制服を着た男性を先頭に来店した。獣人さんたちはガヤガヤと陽気におしゃべりしながら店内を見回している。
船乗りさんたちは皆体格がいい。人数は普段の忙しい時と同じなのに、店内が大混雑しているように見える。
「いらっしゃいませ。本日はお好きな料理をお好きなだけお召し上がりください。何度でも、料理がある限りお代わり自由でございます」
「おおお、豪気だな」「楽しみだ」「いい匂いだ」
野太い声があちこちから上がる。カウンターの手前に細長いテーブルを置いてある。カウンターの上と急ごしらえのテーブルの上に、二段に料理を並べた。細長いテーブルと料理を盛る大皿は変換魔法で作った。
メニューはラム肉とりんごのソテー、唐揚げ、白身魚のムニエル、豚肉の生姜焼き、甘口トマト味の麵、海の幸の麺、温野菜サラダ、野菜たっぷりスープ、この国のお芋のマッシュポテト、パン。デザートはクッキーとシュークリームだ。昨夜、ほぼ徹夜で準備した。さあ、おなかいっぱい食べてもらおうか。
獣人さんたちは船乗りなだけあって体格がいい人ばかり。どんどん料理が消えていく。そっと感知魔法を放ったら、赤、青、オレンジ、緑の四色だった。
お客さんたちはあれこれと大皿に料理を盛り付け、笑顔で食べてはお代わりをする。料理が空になりそうになったら追加する。厨房には追加分の料理が揚げるだけ、温めるだけ、焼くだけになってスタンバイしている。
料理を出す、追加する、作る、片付けるを繰り返していたら、一人の四十代くらいの男性が暖簾をめくって声をかけて来た。
「忙しいでしょう。手伝います」
「えっ? いえいえ、お客様にそんなことはさせられません」
「私は引率者だから気にしなくていいんだ。遅れましたが、私はジュゼル・リーズリー。この国の人間だよ」
私が返事に困っている間にリーズリーさんは、手からお湯を出して流しに溜まっている食器をどんどんきれいにしていく。
「リーズリーさんは魔法使いなのですね?」
「そうだ。以前は魔法部の長をしていたが、今は平の魔法使いだ。ははは」
四十代の男性は銀色の髪に白髪が混じっている。お顔が日焼けしている。背が高く陽気な笑顔。とっつきやすい人だ。魔法部の長から平に降格って、何があったのやら。
船乗りの皆さんは「旨い旨い」と言ってくれて、用意した料理は全てきれいになくなった。
デザートのクッキーとシュークリームもすぐに消えた。
おなかを撫でてご満足な様子の獣人さんたちが帰ることになり、ドアのところで見送っていたら、集団の最後尾にいたリーズリーさんがスッと私に近寄ってきた。
「今夜、またお邪魔させてください。魔法のことでお話ししたいことがあります」
私は笑顔のまま固まり、(なんだか厄介な気配がする)と思いながら見送った。
夕食の準備をする前に店を閉め、手紙を書き、お城まで走った。夜遅くまで準備して、早朝から働き続けた後のダッシュはかなりきつい。
ゼエゼエしながらお城に到着し、「こいつは何者だ?」という目で私を見る門番さんに手紙を差し出した。
「筆頭文官のヘンリー・ハウラー様に急ぎの連絡がございます。どうかこの手紙を届けてください」
「あなたの名前は? 筆頭文官様にどんな用事なのか教えていただきたい。滅多な用事で手紙を受け付けるわけには……」
「あれ? 『隠れ家』の店主さんですよね?」
若い声に振り向いたら、店に来てくれたことのある少年だ。二人で来て日替わりを注文してクッキーを買ってくれる男の子。
「ああよかった。お客さんはお城にお勤めだったんですね。筆頭文官のヘンリー様に連絡を取りたいのです」
「ハウラー様ですね。すぐ連絡しますので、ここでお待ちください」
「いえ、この手紙を渡し……」
最後まで言い終わる前に、少年はすごい速さで走り去ってしまった。門番さんが気まずそうな顔で私を見る。
「ということですので、ここで少々待たせていただきます」
「ハウラー様のお知り合いでしたか。それならそうと早く言ってくださればいいのに」
急ぎの連絡があると言いました。そう言ったらたいてい知り合いですよ。でももう連絡が取れそうだからいいや。やがて前方に美しいフォームで走ってくる背の高いヘンリーさんが見えた。
「どうしました?」
「これに書いてあります。今夜来店する方のことで気をつけることがあったら教えてほしいのです。注意点などをメモ書きして、どなたかに託していただけると助かります。よろしくご指導くださいませ」
門番さんが聞いているから他人行儀な口調で伝え、ペコリと頭を下げて引き返した。ほぼ徹夜で料理を作り、バイキング中もずっと立って料理を作り続けた。全身が疲れていて重い。お城まで徒歩二十分以上あるのにダッシュしたのは無茶だった。
絶対に伝文魔法を習得しようと思った。