53 二回目の魔法レッスン「伝文魔法」
朝、ソフィアちゃんを預かって昼まで楽しく過ごし、カリーンさんに渡した後は夜まで滞りなく『隠れ家』の営業をした。ヘンリーさんは宰相様との食事会で来られないだろう。
グリドさんとサラさんは午後六時に来店した。今夜は白身魚のソテーを注文してくれた。魚のソースにはクーロウ地区で買ってきた醤油を少量使った。どうかなと思ったが、お二人は気に入った様子。
「このソースは独特のコクがあって美味しいな」
「クーロウ地区で仕入れた調味料を使いました」
「ほう。クーロウ地区に行っているのか」
「はい。美味しいものがたくさんあって、大好きです」
「そうか、今度クーロウ地区で感知魔法を使ってみるといい。面白いぞ」
「今度行ったら必ず試してみます」
今日は聞きたいことがいろいろある。レッスンの開始が待ち遠しい。
そんな気持ちを読まれてしまったようだ。グリド先生が「君もここに座りなさい。聞きたいことがあればどんどん質問するといい」と言う。
「先生、感知魔法を春待ち祭りで使ってみました。この王都にはすでに多くの獣人が住んでいるんですね」
「もう習得したのか。早いな。何種類の色が見えた?」
「一般人を入れずに六種類です」
「私も同じく六色を確認したよ。何型の獣人かわかるのは犬型の青と猫型の赤だけだ。あの魔法は本来、相手の魔力量を推し量る魔法だ。だが習得してみたら意外な使い方があった。昔の魔法使いは知らなかったのだろうな。そんな記録はどこにもない」
この古い魔法が編み出された当時は、この国に獣人がいなかったということか。
「獣人を見つけることに使えると気づいたのはずいぶん前だ。魔法使いたちがこの魔法を学びたがらない風潮を、今はちょうどいいと思っている。この国の現実を知れば騒動になる。弟子のジュゼルは国のお抱えになることが決まっていたから、この魔法は教えなかった。だからキリアスも知らんはずだ」
「先生、犬型と猫型の色を、どうやってお知りになったのでしょう」
グリド先生が遠い目になった。
「今は足元がおぼつかないのでやめたが、以前は王都の貧しい地区を回って、幼い高魔力保有者を探していたのだ。そんな子を見つけたら生活の援助をした。金銭ではなく食べ物で援助をした。金銭は親の心を曇らせる」
欲に目が眩むのだろうねぇ。
「貧しい家が集まる地区で、赤と青の光を見た。不思議に思ったから、その地区を歩くときはなるべく感知魔法を放ちながら見て回っていた。そうしたら……妙に大きな犬とやたら大きな猫を見ることがあってね。犬は青、猫は赤に光っていた。驚いている私に気づいて、彼らは慌てて隠れた。後日彼らが隠れた家から青に光る若者と、隣の家から赤く光る若者が出てきたのだよ」
グリド先生は、気難しそうな雰囲気があるけど、善行を積んでいらっしゃったのね。
「この魔法を悪用すれば、本来なら自主的な申告に任されている魔力保有者を、当人や家族が気づくより早く見つけることができる。貧しい家の子が高魔力保有者だった場合、家族と本人がその力の価値に気づく前に安い値段で買われるか、またはさらわれる。獣人の炙り出しにも使われてしまう」
そんな酷いことがまかり通ったりするのか。怖い話だわ。
「グリド先生はなぜ私にこの魔法を教えて下さったのでしょう?」
「君が獣人と親しくしているからだ。初めて君に会った日、「犬にも猫にも好かれるようだ」という私の言葉を聞いてギョッとしていただろう? あのときの表情で、君が彼らの正体を知った上で交流しているとわかった。獣人への偏見がない君になら教えたい。それだけだ」
それを聞いてずっと心に刺さっていた棘のような不安が消えた。先生は本当に獣人への偏見がないらしい。先生たちの食事が終わり、すぐにレッスンになった。
「君は伝文魔法を知っているかね? 離れた場所にいる相手と会話ができる魔法だよ」
「いいえ。たくさんの知識を祖母から貰っているのですが、知識が膨大過ぎてまだ大半を理解も活用もできていません」
「伝文魔法はとても便利な魔法だ。リヨルが使わなかったのなら、とことん魔法を隠していたのだな」
おばあちゃんが伝文魔法を使わなかったのは、その必要がなかったからだろう。携帯やスマホが一気に普及していく様子を、おばあちゃんは苦笑して見ていたに違いない。
「大変に高度な魔法だ。だからこそ私の目の黒いうちに君に教えておきたい」
「先生、それは相手に魔力がなくても伝えられるのでしょうか」
「伝えられる。伝える相手が魔力持ち限定では、それこそ魔法として学ぶ価値がない。この国にはおよそ五百万を超える国民がいると言われている。その中で、城のお抱え魔法使いになれたのは私の直弟子を含めて十人だよ。ただの魔力持ちはもっといるだろうが、それでも数は知れている」
つまり魔法使いを名乗れるのは五十万人に一人? レアすぎる。キリアス君たちにもっと敬意を払わなきゃ。
「では私から君に伝文魔法を放ってみよう。少し離れてみなさい。そうだな、二階へ」
「はい」
二階に駆け上がる。階下に向けて「準備できました!」と声をかけた。寝室のドアは開けたままにしてベッドに座り、伝文魔法を待つ。どんな形で送られてくるんだろうと楽しみにしていたら、部屋の真ん中にグレープフルーツくらいの大きさの白い光が現れた。
『これが伝文魔法だ。この魔法を放つ人間の魔力量に応じて、使える時間が決まる。私が魔力を出している間は、そちらの声も聞こえるぞ』
真っ白な光は、オーディオが作動しているときに伸び縮みするオーディオスペクトラムみたいにグリド先生の声に合わせて四方八方に白いトゲを伸ばしたり縮めたりしている。
「はっきり聞こえています。すごいですねえ」
そう返事をしたら、フッと白い光が消えた。
すぐに階段を駆け下り、「白い光が見えました! 声もくっきり聞こえるんですね」と報告すると、苦笑しているグリド先生とちょっと怖い顔のサラさんが私を見ている。
「マイさん。階段を駆け下りてはいけません。階段を転げ落ちて亡くなる方もいるのですよ」
「すみません。あの……今のサラさんの口調が私の祖母にそっくりで驚きました」
「あら」
嬉しそうな表情で下を向くサラさん。そのサラさんを見るグリド先生のお顔が優しい。
その後、グリド先生から伝文魔法の放ち方を習った。習うと言っても、野球の天才が「バットをガーッと振ってパーンと球に当てるんだよ。こう、ガーッといってパーン。わかるだろ?」と言っているのに近い教え方だった。
魔法は教わる側のセンスが必要らしい。「ガーッと行ってパーン」方式の指導をみっちり二時間。最後はへとへとになった。
「疲れただろう。まあ、半年ほど練習すれば覚えられるだろう。いや、君なら三ヶ月もあれば習得できるかもしれないな。精進しなさい」
グリド先生とサラさんを見送り、まずはお風呂に入った。バラの香りの入浴剤を入れて、「だはあ」とだらしない声を漏らす。すんごい疲れている。そして疑問が残る。
私が魔法使いだと知っているのはヘンリーさん、キリアス君、そして先生とサラさん。あの白い光を送ってまで伝えたいことがあるのはヘンリーさんだけだ。
「あの白い光を他の文官さんたちのいる大部屋に送り付けるわけにいかないよね? 私の声も周囲の人に聞かれちゃうわけでしょう? 伝文魔法、使い勝手が悪いなあ」
髪を洗い、身体を洗い、顔も洗ってまた湯船に浸かる。その間もずっと考える。陰陽師みたいに人の形の紙でもまずい。いかにも魔法でございますって代物ではなく、誰の注意も引かず、誰かに見られても違和感を持たれない、そんな形のほうがいいんじゃないのかなあ。
髪を乾かし、ホカホカの身体でベッドに入っても考え続けた。脳が興奮しているらしくて疲れているのに全く眠気が訪れないから考え続けた。なかなかいいアイデアが思いつかない。でも、せっかく習ったのだから、伝文魔法は絶対に習得するつもりだ。
25年前の件は19話と35話でポーションの面から語られています。