51 戻ってきた
春待ち祭りの少し前のこと。マイが暮らすウェルノス王国の海に、一隻の大型船が現れた。
見張り台の監視係は見慣れぬ船影を怪しみ即刻上官に報告した。上官は城に早馬を送り、軍人たちを海岸に集結させた。他国からの侵略を想定し、軍人たちの間に緊張が走る。
しかし国籍不明の船は、港に近づく前に動きを止めた。こういう場合を想定して築かれた人工の暗礁に乗り上げたのだ。座礁した大型船を遠目に、海岸に集まった軍人たちは殺気立っている。
現場の上層部は、どう対処すべきか城からの指示を待っていた。
やがて、馬を乗り継いで走ってきた連絡係が報告する。
「申し上げます。相手に攻撃の意思が有ることを確認するまで、こちらからは攻撃するなとの仰せです」
「それでは何をされるかわからんな。キリアスは連れてこられなかったのか?」
「キリアス氏は鉱山の落盤事故の対処中で、動かせないとのことでした」
「間の悪い奴め」
やり取りの途中、望遠鏡で座礁船の動きを窺っていた兵士が声を張り上げる。
「ボートが下ろされています。ボートに乗り込んでいる人数は三名! 繰り返します。ボートに乗り込んでいる人数は三名!」
軍人たちが見守る中、ボートが浅瀬まで進んできた。
乗っていた男性三名のうち、先頭の男が両腕を上げた状態でザバザバと浅瀬を歩いて近寄ってくる。男の後ろには日焼けした大柄な男が二人、それぞれに木箱を抱えていた。
ウェルノス王国軍の弓兵数十名は、いつでも矢を放てるように構えている。
「おい! 先頭にいるのは、魔法使いのジュゼル・リーズリーじゃないか?」
「ああっ! あの男どの面下げて! おい! リーズリーを逮捕しろ!」
十数名の軍人が三人に駆け寄り、魔導具と共に姿を消したジュゼル・リーズリーはその場で逮捕された。国籍不明の大型船の代表者二名も、同行を要求される。
ジュゼル・リーズリーと男性二人は、そのまま城へと連行された。船は座礁したまま昼夜を問わず監視下に置かれている。
城に到着したジュゼル・リーズリーは、宰相バーンスタインに事情を説明した。
「何度も言っているだろう。横領でも窃盗でもないんだよ」
「貴様、どれだけの騒ぎになったと思っているんだ! あの船はどこの国の船だ?」
「アルセテウス王国の船だ」
「なっ! 貴様、獣人国にいたのか! まさか彼の国に我が国の情報を漏らしたのではあるまいな!」
「馬鹿な。なんでそうなる。お前は親友の私が国交のない国に情報を漏らすような人間だと思っているのか」
「お前はもはや親友ではない。お前は自分がどれほど国に迷惑をかけたか、わかっていないようだ」
片方が自由気ままな魔法使い、一方は生真面目を絵に描いたような宰相。性格は真逆だが、それがむしろ上手く噛み合って親友だった。
だが今やジュゼル・リーズリーは高価な魔導具の横領犯であり、宰相バーンスタインはその罪を追及する側。
「だから何度も説明しているだろう。完成に近づいた瞬間移動装置がちゃんと動くかどうか魔力を通しただけだ。うっかり安全装置を切るのを忘れていたから魔導具が作動してしまったのだよ。ちゃんと魔導具は持ち帰ってきた。盗んでなどいない」
「うっかりなどと言うな、この馬鹿者! 大事件になっているんだぞ! 持ち帰ったから許されるという簡単な話ではない! 魔導具のダイヤを全部使い切ってしまっているではないか! あれが一体どれほどの値段か、お前だって知っているだろう!」
「それについては申し訳ないと思っている。働いて返すさ。人間だから間違いはある」
バーンスタインが額に手を当ててため息をつく。
「もういい。陛下にご報告してくる。お前、このままでは済まないぞ。なまじ腕のいい魔法使いだから強制労働にも出せない。投獄されたまま晩年をポーション作りで過ごすことになるかもな。覚悟をしておけ」
「勘弁してくれ。本当にただの失敗なんだ」
バーンスタインは元親友に一度目をやり、部屋を出た。
国王エルドール八世は報告を聞いて考え込み、バーンスタインに相談する。
「アルセテウス王国……獣人国か。今回それなりの立場の人間が来ているなら、これを良いきっかけにしよう。国交が樹立すれば何かしらの益に繋げられるかもしれない」
「しかし陛下、相手は獣人ですぞ? 獣人国から益など引き出せるでしょうか。そもそも会話が成り立つかどうか」
「バーンスタイン、獣人はちゃんと会話が成り立つと古い資料にあるではないか。案外普通の人間と同じかもしれないぞ?」
「それは考えられません。陛下、このまま追い払ったほうがよいのでは?」
「それは悪手だ。とりあえず上陸した獣人二名に会おう」
「陛下御自身がでございますか?」
「そうだ。さっさと動け。謁見の準備をせよ」
バーンスタインの渋い顔を見ながら、国王エルドール八世は矢継ぎ早に指示を出し、謁見の場が設けられた。
エルドール八世の前にリーズリーと獣人二名が頭を垂れ、国王の左側には宰相と軍部大臣が控えている。万が一の事態に備えて、普段より護衛騎士の数が多い。
「楽にしてよい。リーズリー、事の次第は聞いた。お前を連れてきてくれた二人を紹介せよ」
「はっ。こちらがテンス・ワグル海軍中尉、そしてそちらはアルセテウス王国の筆頭文官、ヒルズ・キャナー氏です」
宰相バーンスタイン、軍部大臣、護衛騎士の全員が、(全く普通の人間に見えるじゃないか!)と驚いている。ただし二人の獣人が何型獣人なのかは全くわからない。
「ワグル海軍中尉、キャナー筆頭文官。我が国の民をはるばる連れてきてくれたことに礼を言う」
ワグル海軍中尉が発言の許可を申し出て、許されてから口を開いた。意外なことに獣人はこのウェルノス王国の古風な言葉で話し始めた。
「私たちアルセテウス王国の民は、ジュゼル・リーズリー氏に大変お世話になりました。大恩人のリーズリー氏を母国に送り届けることは当然のことでございます」
「ほう。リーズリーが役に立ったのか」
「はい。リーズリー氏の作るポーションで多くの病人と怪我人が助かりました。また、氏は魔法でたくさんの道や橋を作ってくださいました。リーズリー氏は我が国の英雄でございます」
エルドール八世は穏やかに微笑んだ。
「英雄。そうであったか」
「リーズリー氏から『帰国すれば処罰されるかもしれない』と聞いて、我が国の王と民は大変憂慮しております。私は我が国王の命により、氏の罪を軽減していただくようお願いするために同行したのでございます」
謁見の間になんとも微妙な空気が流れる。だが国王エルドール八世は朗らかな表情で応えた。
「リーズリーが貴国の役に立ったのならなによりだ。座礁した船には修理するための職人を送ろう。乗船しているのは何人だろうか。全員に上陸の許可を出そう。船が修復されるまで、我が国でくつろぐとよい。宿泊する場所、食事、身の安全、全て我が国に任せてほしい。不自由はさせぬ」
国王はリーズリーの処分については何も言及しない。だが今告げられたような厚遇を期待していなかったから、二人の獣人は驚いて顔を見合わせてからうなずいた。
「ありがたきお言葉。陛下、リーズリー氏の功績に感謝して、アルセテウス王家からのお礼の品を献上いたしたく存じます」
「心遣い、感謝する」
飾り付けされた宝箱が運ばれた。国王に渡す前に中身を確認した宰相バーンスタインは、箱の中身を思わず二度見した。
「これは……」
「我が国からの心ばかりのお礼の品でございます」
宝箱の中にはぎっしりと黒真珠、白真珠、桃色真珠、様々な形に加工された大小のサンゴ玉、琥珀と紫水晶が詰め込まれていた。同席しているウェルノス王国側の重鎮たちも全員息をのんでいる。エルドール八世は中を見て笑顔を獣人二人に向けた。
「なんと見事な。アルセテウス王国の心遣いに感謝する」
二人のアルセテウスの民は、賓客用の部屋へと案内されて出て行った。それを確認してから国王が宰相を近くに呼び寄せる。
「獣人たちが出かけたいと言ったら、好きなように外出させよ。だが我が国には獣人に対する偏見があろう? 彼らが市中に出かける場合は必ず十分な数の護衛を付けるように。彼らの行動には制限を設けるな。自由に行きたがる場所に行かせて、我が国民に獣人の姿を知らしめよ」
「かしこまりました」
すぐに伝令が走り、船に控えていたアルセテウス王国の軍人と乗組員の上陸が許可された。
王都に移動した獣人の船乗りたちは二手に分かれて宿に泊まり、王都を楽しむことが許された。その費用は全て王家が負担することも告げられる。
軍人に護られた異国風の身なりの集団が、さっそく王都観光に出発する。その集団はたちまち噂になった。獣人の集団は陽気で愛想もよく、王都の人々に気さくに話しかける。
獣人たちは古大陸のアルセテウス王国から来たこと、自分たちが獣人であることも堂々と話す。王都の民は、獣人とは恐ろしい存在、知性のない存在と教えられて育っていた。だが実際は自分たちとなんら変わらない姿で知的な会話をする。船乗りたちと接した人々の驚きは大きかった。
「なんだ。獣人と言っても普段は獣の姿をしているわけではないんだな」
「優しそうだし、言葉も通じるじゃないか」
「みんな男前だわ」
エルドール八世の目論見は成功である。
獣人来訪の噂は日を置かずにヘンリーの実母カルロッタの耳にも届いた。カルロッタはそれを聞いた翌日にヘンリーへと手紙を出した。
ヘンリーの仕事場にカルロッタからの手紙が届いたのは初めてのことで、何事かと急いで手紙を開いたヘンリーは絶句した。
『ヘンリーへ
王都に来ている獣人たちに頼んで、帰国の船に乗せてもらおうと思う。私は私の仲間たちと共に人生を終えたい。必ず乗船させてもらうつもりでいる。船に乗る前、もう一度会えるだろうか カルロッタ』