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49 春待ち祭り

 いよいよ春待ち祭りの当日だ。

 六時をだいぶ過ぎ、そろそろかなと窓の外を見ていたら、大通りからこっちに向かってヘンリーさんが走ってくる。相変わらず走る姿がきれいだなあ。


「遅くなって申し訳ありません!」

「大丈夫ですよ。待つのも楽しいので」


 大通りは混雑していて馬は使えず、走るのも危ないから回り道をして走ってきたと言う。いつもはきっちり整えられている髪が乱れていた。私に会うために髪を乱して走ってくれたヘンリーさんをしみじみと眺めた。


「どうかしましたか? 怒っていますか? 女性はこんな場面で怒るものですよね。同期の文官に『一緒に祭りに行きたい人がいるんだろう? その人に嫌われたくなければさっさと行け!』と本気で叱られました」

「そんなお友達がいるんですね」


 そう言うとヘンリーさんは塩辛いものを口に入れたような顔をした。


「そいつは『隠れ家』に来たことがあるそうですよ」

「あら、そうでしたか。お名前は?」

「教えません。そいつ、気立てがいい上に顔もいいのです。その男がマイさんのことを気に入ったとわざわざ俺に報告したから、あやうく職場で猫になるところでした」

「ええっ?」

「猫にはならなかったので安心してください」


 それはよかった。ほんとによかった。


「恋人が途切れたことのないモテる男なのです。俺の行きつけの店だからマイさんに迷惑をかけるなと釘を刺しておきました」

「それはそれは。ふふ。ヘンリーさんのご友人なら大切にしますが、それだけですから」

「大切にしなくてもいいです。普通で十分」


 やきもち焼きか。いや、本物のやきもち焼きだったわ。


「私ね、ヘンリーさんが遅れても怒ったりしませんよ。ヘンリーさんが夢中でお仕事をしているのだろうと、想像しながら待つのも楽しい時間です」

「マイさん……」


 感動したような表情でギュッと抱きしめられたら、オリーブオイル石鹸の香りに包まれた。「さあ、そろそろお祭りに行きましょう」と声をかけるまでヘンリーさんは動かなかった。

 二人で手をつないで、お祭りの会場まで歩く。


「昨夜あなたが三人の獣人がいると言うのを聞いてから、ずっと考えていることがあるのです。俺は、獣人と一般人が互いに安心して生きていける国にしたい」

「ヘンリーさんならそんな国を作っていけると思います」

「そうですね。欲しいものを手に入れるには、気長に焦らずじわじわいかないと」


 言いながら繋いだ手に力が込められた。あれ? 今、話が変わった?

 

「俺は思っていたよりもずいぶん早く筆頭文官になってしまって、この先はもう行き止まりだろうなと少しがっかりしていたのです。でも最近は獣人たちも安心して住める国にするために『もっと上に進んでやる』と思っています。文官になりたての頃のような気分です」

「応援しています。でも身体には気をつけてください」


 繋いだ手をまたギュッと握られて返事が届く。


「マイさんはつい最近この世界に来たばかりだ。馴染むのに精一杯なのはわかっています。いますぐどうこうと急かすつもりはありません。ただ、どうか……あなたの心の片隅を、俺のために空けておいてください」


 どう返事をしていいかわからず、うなずくだけにした。


「元の世界に戻りたい気持ちがあるでしょうに、いつも俺の望みを聞いてくれて、初めての春待ち祭りを俺と一緒に過ごしてくれてありがとう」


 私が元の世界に未練を持っていること、気づいているんだね。

 

「四月になれば、ほうき星が近づきます。その頃には花も咲きます。今夜の春待ち祭りを終えたらほうき星の夜を待ち、花が咲くのを待ち、夏が来たらどこへ行こうかと、ひとつひとつ楽しみながら二人で過ごせればと思っています」


 ヘンリーさんが指さす夜空には、ひときわ明るい星。あれは彗星すいせいだったのか。

 この世界の星空を、私も好きになろう。ヘンリーさんが待っていてくれるなら、一歩ずつヘンリーさんが立っているところまで歩いていこう。

 そう思ってヘンリーさんを見上げた。ヘンリーさんは心配そうに私を見ていた。


「私の歩みが遅くても、待っていてくださいね」

「ええ。隣で待っています」


 ヘンリーさんの言葉に、繋いでいる大きな手を握り返した。


「ほら、見えてきましたよ」

「わぁ……きれい」


 大通りの両側に、ずらりとかがり火が並んでいる。かがり火の間にはぎっしりと屋台が並んでいる。大通りの上にはキラキラと光る色とりどりのモチーフ。その下を大勢の見物客が歩いている。人々はかがり火に近づくと片手を胸に当て、その手をかがり火に向けてゆっくり伸ばしている。


「あの仕草は?」

「冬の間に身体へ溜まった悪いものを燃やしてもらおうとしているのです。それと同時に『厳しい季節を生きて乗り越えられました』という感謝の気持ちを天に届けたいという意味もあります。俺たちも行きましょう」


 ヘンリーさんが他の人から私をかばうように肩を抱えてくれる。肩をそっと押されるままに進み、順番を待ち、かがり火の前に立った。私も胸に手を当て、炎に向けてそっと手を動かした。


(おばあちゃん、私はこの世界で心優しい人に出会ったよ。泣いていないよ。ちゃんと笑って生きているよ)

 

 心の中でおばあちゃんに語りかけた。

 それから思いついて薄く広く魔力を放出した。自分を中心にして全方向に、膜のように薄く、途切れることのないように魔力を放出する。周囲の人々の身体が光り始める。

 

 光の輪が広がっていく先を見ていて、ハッとした。たくさんの白い光に交じって、様々な色が見える。赤、青、黄色、緑、オレンジ色、紫色。色付きの光はどれも複数が寄り添っていて、中には色付きの光が五つ六つ集まっている箇所もある。光の位置が低いのは子供だ。色付きの光の数は……四十、いや五十はある! こんなに?

 

「どうしました?」

「ヘンリーさん、この国はとっくに混じり合ってうまいこと動いているみたいですよ」

「アレを使ったの? そんなにたくさん見えるの?」

「ええ。今見えるだけで……六種類の色が見えます。数は……五十くらい」

「五っ? ああ、悔しいな。俺も見たい」


 ヘンリーさんが本気で悔しがっている。それから私の耳にささやいてきた。


「マイさん、俺の手を握って合図してくれませんか? 筆頭文官として知りたいのです。それ以上の理由はありません。通りの真ん中を歩きますから、我々の右側を相手が通り過ぎる時は一回、左側を通り過ぎる時は二回で。お願いします」

「はい。でもヘンリーさん……」

「ジロジロ見たりはしません。安心して」

「わかりました」


 青色の四人が近寄ってくる。若い両親と小学生ぐらいの子供二人だ。犬型獣人だ。

 その次は紫色の若い男女の二人連れ。

 その次は赤い二人連れ。猫型獣人だ。ヘンリーさんの赤より色が濃い。

 その次は緑色。親子の三人連れ。


 ふえええ。びっくりだ。当たり前のことだけれど、全く一般人と見分けがつかない。皆楽しそうにかがり火を見ながら歩いている。通り過ぎていく笑顔が幸せそうで、獣人の数の多さに一瞬ドキドキした心も落ち着いてくる。


 道の端まで行って、また戻った。途中で屋台の果実水や焼き菓子を買ったりして、周囲の足並みに合わせながら一時間ぐらい歩いただろうか。


「帰りましょうか。疲れたでしょう?」

「少し。身体が疲れたと言うより、人酔いしました」

「俺は頻繁に合図が来ることに驚きました。獣人たちはとっくにこの国に溶け込んでいたんだな。でも、これを知られて何かあったときのための対策は考えておかないと」

「私は子供の獣人を見ると『この子はどんな姿になるのだろう。きっとソフィアちゃんみたいに可愛いのだろうな』と思いました」


 少し間が空いた。ヘンリーさんが何か言いたげだ。


「なんですか?」

「グリド氏の言葉でマイさんが預かっているあの子が犬型獣人なんだとわかりました。あの子の父親はクーロウ地区を案内してやるとしつこかった、あの男性ですよね?」


(あの二人が一緒にいるところは見ていないはずなのに、なぜディオンさんが父親だとわかる!)


 驚いて見返したら、苦笑された。


「あの子と手をつないで帰った四十代の女性とあの男性とあの少女。三人とも顔立ちが似ています。髪の色もほぼ同じでした。祖母と父親でしょう? 気づきますよ。もしあの子の母親が何らかの理由でいないなら、マイさんは嫁にどうかと思われていますね。間違いないです」


(やたら勘の鋭いヘンリーさんが言うと本当になりそうだからやめて)と言おうとして息を吸ったら先手を打たれた。


「あの可愛い子には申し訳ないけど、あの男性には絶対に渡しませんから」

「そんな心配はいりませんてば」


 私は同時にあちこち気になるタイプじゃないのにと言おうとしたけど、それは『私にはあなただけです』と告白しているみたいで恥ずかしい。

 そのあとは屋台で甘いお酒を一杯だけ飲み、『隠れ家』に戻った。


 ヘンリーさんは「付き合い始めたばかりなのに、焦ってあなたを困らせるつもりはありません。今夜はもう帰ります」と言っておでこにチュッとしてから帰っていった。

 

 ヘンリーさんの言葉にホッとしたのは、交際を始めて日が浅いからだけでない。この世界に来て九ヶ月。心の底で、この世界に骨を埋める覚悟がまだ固まっていないからだ。かがり火への感謝の仕草が見慣れなくて、私がこの世界の住人じゃないことを思い出してしまった。

 私は元の世界への未練を、まだ完全には捨てきれないでいる。

 

 ヘンリーさんの配慮が、今夜はとてもありがたかった。

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