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48 祭りの前夜

 二月の第二週になり、明日は休息の日であり、春待ち祭りだ。

 しかしヘンリーさんからいまだにお誘いはない。今日のランチに来てくれた時は、たまたま集団のお客さんで店が混んでいた。ヘンリーさんの隣にもお客さんがいて、会話をしないまま帰った。


 あれ? 春待ち祭りって、恋人たちがこぞって出かけるお祭りだったのでは? と思いつつ見送った。自由にやり取りできない状況が、携帯電話が登場する前の恋愛ドラマみたいだ。


 ヘンリーさんは明日も残業するのだろうか。私はどうしたらいいのかしらね。そう思っていた夜の八時過ぎに、ヘンリーさんが『隠れ家』に来てくれた。


「珍しいこと。どうしました?」

「マイさんの顔を見たくなりました」


 嬉しそうな顔でそう言われた。なんて可愛い人だろう。


「今、大通りは春待ち祭りの準備をしています。見物に行きませんか? 準備も見応えがあるんです。準備を見に来る人目当てで夜店も出ていますよ」

「行きます。二分で準備するから待っていてください」

 

 二人で並んで歩き、大通りに向かった。祭りの準備は思っていたよりも大がかりだった。かがり火を道の両側に並べるだけかと思ったけれど、それだけじゃなかった。大通りの街路樹から反対側の街路樹に細い縄が渡され、そこに運動会の万国旗のように色とりどりの小さな花や星や魚や動物のモチーフが括り付けられている。

 

「マイさん、手を繋いでもいいですか」

「はい」


 大きな手に私の手が包まれて、(男性と手をつないだのは久しぶりだなあ)なんてしみじみする。


「あっ、ちょっとだけ手を放しますね。すぐ戻ります」


 一度繋がれた手を放してもらって、お菓子屋さんに近づいた時だ。

 日本でいうところの中学生ぐらいの集団が脇から現れた。そのうちの一人が私の背中にぶつかった。違和感を感じて背中を触ったら、少年が手に持っていた棒つきの水飴みたいなお菓子が私の背中にべったりくっついている。すぐ少年たちから一斉に話しかけられる。


「わっ! すみません! 今、拭きます!」

「お前、ちゃんと前を見て歩けよ」

「お姉さん、ごめんね、怒らないでね」

「こりゃまたべったり付いたな」

 

 六人の集団に囲まれて、話しかけられたり背中を拭かれたりした。「もういいわよ」と言おうとしたら、ヘンリーさんの低い声が頭上から降ってきた。


「そこまでだ。これ以上は全員牢にぶち込むぞ」

「逃げろっ!」


(何事?)と私がオタオタしている間に少年たち全員が走って逃げた。


「牢って? なにが起きたの?」

「典型的なやり口ですよ。巾着袋をバッグの奥にしまってください」

「ああっ! 巾着が出かかってる!」

「やっと気づきましたね。やはり俺と一緒に回りましょう」

 

 そのあとは再びがっちり手を繋がれ、賑やかな商店街を歩いた。

 こんなふうに大通りが夜に明るいのは初めて見る。多くの人が忙しそうに準備をしている。

 

「マイさん、明日の予定は? 空いていますか?」

「今?」


 思わず笑いながら聞き返してしまった。ヘンリーさんはすごく優秀な人なのに、今回は要領が悪い気がする。そこがまた可愛いと思ってしまうのだから、私もたいがいヘンリーさんに甘い。


「すみません。今、仕事に追われていて、何時に城を出られるかわかったのが今日で」

「いいんですよ。仕事は大切ですから」


 ヘンリーさんが目を細め、眩しいものを見ているような顔をしている。しばらくしてから「申し訳ない」とひと言。


「怒っていませんよ。大丈夫」

「もう誰かに誘われましたか?」

「ええ。お客さんに」

「うっ。なんと返事を?」

「もちろん断りました。だけどヘンリーさんからのお誘いがないので、一人で観に来ようかなと思っていたところです」

「うわ、危なかった。春待ち祭りに若い女性が一人で歩いていたら『声をかけてください』と言っているようなものです。すみません。俺が悪かった。許してください」

「怒っていませんて」

 

 このところヘンリーさんはランチに来てもくつろぐことなくすぐ帰ってしまう。かなり忙しいことは言われなくてもわかっていた。待つのは平気だ。今の私には時間があるのだから。


 私たちの前をソフィアちゃんぐらいの女の子が走って横切った。今朝、ソフィアちゃんが言っていたことを思い出してクスッと笑ってしまう。


「どうしました?」

「今朝ね、ソフィアちゃんとぬいぐるみで遊んでいる時、私の猫がソフィアちゃんのウサギに『お風呂のお湯、飲んじゃだめ! おなか、痛くなるよ!』って叱られたんです。それがもうおかしくておかしくて」


 それを聞いて、ヘンリーさんも笑い出した。笑うと一気に優しい顔になる。


「飲んだんだな」

「飲んだのでしょうねえ。ふふ。もう、可愛くて可愛くて」

 

 ひとしきり二人で笑いながら歩いた。途中で思い出して市場での経験を話すことにした。魔法に関することだったので、ヘンリーさんにかがんでもらってコソコソと話した。

 

「そう言えば私、朝の市場で魔力持ちを一人見つけました。グリドさんに教わったあの方法です」

「えっ? たった一回のレッスンでできたの? 本当に?」

「ええ。感知魔法で相手を識別するのはすごく面白かった。今、やってみましょうか?」

「ええ、ぜひ」


 道の端に寄り、通行人の邪魔にならない場所で魔力を薄く広く放った。

 私の周囲に光の波紋が広がる。だが……。

 

「え? ええ?」

「どうしました?」

「ちょっと見ただけで近くに獣人が三人います。猫型でも犬型でもない色です。緑色が一人とオレンジ色が二人見えます」

「……帰りましょう。お店でお話しできますか?」

「はい」


 真剣な表情に圧倒されて、そのまま店に戻った。


「今夜見たことも、これから見るであろうことも、獣人に関しては口外しないように気をつけてほしい。この国の人たちは獣人についての知識がない。そんな状態でいきなり『獣人が何人も王都内にいる』という情報が流れたら、人々は疑心暗鬼になるでしょう。疑われた人が暴行されかねません。俺を含め、獣人は一見普通の人間と区別がつかないからこそ、危険です」

「そうですね」


 未知のことに人々は恐怖を抱く。恐怖心から獣人に対して攻撃的になるかもしれない。悪いことはなんでもかんでも獣人のせいにするかもしれない。それはソフィアちゃんが獣人だと知ってから、私も考えていた。


「俺はゴンザ獣医師の話を聞いたときから、ずっと疑問に思っていたのです。あの人、百人ぐらいは王都とその周辺にいるという意味のことを言ったでしょう? おかしいと思いませんか?」

「多すぎるってこと?」

「逆です」


 うん? 


「人間と獣人の間に子供が生まれないのが普通なら、それなりの数がいて、結婚して、子が生まれているはず。限られた血縁内で結婚を繰り返せば子孫が先細りになるのは、昔の王族や高位貴族の家系図が証明しています。種族がいくつもある獣人の数は、合計百人なんてものではないと思う。そうじゃなければ不自然ですよ」

「ああ……遺伝子の問題ですね」


 ヘンリーさんの目がキラリと光った。


「遺伝子とは? 詳しく教えてもらえますか?」

「十三、四歳の頃に教わったことくらいしか覚えていませんし、実際はたくさんの要因も絡んでくると思いますけど」

「かまいません。お願いします」


 紙とペンを持ってきて、メンデルの法則について図を描いて説明した。説明を終えるとゆっくり二度うなずかれた。


「すばらしい。実にすばらしい。この図はわかりやすくて説得力がある。この紙を貰って帰っても?」

「どうぞ」

「それで、種族を維持するために必要な最低の人数もご存じですか?」

「いえ、全く」


 ヘンリーさんは文官モードになっているのだろう。すっごいキリリとした知的な表情だ。ちょっと見惚れてしまう。


「完全な動物と獣人では事情が違うでしょうね。獣人がこの国内にどのくらいいるのか、何種類なのか、個人的にも文官としても非常に興味があります。この先、人間対獣人の争いが起きても大ごとにならないよう打てる手を考えておきたい」


 そこで十時の鐘が鳴った。


「もう遅い時間ですね。明日の夕方六時過ぎには迎えに来ます。一緒に春待ち祭りへ行きましょう」

「ええ。わかりました」

「じゃ、おやすみなさい!」


 優しくハグをしてくれたヘンリーさんは、少し迷ってから私のおでこにチュッとした。そして恥ずかしそうに視線を合わせず、私が図解した紙を胸ポケットに入れて急いで帰っていった。

 ヘンリーさんの心はメンデルの法則に奪われていた気がするけど、まあいいか。新しい情報に夢中になっているヘンリーさんはかっこよかったし可愛かったから。

 

 

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