46 ep.5 【ギルシュ、よき店を知る】◆
ヘンリーの同期の文官ギルシュは、仕事で街道整備を確認してきた帰りだ。
(少し早いが昼休憩にするか。ついでにいい店でも探すかな)と考えながら歩いていた。
まだ十一時を少し回ったところだったが、そのくらいは許される。入ったことがない店を探していると、キリアスを見つけた。一緒に歩いているのは全員魔法使いたちだ。ギルシュは駆け寄り、「キリアス君、どこかに食べに行くなら俺も一緒に行っていいか?」と声をかけた。
グループのリーダーであり魔法部の長であるキリアスが整った顔に笑みを浮かべ、「どうぞ」と言う。
キリアスの隣に並んで歩きながら、ギルシュは深い意味はなくキリアスに話しかけた。
「人間はさ、二つに分かれると思うんだよ。同じメニューの繰り返しが苦痛じゃないヤツと、耐えられなくなるヤツ。俺は後者。キリアス君もそうなのか?」
「そうだよ」
キリアスが即答した。周囲にいるキリアスの仲間たちも大きくうなずいている。ギルシュはキリアスよりもだいぶ年上だが、城での立場はかなり下だ。だが、あえてこうした距離感のない態度を取っている。
周囲の人間が魔法使いの前ではへりくだりながら陰で変人扱いして悪口を言っていることも、魔法使いたちがそれに気づいていることも、ギルシュは知っている。陰口を言う人間が大嫌いなギルシュは、魔法使いたちに対して意識して友人同士のように接している。
陰口を言っている連中に表立った批判はしないが、魔法使いに気さくに接することで自分の気持ちと立ち位置を示しているつもりだ。
「これから行く店は安くて美味しくて日替わりメニューがあるから行くんだ。毎日通っても飽きない店だよ」
「へえ、そんないい店なのか。遠いのか?」
「もうすぐだよ。いい店かどうか、すぐわかると思う」
キリアスはそう言って、そこから先は仲間たちと難しい魔法の話を始めた。ギルシュは「どんな店のどんな料理が食べられるんだろう」と楽しみに歩く。
着いた店は裏通りの行き止まりの手前、目立たない場所にあった。
店主の明るい笑顔に出迎えられ、やたら清潔な店内に感心する。本日の日替わりを全員で注文して待つ間、ギルシュはずっと店主を見ていた。
(これは……)
整った顔立ち、可愛らしい笑顔。店を見ればきれい好きなのがよくわかる。立ち仕事を楽しそうにこなす健康さ。店の経理もできる頭の良さ。
(これで料理も旨いのなら、最高の女性じゃないか)
決まった相手がいることを示す片方だけのピアスやイヤーカフもつけていない。
ギルシュはあの店主とどうやってお近づきになろうかと考え始めた。キリアスが何か言いたそうな視線を自分に向けていることに気づいたが、店主の姿を見るのに忙しくて「なんか用か?」と尋ねないで終わった。
「お待たせしました」
運ばれてきた日替わりは、大きくて平たい肉だんごのようなものだった。木の台の上に熱せられた鉄板。その上にジュウジュウと音を立てる平たく大きな肉だんご。今まで食べたどんな肉だんごよりも柔らかそうだ。
「あ、これは初めてだね」
「柔らかい。見てよ、肉汁が流れ出てくる」
「うまっ。俺、これ好きだわ」
魔法使いたちの言葉を聞いてから「どれ」とひと口食べたギルシュは、(飲み込むのがもったいない)と思った。それほど美味しい。熱した鉄板の上にあるから、いつまでも熱々なのも嬉しい。
ギルシュはゆっくり咀嚼して肉の美味しさと脂の甘さを楽しんだ。
「なんだ、城の近くにこんないい店があったんだな。キリアス君、いい店を教えてくれてありがとう。ヘンリーにも教えてやろう。あいつ、城の近くには俺に教えるような店がないって言ってたんだよ」
「へえ、ヘンリーさんがそんなこと言ったの?」
「ああ。あいつは俺なんかよりよっぽど食道楽だから、ここを教えてやったら喜ぶな」
「わざわざ教えるんだね」
キリアスの言葉に微妙な違和感を覚えたものの、『大きな肉だんご』とやらの美味しさに感動していてすぐに違和感は忘れた。
昼食を食べ終わって城に戻り、仕事をしながらヘンリーを待った。ヘンリーは軍部に出かけているとかでなかなか帰ってこない。最近ヘンリーはよく軍部に顔を出している気がする。
雑用係の少年が通りかかったので、引き留めた。
「ジェノ、ヘンリーは軍部に行くといったんだよな?」
「はい。でも、そのまま昼休憩を取るとおっしゃっていました」
「わかった。ありがとうな」
出かけてしまったのなら仕方ない。ヘンリーが昼食から帰ってくるのは三時過ぎだ。ギルシュはわくわくしながらヘンリーを待ち、戻ってきたのを見てすぐに席に近寄った。
「ヘンリー、おれはついに運命の女性と出会ったぞ」
「そうなのか。よかったな」
ヘンリーは目元で笑ってギルシュを見上げる。
ギルシュは初めて見るヘンリーの柔らかい表情に驚いた。(あれ? こいつ、こんな柔らかい表情もするんだ?)と思いながら話を続けた。
「『隠れ家』って小さな店でさ。目立たないところにあるんだけど、これが滅法料理が旨いんだよ。その上店主が美人だった。俺、都合がつく限り毎日通うことにしたわ。絶対に親しくなる」
ヘンリーがペンを置き、机の上で両手を組んだ。はっきりと目を細くして笑顔を作っているのに、(これは笑ってないぞ)と本能が警報を鳴らす。背中がゾクッとした。見慣れぬ笑顔のヘンリーの口から、真っ白な糸切り歯が顔を出していた。その歯が妙に鋭いような。
(今まで気づかなかったが、ヘンリーに八重歯なんてあったんだな)
ヘンリーがうつむいて書類に目を通し始めたから、もう表情ははっきりとは見えないが、ヘンリーが笑っていないことは気がついた。
「ギルシュ、その店は俺のお気に入りの店なんだ。どうか店主には迷惑をかけないでほしい」
「あ……うん。わか……った。迷惑はかけないよ。俺、仕事に戻るわ」
「そうしてくれ」
静かに語られた言葉なのに、ギルシュの心が(さっさと離れろ)と騒ぐ。ギルシュはそそくさと机に戻ったが、妙に膝に力が入らない。仕事をしようとペンを持ったら細かく手が震えていた。
(あれ? 俺、なんでこんなに震えてるんだ?)
ヘンリーは声を荒げたり睨んだりしなかった。目も笑っていた。なのに身体は肉食の大型獣に喉を狙われたような恐怖を感じている。
(もしかしてヘンリーはあの店主に好意を持っているのか? いや、あれは、もしかしなくてもそうだな。ひえっ、俺、思いっきりやらかしたな。ヘンリーの前であの店……と店主の話はしないようにしよう)
後日、キリアスに会ったときにそのことを聞いてみた。
「キリアス君は知ってたのか? ヘンリーと隠れ家の店主のこと。え? 知ってた? なんだよ。知っていたのならあの場で教えてくれればよかったのに」
するとキリアスは貴族らしい曖昧な微笑みを浮かべた。
「子供のころから親に徹底して叩き込まれているんだ。『他人の恋愛に首を突っ込むな。恨まれることはあっても得することは絶対にない』って。だから僕としては両親の教えに背かない程度に視線と言葉で匂わせたんだけど」
「匂いが薄すぎたわ!」
「あっはっは。僕ならマイさんにちょっかいを出すなんて、恐ろしくて無理。物理的にも社会的にも殺されそうだもん」
キリアスはそう言うと、楽しそうに笑いながらギルシュから離れた。それを見送りながら「物理的にも社会的にも、ね。そんな感じだったな」とギルシュはつぶやく。妙に白くて鋭い、ヘンリーの糸切り歯を思い出していた。
明日は佐々木リヨ(リヨル)の回。