44 リヨルが消えたときの話
マイとグリドの顔合わせの翌日、ヘンリーとキリアスがグリドの屋敷を訪れた。
応対に出たサラが「どうぞ」とだけ言って二人を屋敷の中へと招き入れた。
グリドは書斎で待っていた。
「来たか。さあ、ではあの日の続きを話そう」
グリドは両手を組み、自分の手を眺めながら話を始めた。
「リヨルが私に瞬間移動魔法を説明したが、その理論には大きな問題があった。その魔法の核となる部分が、使う人間を選ぶ魔法だった。その魔法はリヨルが一番得意としていた魔法だったが、私はその魔法に向いていなかった。だから何度も『無理だ。私がその魔法を習得するのには何年もかかる。何年もかけたところでお前と同じように発動できるかどうか、保証がない』と伝えた」
「それで?」
思わずヘンリーが先を促した。
「実際、私がその理論に基づいて本を移動させようとしても成功しなかった。リヨルは『グリドさんほどの魔法使いでも、苦手なことがあるのですね』と言って途方に暮れていた。そんな日が二週間ほど過ぎたある日、リヨルがとある方法を提案した。『グリドさんが苦手な部分を私が受け持つ。それ以外の部分をグリドさんが受け持ってくれたらいい。二人の魔力を合わせて試してみよう。私はもう体力も魔力も落ちてきているから、それしか方法がない』と言い出した」
キリアスが信じられないと言わんばかりの表情で首を振る。
「同じ魔法を複数の人間が同時に発動して合わせるならともかく、人間を送るような複雑な魔法を二人で分担するなんて。しかもその一発目を人間で試すなんて。危険に決まっています」
グリドが何度もうなずく。
「そんなことは私も言った。危険だからやめようと。だがリヨルは『せめて自分がこの世に生まれた証を残したい。この命はもうすぐ尽きる。私が完成させた瞬間移動魔法理論が正しいことを証明させてくれ』と譲らなかった。『もし失敗しても、私がわがままを言っているのだからグリドさんには全く責任がない。今、この理論を試さなかったら、私は生まれてきた意味がない』と言って泣いたんだ」
静まり返る室内で、グリドは深く息を吐き、言葉を続けた。
「誤解しないでほしいのだが、私は頼まれて仕方なく実験を手伝ったわけじゃない。贖罪のために手伝ったのだ。私はリヨルが買われた七歳から二十三歳までの十六年間も彼女に関わっていた。なのに私も父も、リヨルの主に報復されるのを恐れて彼女を助けなかった。彼女の子供時代と青春時代を奪った彼女の主と私は、同罪なのだ」
そこで言葉が途切れたグリドにサラが近づき、彼の背中に手を当てた。
「大丈夫だ。今、この若者二人に真実を語ることは必要なことなんだよ。私に残された大切な役目だ」
そこからグリドは淡々と事実を語った。
リヨルが構築した理論に従ってグリドが床に魔法陣を描き、その中心にリヨルが立った。グリドは魔力を練り、リヨルが立っている魔法陣に向けて魔法を放った。同時にリヨルも魔法を放った。
魔法陣は青く光り始め、リヨルを含めた全てが青く光った。眩しさに耐えられなくなったグリドが目を閉じ、少しの時間の後に目を開けた。
床の魔法陣は消えていて、グリドの隣に現れるはずのリヨルはどこにもいなかった。
「実験は失敗したのだ。リヨルが立っていた場所にいくつかの肉片と結構な量の血液が残っていた。私はリヨルは砕けて消えたのだと思った」
恐怖と後悔でリヨルの名を叫びながら奥の部屋やベランダを探した。
すぐにドアを激しく叩く音と叫び声が聞こえた。グリドの叫び声を聞いて、使用人たちが何事かと駆け付けたのだ。
グリドがドアを開けずにいると、マスターキーを使ってドアが開けられ、使用人が室内に駆け込んできた。
「部屋に入った使用人たちは、肉片と血液を見て腰を抜かした。私に関する噂は、そこから生まれたのだ」
「リヨルは健康を取り戻していたのですから、その肉片と血液は病んでいた部分だったのかもしれませんね」
「ヘンリー、君はさすがだな。マイを見て私もそう思った。マイが魔法で送られてきたのなら、七十八歳のリヨルの体力気力魔力の全てが充実していたということだ」
グリドは真実を語り終えて、ふう、と息を吐いた。
「私が失敗したのか、違う魔力を合わせたのが悪かったのか、リヨルの理論に問題があったのか、リヨルの魔力が足りなかったのか。全ては未解決のままだ。マイがリヨルの理論の正しさを証明してくれたが、私はリヨルが幸せに暮らしていたと知れただけで十分だ」
グリドは「これが私の知っている全てだ」と言って口を閉じた。ヘンリーとキリアスはすぐに屋敷を後にした。
「ねえヘンリーさん、たとえリヨルの理論が正しかったとしてもさ、彼女が消えてしまった理由がわからない以上、僕はリヨル理論に基づいた瞬間移動魔法は危なくて使えないと思ったよ」
「そうだな。まあ、俺は魔法のことは詳しくないが」
素っ気ない返事をしただけのヘンリーは、内心で背筋が冷たくなるような恐怖を感じていた。
(マイさんは変換魔法が得意だ。それはマイさんに知識を注いだリヨルが得意だったからだ。もしかして、瞬間移動魔法の核を構成しているのは変換魔法ではないだろうか)
そしてさらに考える。
(結果だけを見ればリヨルは健康になり長生きをしたが、それはとんでもなく幸運なことだったはず。地中深くや海の底に飛ばされていてもおかしくなかった。もしマイさんが瞬間移動魔法の核が変換魔法だと気がついたら、そして元の世界に戻りたい一心でその魔法を実行したら……)
恐ろしすぎる結末をうっかり想像してしまい、ヘンリーは強く唇を噛んだ。
一方キリアスはリヨルを闇奴隷として酷使していた主は誰なのだろうと考えていた。
(グリド先生の父親は、当時すでに高名な魔法使いだったはずだ。その魔法使いが一切文句も言えずに従うような相手は、数えるほどしかいない。かなり高位の貴族か豪商だろう。リヨルが買われてから何十年もたった今、その主は今、間違いなく墓石の下だ。僕が首を突っ込んでリヨルの主を見つけ出しても、その人物の子や孫に事実を知らせても不毛だ。ヘンリーさんの話ではマイさんは祖母の過去を知らないようだし、知ったとしてもあの人ならそいつの子や孫への報復などは望まないだろう)
ヘンリーとキリアスはそれぞれの思いに耽りながら夜道を歩いていた。