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40 猫は諦めが悪い生き物なので

あとがきに2章についてお知らせを書きました。

 朝、ソフィアちゃんがディオンさんと手をつないでやって来た。


「おはようございます。今日からまたお世話になります。お休みなのに申し訳ないです」

「むしろ休みの日は大歓迎ですよ」


 ソフィアちゃんを抱っこして、ほっぺにチューをする。「うきゃきゃ」と笑うソフィアちゃん。ソフィアちゃんの首筋に顔を近づけて、胸いっぱいに幼児のいい匂いを吸い込んだ。はあぁ、甘露。


「お休みの日だからこそ、たっぷりソフィアちゃんと過ごせるんじゃないですか。遠慮しないでくださいな」


 恐縮しつつ仕事に向かうディオンさんを二人で見送った。

 本当に遠慮はいらないのだ。私はこんなかわいい子を持つことはないのだから。


 私は健康に生きられればそれでいい。あと何日生きていられるかもわからなかったのは、つい最近だ。起き上がることもできないほど弱っていたあの頃のことは、今でも夢を見る。今朝もその夢を見た。


 その夢を見るといつも、全身に冷や汗をかいて目が覚める。慌てて自分の身体を触りまくって(ああよかった。健康だ)と安堵する。安堵しても心臓は、全力疾走した後みたいに長いこと暴れている。私は忘れたつもりでも、私の身体は命が果てそうになったときのことを忘れていない。


 大切な人を置いて旅立つ悲しさ苦しさ、愛する家族が突然いなくなる恐怖と絶望。あんなことはもう二度と経験したくない。寂しい方がまだしも耐えられる。

 そう覚悟するとき、最近はいつもヘンリーさんの顔が浮かぶ。


 自分の気持ちには気づいている。ヘンリーさんの気持ちも伝わってくる。ヘンリーさんの好意を知りながら、このままずっと茶飲み友達でいたいと思うのは、いくらなんでも勝手すぎる。

 ぼんやりと考え込んでいる私を、ソフィアちゃんがじっと見ていた。


「ソフィアちゃん、パンプディングは好き?」

「ぱんぷいんぐ知らない」

「じゃあ、私が作ったら一緒に食べてくれる?」

「うん!」


 プリン液は卵一個につき牛乳をコップに半分、砂糖は大さじ一杯。

 おばあちゃんに習った割合で卵三個分のプリン液を作って、残りものの乾いたパンをそこにひたした。

 おばあちゃんは料理の本以外に、新聞やテレビや雑誌で見たレシピを大学ノートに書き写していた。大学ノートは何十冊もあった。私も散々お世話になったっけ。


 パンにプリン液がしっかり染み込んだ。湯煎焼きするためにお湯を張ったトレイに深皿を置いて窯に入れた。三十分ぐらいして様子を見たらいい感じ。牛乳で少し戻した干しブドウを散らして出来上がり。


 挿絵(By みてみん)

 

「いい匂い!」

「もう少し冷めたら食べようね」

「うん!」


 パンプディングが冷めるまで人形遊びをしようとしたらノックの音。あの背の高いシルエットはヘンリーさんだ。


「おはようございます、ヘンリーさん。昨日はお客様を連れて来てくださって、ありがとうございました。さあさあ、どうぞ入ってくださいな。ちょうどパンプディングが出来上がったところです」

「突然来てしまったけど、お客さんでしたか。すみません、手早く用事を済ませますので」


 ヘンリーさんの雰囲気が硬い。


「ソフィアちゃん、一人で先に食べるのと、少し待ってみんなで食べるのと、どっちがいいかな」

「フィーちゃん、みんなで食べる」

「わかった。じゃあ、ちょっと待っていてね」

「はあい」


 ソフィアちゃんにウサギと猫のぬいぐるみを渡して、私たちは離れたテーブルに座った。


「用事って?」

「昨夜のあの人は魔法使いで、マイさんのおばあさんの知り合いです」

 

 魔法使いでおばあちゃんの知り合い? だったらもっとお話ししたかったのに。なんだかおかしな雰囲気のまま帰ったのはなぜだろうか。

 

「どうしてもあなたに会いたいと言うので、断りもなく連れてきました。申し訳ありません、ちょっと急がないとならない状況だったものですから」

「それは全然かまいません。客商売は誰が来ても歓迎するのが当たり前です。でも、祖母のお知り合いの割にあっさりお帰りになりましたね」

「そのことですが、マイさんはあの人があなたと話をしたいと言ったら、会う気はありますか? 離れ離れになってからのおばあさまの話を聞きたいそうです」


 胸がざわざわする。最近、夜に眠れないときはおばあちゃんのことをいろいろ考えている。


「私が祖母の楽しく暮らしていた様子を話すのはかまいません。だけど、祖母がこの世界でどうだったかを聞くのはためらいがあります」

「どうして?」

「祖母は自分の親のことを含めてこの世界のことを一切語りませんでした。私が貰った知識も魔法だけでした。年末の過ごし方も、春待ち祭りのことも知識がありませんでした。もしかしたら、祖母は私に聞かせたいような楽しい思い出が……ひとつもなかったんじゃないでしょうか」


 ヘンリーさんの返事はない。


「私の知っている祖母はおしゃべりとお出かけが好きで、友達を大切にしていました。夕飯のときに毎日のようにその日にあったことを話してくれました。私が病気になってからは、私の子供時代の思い出を毎日教えてくれました。未来を語れないから過去を語ってくれたのです」


 まずい。涙が出そうだ。


「そんなおしゃべり好きな祖母が私に伝えなかった過去を知るのは……祖母の配慮を踏みにじることになりそうで。祖母が隠していたことなら、私は聞きたくないです。かと言って、あの方とお会いして私が一方的に話すのはおかしなものですよね」

「あの人はおばあさんと会えなくなってからのことを知りたいだけです」

「ほんとに?」

「ええ」

「ヘンリーさん、私ね、いつもヘラヘラ笑っているけれど、本当は臆病なの。一生分の悲しい思いをしたから、もう悲しい思いはしたくないと思う弱虫なんです」


 ヘンリーさんが首を振る。


「あなたは弱くなんかない。とても強い。でも、マイさんが不安なら俺が同席します。大丈夫、あなたが聞きたくない話が出ることはありません」

「そう……。それならかまいません。あの方が聞きたいことを私がお話しするだけということでお願いします」


 ヘンリーさんが白いハンカチを差し出してくれた。それで涙を拭いた。


「それよりあの方、帰り際に『猫にも犬にも好かれるようだ』っておっしゃっていました。ヘンリーさんこそ大丈夫なんですか? 身の上を知られて、困ったことになりませんか?」

「俺もその言葉は聞こえていましたよ。あの人は俺のことを言いふらしたりしないと思います。俺はずいぶん気に入られたので。キリアス君は聞いていません。キリアス君の周囲に、あの瞬間だけ結界が張られていました」

「そうだったんですか」

「それに、俺はいずれ俺の秘密を知られても簡単に首を切れないほど出世するつもりです」


 ヘンリーさんは半分獣人であることを燃料にしている。出世することで自分のハンデをねじ伏せるつもりだ。ハンカチで涙を拭きながら話を聞いていたら……。


「マイたん、いじめちゃダメッ!」


 ソフィアちゃんがいつの間にか私の隣に来ていた。怖い顔でヘンリーさんを睨んでいる。しかも「ウウウウ」と唸っている!


「ソフィアちゃん、いじめてないの。このお兄さんは優しいお兄さんなの。心配してくれているの。さあ、パンプディングをみんなで食べましょう」


 食べながらもヘンリーさんを睨みつけるソフィアちゃんに苦笑しながらパンプディングを食べた。パンプディングは牛乳と卵の優しい味。温かくて甘くてしっかりおなかも満たされる私の好物だ。


「美味しいですね」

「これも祖母のレシピです。そして母がよく作ってくれた母の味でもあるんです」


 ソフィアちゃんは夢中で食べている。気に入ったようだ。そうなるかなと思ったけれど、食べ終えたら暖炉の前に座り込んで眠り始めた。毛布を持ってきて包むようにして眠らせた。ソフィアちゃんは眠るといっそうほっぺがぷっくらする。半開きの口も可愛い。リアル天使。

 ふと、あの話をするならソフィアちゃんが眠っている今だと思った。


「あのね、ヘンリーさん。助手はやめにしませんか」


 ヘンリーさんは一瞬驚いた顔をしたけれど、心配するように私を覗き込んだ。


「急にどうしたんです?」

「お世話になるばかりなのが心苦しくて。今の状態はよくないなと思うんです」

「俺はマイさんのそばにいて、マイさんを守りたいです。それは迷惑ですか?」

「迷惑ではありません。ヘンリーさんが近くにいてくれるのは嬉しいし心強いけど……ヘンリーさんの優しさに甘えておいしいとこ取りをしているみたいで。心苦しいんです」


 ヘンリーさんが少し間を置いて話し始めた。


「俺はマイさんが好きです。マイさんのそばにいられたらいい。多くは望みません。それで幸せです」


 突然の告白にどう返事したらいいか言葉を探していると、ヘンリーさんがもう一度繰り返した。


「あなたのそばにいられたら、俺は幸せです」

「私はこの世界で、広く浅くみんなに親切にして、笑って暮らせたらそれでいいと決めたんです」

「じゃあ、これからもそうしてください。ただし、俺のことは近くに置いてほしい。俺は自分に向けられる感情に敏感です。物心ついたときから、自分に向けられる好悪の感情を読み間違えたことはありません」


 それは私のヘンリーさんに対する気持ちも知られているということだろうか。ずっと目を背けて考えないようにしていたのに。


「ずっとマイさんに恋人がいると勘違いしていたので、マイさんが俺を嫌っているなら諦めるつもりでした。でもそうじゃなかったから、諦められなかったんです。恋人がいないなら遠慮はしません。それと、俺を失う心配は不要です。俺は普通の人よりずっと丈夫です。早死にしてマイさんを悲しませたりしません」

「でも、私と関わってもいつまでもこのままかもしれませんよ? ヘンリーさんの大切な時間を無駄にしてしまうかも」


 ヘンリーさんが晴れ晴れと笑った。


「その言葉は了承と受け取りますよ? あなたと過ごす時間は無駄ではありません。とても幸せな時間です。ただし……猫は諦めが悪い生き物なので、マイさんが俺に飽きても手放す気はありませんが」

「えっ」


 傷つく勇気がなくて距離を置こうとしたら、重めの愛を渡されました。



ここで1章が終わりです。2章ではおばあちゃんの回が出てきます。この機会に下の★★★★★で評価していただけると2章執筆のモチベがマシマシです。


ちょっと休んで書き溜めますが、ブクマはどうぞそのままで! ⸜(*˙꒳˙*)⸝ 

2章でお会いしましょう!

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