39 三人の来店
ランチタイムを終えて、差し入れの準備を始めた。そろそろ午後二時だけれど、おそらくヘンリーさんは今日も来ないだろう。
堤防は見るたびに(重機でも入れているのか?)と思うほど修復が進んでいる。お客さんによると、魔法使いが土魔法を連発して働いている様子はすごいらしい。
「そりゃあ見物のし甲斐があるよ。小山のような土が生き物みたいに動くんだ。金色の髪の若者がすごかったなぁ。両手をヒョイヒョイ動かして少し離れた場所の土や岩を軽々と操ってる。魔法使いは年齢じゃないんだな。一番若そうな金色の髪の若者が一番活躍していた」
「まあ、そうなんですか!」
天才っぽいキリアス君はやっぱりすごいのか。一度見てみたい。
今夜差し入れに行くのはビーフシチュー。パンは専門家が差し入れを始めているから、あとはお茶とクッキーかな。この国の助け合いの精神はすごい。
実は私、勘違いをしていた。皆、自分のことで精一杯なのかと思っていたけれど、そんなことはなかった。お客さんたちは「助け合うのは当たり前だ」と言う。
お客さんがいなくなってから、ソフィアちゃんとカリーンさんが来てくれた。
「ソフィアちゃん! カリーンさん! 来てくれてありがとう」
「フィーちゃん来た!」
ソフィアちゃんが襟ぐりが開いたゆったりしたワンピースを着ている。風が通り抜けそうなデザインで寒そうに見える。でもワンコだから寒くないのかな。
「もう大丈夫になったんですか?」
「ええ。実はね、この子、あっという間に自分で自由に姿を変えられるようになったんですよ」
「ほんとですか! こんなに小さいのに」
「ほんとだよ! 見てて! 見てて!」
ソフィアちゃんが両手をグーにして「んんん」と力を入れている。顔が赤くなった。そんなに力んで大丈夫なのか。カリーンさんが「ここでやらないで!」と言ったがもう遅い。私とカリーンさんで慌てて厨房の奥、階段下までソフィアちゃんを動かした。
私の目の前でソフィアちゃんはあっという間にワンピースを着た可愛い子犬になった。
やだもう、私を殺す気か。
ソフィアちゃんはモゾモゾと動いてするりとワンピースを脱ぎ捨てた。なるほどね。だから脱ぎやすいように身頃がゆったりで襟ぐりも大きかったのか。
ワンコソフィアちゃんは床に仰向けになり、グネグネと体を動かしている。尻尾が生えて下着の後ろ側がずり落ちているのを利用して脱ぐ計画らしい。前脚と後ろ脚、口も使って器用に下着も脱ぎ捨てた。そのまま床の上でゴロンゴロンと嬉しそうに転がる。
「おぱんちゅむずかしい! でもできる!」
「あらぁすごいねえ。自分で変われるようになったんだねえ」
「うん! いっぱい、がんばった!」
ムックムクな子犬が大まじめに自慢しているのが果てしなく可愛い。あまりに可愛くて笑いが込み上げる。私が笑い続けていたら、私を見てカリーンさんが安堵のため息をついた。
「マイさんは本当に怖がらないんですね」
「当たり前ですよ。こんなかわいい子」
「ソフィアは姿が変わって戻るのを日に何度も繰り返しているうちにコツをつかんだらしくて。私も夫もディオンも、子供はすごいなと感心したんです」
不運なきっかけではあったけれど、自力で変身できるようになってひと安心てところだろうか。ソフィアちゃんは用が済んだとばかりに、あっという間に幼児に戻った。そしてシュタタッと身支度を終えて立ち上がる。
「ほら! フィーちゃん上手!」
「上手上手、すごいねぇ」
拍手して褒めたらソフィアちゃんは嬉しそうに鼻を膨らませている。
「昼間に外に出たい、マイさんのところに行きたいと泣かれてほとほと困りましたけど、これでだいぶ安心できました。それで、厚かましいお願いなのですが……」
「ここ、来ていい?」
「いいよ! もちろんよ! またソフィアちゃんと遊べるの、嬉しいよ!」
「フィーちゃんも!」
抱きつかれたので抱き上げる。うん、みっちり重い。大人になったソフィアちゃんを見たいものだわ。絶対美人で美犬だと思う。
「明日からお預かりできますけど、どうしましょうか」
「お願いできると本当に助かります。必ずお礼はしますので。今日はこれで失礼します。ソフィア、帰りますよ」
「はあい! マイたん、明日来る!」
「うん、また明日ね!」
カリーンさんは洪水の被害とソフィアちゃんのお世話で働けず、経済的にも大変だと思う。なのに律義にハチミツ飴をひと袋そっと渡してくれた。これ、結構いい値段だから申し訳ない。
二人が帰るのとすれ違うようにして立派な馬車が店の前に停まった。ソフィアちゃんが「おっきい馬車!」と叫び、カリーンさんにたしなめられている。
なんだろうと思って馬車を見ていたらドアが開き、ヘンリーさんが降りてきた。続いてキリアス君とご老人。ご老人は右手にステッキを突き、左腕をキリアス君に支えられている。ステップを降りるときはヘンリーさんも手伝っている。ご老人はなぜかソフィアちゃんとカリーンさんの後ろ姿をしばらく見送ってから歩き始めた。
「いらっしゃいませ」
「三人、お願いします」
「はい。どうぞどうぞ」
朝のうちに仕込んでおいたビーフシチューをかまどの弱火にかけ、お茶の用意をした。なんだかヘンリーさんとキリアス君の表情が硬い。ご老人は興味深そうに店内を見回し、ゆっくり着席した。テーブルをそっと撫でて小さくうなずいている。
老人から目を離さないようにしながらヘンリーさんが構えているような。なんだろう、ヘンリーさんとキリアス君の雰囲気が張り詰めている感じだ。
席に案内してメニューを渡すとご老人が尋ねる。
「お薦めはありますか?」
「美味しいビーフシチューがございます」
「ではそれを三人分お願いします。それと食後にお茶を」
「はい。かしこまりました」
いつもは陽気にしゃべるキリアス君が無言だ。心なしか元気がない。ご老人が優しそうな表情で私を見ているから、心から(ようこそいらっしゃいました)と思いながら笑顔で会釈した。
水を三つ運び、ビーフシチューとパンをテーブルに並べた。ご老人がコップを手に取ってじっと見ているが、市販の安いコップに似せて作り直してあるから問題ない。
三人は無言で食べ始めたが、ご老人が途中でハンカチを目に当てた。心配して見ていると、ヘンリーさんが私に向かって小さく首を振る。少しだけ目を細めている。この人のことは心配するなということだろうか。
カウンターの中でお茶とクッキーの用意をした。
ビーフシチューにクッキーではご老人が胃もたれするかしら。
迷ったけれど、持ち帰ってもらってもいいかと判断して、三人が食べ終わったのを確認してお茶とクッキーを出した。ご老人がまた私の顔をじっと見ているので笑顔で話しかけた。
「シチューはお口に合いましたか?」
「ああ、実に美味しかった。こんなに美味しいと思って食べたのは久しぶりだよ。ここは素敵な店だね。シチューは案外あっさりしていたように思う」
「ええ。水煮のときに一度冷やして、浮いて固まった脂を半分だけ取り除いてあるんです。私に料理を教えてくれた祖母が、『脂っこいのが苦手な人もいる。脂を半分取り除くとみんなが食べやすくて喜ばれるよ』と教えてくれました」
三人の動きが三秒くらいフリーズした。なに。どうした。
再びご老人が話しかけてきた。
「あなたのおばあ様は料理が得意だったのですね」
「はい。とても上手でした。料理は全て祖母に習いました」
「そうでしたか。おばあ様は……今もお元気で?」
「はい。元気だと思います。おしゃれとお出かけが大好きな人で、よく笑う人です。友人がたくさんいるので、きっと今も友人とおしゃべりしたりお出かけしたりしているはずです」
少し間が空いて、ご老人がまた目頭をハンカチで押さえた。なんとなくヘンリーさんが身構えているように見えるのは気のせいだろうか。何か様子がおかしい。キリアス君も元気がなさすぎる。ご老人はお茶を少し眺めてから大切そうに飲み、クッキーも食べている。
「美味しいお茶だ。クッキーも美味しい。お嬢さん、このクッキーは売っていますか?」
「はい。五枚入りと十枚入りがございます。私のことはどうぞマイとお呼びください」
「では十枚入りを二つ頼みます、マイさん」
「ありがとうございます、すぐにご用意いたしますね」
三人はお茶を飲み終わるとすぐに立ち上がった。馬車のところまで見送りに行ったら、席に収まったご老人が自分でドアを少し開け、身を乗り出して手招きをする。またヘンリーさんとキリアス君が顔を硬くした。今度は絶対に見間違いじゃない。
「なんでしょう」
ご老人が私の方に身を乗り出して危ないから、落ちないように腕を支えた。ご老人は本当に小さな声で短くささやいた。
「マイさんは猫にも犬にも好かれるようだ」
ビクッとした私を、ご老人は楽しそうに見る。「あなたが優しいからだろう」と普通の声で言ってから自分でドアを閉めると、馬車はすぐに去っていった。
「まさか、そういう意味?」
もしかしてあのご老人は、ヘンリーさんとカリーンさんたちの正体を見破ったってことだろうか。そんなことができる人、いるの?
今度ヘンリーさんが来てくれたら、あの人が何者なのか詳しく聞いてみなくては。