38 リヨルの過去
★お話の先を予想するコメントは、これから読む方のためにお控えくださいませ。
明日はマイの話。あの子が再登場。
「ヘンリー・ハウラー、君はハウラー子爵家の養子か? だとしたら良い養父を持ったな」
「父をご存じでしたか」
「君の養父は心根の優しい子供だった。親に連れられて、ここにポーションを買いに来たことがある。それで、君の要求は何かね。私の願いはリヨルに会いたい。ただひとつだ」
ヘンリーはキリアスが同席しているので迷う。だがここで隠したところでこの老人はマイにたどり着くような気がした。
(今隠し立てをしてグリド氏よりも先にキリアスがマイさんにたどり着くほうが厄介だ)
「その瓶はリヨルではなくリヨルの孫が作った物です」
「孫? ああ、孫か。そうか、道理で………。私が知っているリヨルの痕跡ではあるが、わずかに印象が太く力強い。そうか、孫だったか。リヨルは生き延びて連れ合いを見つけ、子を産み、孫まで得たのだな。よかった、本当によかった。はあぁぁ……。よかったよ。ヘンリー、ではその孫に会わせてくれ。リヨルの話を聞きたい」
ヘンリーが居住まいを正した。
「その前にお願いが二つあります。ひとつ目は、ヘラーが親に売られたことも、リヨルとなって働かせられたことも、あなたの実験が失敗したことも、その人には言わないでいただきたいのです。リヨルは哀れな娘ではなく、幸せに育ち、偶然の事故で飛んでしまったと、そういうことにしてほしいのです」
グリドはヘンリーをじっくりと見た。
「これは驚いた。君はヘラーにまでたどり着いていたのか。して、そのひとつ目の理由は?」
「その人はとある理由でこの国に飛ばされてきました。大好きな祖母と別れ、一人で働いて暮らしています。孤独にも苦しんでいるはずです。私はこれ以上、その人につらい思いをさせたくありません」
「君は……その娘を好いているのだな?」
ヘンリーはゆっくりうなずいた。
「はい。とても大切に思っています。過去を変えられない以上、傷つけるだけの情報なら彼女の耳に入れたくないのです」
「ああ……そうだな。過去は変えられぬ。よかろう。不幸な話はしないと誓う。その娘には、いつ会わせてくれる?」
「その前に、二つ目のお願いです。リヨルの過去を私に聞かせてください。これは筆頭文官としての希望です」
なぜかグリド氏は満足そうな顔になった。
「いいだろう、リヨルの過去を知りたがる目的はだいたい想像がつく。気に入ったよ。その前に、間違った噂が世間に流れているのを訂正しておこう。今まではどうでもよいと捨て置いたが、君には教えてやる。まず、私とリヨルは恋人同士ではない。それと、瞬間移動魔法理論を完成させたのは私ではない。リヨルだ」
ヘンリーは無表情だがキリアスは目を丸くしている。その顔をチラリと見て、グリド氏はヘンリーに話し続ける。
「リヨルは高魔力保有者であるがゆえに、七歳でとある人の所有になった。それから魔法使いだった私の父のところに修行に出された。この家でリヨルは文字の読み書きから始めたのだが、干上がった大きな池が水を受け入れるように、際限なく知識を吸収した。二年も過ぎる頃には、魔法の腕で七歳年上の私を飛び越えたよ。天賦の才とはこういうことかと、嫉妬する気にもなれなかった」
グリドは遠い過去を思い出す目つきになって語る。
「リヨルが特級のポーションを作れるようになったら修行は終わる契約だった。リヨルの主はよほど死ぬのが恐ろしかったのだろう。国王が飲むのと同じ特級のポーションを、水代わりに飲みたがっていた。わずか四年で修行は終わりになったが、父はリヨルの才能を惜しんで私を使った。恋仲の振りをしてリヨルに会いに行け、そして魔法の知識を運べ、と私に命じたのだ」
「四年というと十一歳と十八歳の恋仲、ですか」
驚くヘンリーに、グリド氏が苦笑した。
「ない話ではないが、私もさすがにどうかと思った。だが、断ることなど許されない。週に一度ずつリヨルのところへ通い、父が書いた魔法の指南書を渡し続けた。リヨルはたった一人で数ページずつ渡される魔法の指南書を着実に習得していったよ。リヨルは与えられた小部屋で毎日ひたすらポーションを作り続けていたらしい。リヨルの主は飲むだけでは足りず、ポーションの湯に浸かっていたそうだ。彼女が十四歳のある日のことだ。青白い顔で、『あなたが会いに来てくれるから、私は正気を保っていられるのです』と言ったのだ」
くしゃっと顔を歪めてからグリド氏が片手で顔を覆う。
「私は一緒に逃げようと言ったが、リヨルは断った。『あなたにも先生にも迷惑をかけたくない。私の代金を受け取った実家のことも心配だ。あなたはこの国一の魔法使いになってほしい。それが私の唯一の楽しみです』と。週に一度、私に会う時だけは外に出してもらえたのだ。そんな生活はリヨルが二十歳になるまで続き、終わった。彼女が病気になった」
「病気とは?」
思わずヘンリーが尋ねると、グリド氏は自分の右の顎の下を触った。
「ここにできた腫れ物が次第に大きくなり、レモンほどの大きさになって血を流すようになった。貴族は病がうつるのを恐れてリヨルを放り出したのだ。リヨルはその足で我が家に来て、『瞬間移動魔法の理論を完成させた。あなたに教えるから私を実験台にしてくれ。このまま苦しみながら死ぬより、あなたの役に立って旅立ちたい』と言ったのだ」
「ポーションを作り続けていたのに瞬間移動魔法理論を完成、ですか?」
「そうだ。その頃には既に、父でさえてこずっていた変換魔法を完璧に習得していた。彼女は天才という域を超えていた。部屋に閉じ込められ、毎日魔力が尽きるまでポーションを作らされていても、偉業を成し遂げる存在だった」
いよいよ話が核心に近づき、キリアスがランランと目を輝かせながら聞いている。
「リヨルはその場で小さな石を移動させてみせた。私は『石と人では違う』と反対したが、『私が生きているうちにあなたが習得すれば済むことだ』と」
我慢できずにキリアスが口を挟んだ。
「ポーションは効かなかったのですか?」
「ポーションは飲めるだけ飲ませた。時間稼ぎにはなったが根本的な解決にならなかった」
「動物実験は?」
「リヨルが反対した。瞬間移動魔法は膨大な魔力を消費する。一度動物で試せば、おそらく半年は魔法が使えないほどに身体が消耗すると。だから動物実験はするなとリヨルが言い張った。『もう私には時間がない。一発目を私で試せ』と聞かなかった。病が進み、頭痛が始まっていたのだ」
そんな無茶な、と思うヘンリーの隣でキリアスも「無謀すぎる」とつぶやいた。
「君らを疑うわけではないが、この続きは、リヨルの孫に会ってから話す。それでキリアス、ポーションの瓶は何が問題なのだ?」
「実は」
キリアスがグリド氏に瓶の一部始終を説明した。
「ジュゼルからポーションの瓶に目印をつけると決めた経緯は聞いている。この三角が目印なのだな。ふむ。リヨルの孫が、うっかり印まで忠実に再現したか。キリアス、その瓶のことは何人が知っている?」
「魔法部の部下が一人、この瓶を見ています。軍の鑑定係には僕が話をしました。あとはヘンリーさんです」
「では問題は二人だな。貸しなさい」
キリアスはずっと抱えて移動していた小箱をさし出した。グリド氏は箱を受け取り、三十九本の瓶の上に手のひらをかざした。唇がわずかに動いているが声は聞こえない。その時間は数分ほど。ヘンリーは(マイさんは無詠唱で、しかも一瞬で机を荷車に変えていたな)と思いながらグリド氏を眺めた。
「よし、これでいいだろう。見てみなさい」と言ってキリアスに箱を返す。キリアスが覗き見ると、三角の印は全てガラスの小さな一滴が落ちたような、歪んだ円形になっていた。
「うぁ? 印の形が全部変わっている。先生、これって……」
「変換魔法だ。ガラスをガラスに変換した。リヨルほど上手くはないが、一応できる。キリアス、お前は『見間違いだった、すまなかった』と部下と鑑定係に頭を下げろ。形が違うと言われても相手が引き下がるまで謝り続けろ。それで万事丸く収まる」
「……はい」
「さあ、今すぐ行こうではないか。連れていってくれ」
外で十時の鐘が鳴った。同時にキリアスのおなかも大きな音で空腹を訴えた。ヘンリーが譲らぬ覚悟でグリド氏に提案する。
「もう夜も遅いので、明日にしましょう。必ず私がご案内します」
「働いていると言っていたな。どこに勤めているのだね」
「カフェを経営しています。今からでは気の毒です」
「そうか。では明日、その店に連れて行ってくれ」
「ええ。まずは顔を見て食事をするだけにしてください。私から彼女に先生のことを話します。その上で彼女が先生に会いたいと言ったら、正式に場を設けます。先生、どうか彼女の意思を優先させてあげてください」
「そうだな。わかった。そうしようか」
ヘンリーとキリアスはグリド氏の屋敷を後にした。
「マイさんがあのポーションを作ったんだね。リヨルの孫だったなんてびっくりだ。ポーションは特級だったし! 僕もリヨルの話を聞きたい。どんな魔法を習ったのかも聞きたい。瞬間移動魔法の話も聞きたい」
「いや、キリアスは行かなくていい。マイさんに余計なことを言いそうだ」
「言わない。行くよ。絶対に行く。食事をしに行くだけならいいじゃないか」
ヘンリーが黙り込むとキリアスは上機嫌になり「じゃあ、明日ね! 明日先生の馬車で行こう。ヘンリーさんが出かけるいつもの時間でいいよね? そこは仕事を空けておく。じゃ、おやすみ!」
(キリアスが余計なことを言いそうになったら、どうやって黙らせてくれようか)
無表情で不穏なことを考えながら、帰って行くキリアスの背中を見送った。
本日3/19は『シャーロット』の発売日。
しみじみ心温まるお話なので、よろしくお願いします。